話す時間

「リップグリップと谷口つばさが話す時間」というトークライブを見ながら考えたこと

書きながら「こいつうるせぇな」と思った。


・ドキュメンタリーをどこまで信用するか

14歳の栞を見て「カメラの外で起きた出来事」については何にも考えなかったな、と思った。そもそも私は彼ら(作中に出てくる2年6組のみんな)のことを考えられる余裕はなかった。
「カメラを向けられたから話していること」とか「カメラを向けられたからと言って話してないこと」はあるだろうな、と思いながら見ていた。でもそれも含めてその時その瞬間のリアルだと思う。

カメラを持って入ってきた全く無関係の大人、本来存在し得なかった大人がカメラの外で何か声をかけているかもしれない、は別にそれでも良いかな〜と思った。それを飲み込むか飲み込まないかは結局その子たち次第だし、それも含めてリアルだから。

ドキュメンタリーとはいえ創作物だからどこまで信じるか、はあるけど私は割と信じたもん勝ち、信じた方が面白いと思って見ている気がする。嘘とか建前が存在する前提で「これがほんとだといいな〜」みたいな見方。どうせこの画面の向こうに嘘があったところで私には関係なくて、それを見て私が「どう思ったか」が重要だと思っているからかな〜なんでだろう、そもそも自分以外の「本当のこと」が目の前にそのまま現れることなんてないと思ってるからかな〜ん〜…今度めっちゃ疑いながらドキュメンタリー見てみようかな

フェイクドキュメンタリー、面白い!
話題になってたNHKのやつ、面白そう!見ればよかった!


・初期装備の哲学
・人間は環境で決まる

うわ〜!すごく私好みの話というか、私の"考える"に近い話だ〜!!と思って色々考えながら見てたら考えすぎて話半分になってた。良いのか?

初期装備は哲学に限らずいろんなところに派生できそう。それこそ「当たり前を疑う」のような話にも繋がってくるというか、自分が当たり前に持ち合わせてる価値観とか考え方を「じゃあなんでそうなのか」と考える、みたいな。思考のループ。
初期装備の哲学の話聞いて初めて哲学ちゃんと学びたい!と思えた。哲学も「考えること」ってこと?哲学、なに?

新鮮に「性の…目覚め…?」って考えてる時間があった。あんなに鮮明な性の目覚めを自覚してない。それ考えてるせいであんまり聞けてない時間あって悔しかった。
二次元がダメという意識もあんまりない(そもそも自分が生きてる人間無理だからかも)からそれも「環境で決まる」なのかな。

スケベとは違うけど環境によって変わるものってたくさんあって、特に最近は環境の変化が激しいからそれにどんどん対応しなくちゃいけない世の中になってると思う。でも必ず変わっていく価値観とか世界に対応できない(しようとしない)人が生まれるのはその人が多数派だからじゃないんだろうか🫵
この世には「受け入れる側」の人間が圧倒的に多いから、常に受け入れるか受け入れないかの2択で考えられがちで、でも実際全ての人間は「受け入れる側」であり「受け入れられる側」でもあるから社会で他人と生きていくなら常に受け身であっちゃいけないと思っている🫵
「受け入れるか否か」だけで考えるんじゃなくて、「受け入れなかった時、この目の前の人はどうなるか」みたいな…考えすぎか、こんなこと考えてたら疲れちゃうよな……私は「こうやって考えていることを主張してる時点で誰かを否定してることになっているのかも…?」とか考え始めてもう頭抱えてる…生きるの下手だよ…

これも「当たり前」とかに戻ってくるのかな〜多数派、当たり前、いわゆる「普通」な人は受け入れられないことを想定してないから、環境の違いによる亀裂が生まれてるだけで、もっとみんな否定されることを前提に生きた方がいい。
でもそれはそれでしんどいからそうしなくてもいいと思う。難しい。そもそもわかろうとせず頭ごなしに否定する人が存在するのがいけないわけで…

話す時間の三人は否定をしないからいいな〜否定せずに「考える」ができる三人


・スケベのプライドが高くて損してる

岩永さんの脱毛の話は「そんなことないだろ!」すぎて面白かった。
岩永さんのスケベ話は大きなハードルがなくて単純にコンテンツとして受け取れるからすごく面白い、すごく好き。下ネタとかエロが苦手なわけじゃないけど分からないからあんまり自分からしたくはなくて、ただ聞く分には意味わかんなくて楽しいから良い。スケベ大学も行ってみたい。

スケベ話大丈夫になったのも最近だな!
今に至るまでの途中で「人類には他者に対する性的感情が備わっている(ことの方が多い)」と認識した時が一番しんどかった。認識はしてたけど事実として面と向かって受け取ったらなんで?とか気持ち悪い…みたいな感情が勝っちゃってた。最近は「そういう人もいるよね〜」と割り切れるようになってかなり肩の荷が降りたし深く考えずに、あるいは限界まで考えまくることで楽しめるようになった…多分。


・オウムはグルメ

ほんわか生き物雑学クイズ、楽しい時間
イカが「白いの映えてかっこいい!」と思ってスミ吐いてる、とかどうやって研究したら分かることなんだろう。


・自由意志

途中までついていってたけど途中で振り落とされた!多分「みんなが認識してる自由っていうのは本当の意味の自由ではなくて、そもそも囚われられた何か(価値観、社会、地位など?)の中での話で…」みたいなことだと思う…

アイドルマスターsideMの北村想楽というアイドルのソロ曲『Flowing Freedom』の歌詞を思い出してた。

「不自由は囚われではなく捉え方」なんだね

この歌詞が印象的で頭に残ったことから好きな曲でもある。
自由がそうじゃないかは何かに「囚われてる」からそうなるのではなく、(実際は囚われてるんだけど考え方として)「自由である」と捉える、というのがまずスタートラインなのかな、とか。多分自由であると捉えた方が人間楽だから。そうできない人もいるんだけどさ…難しいね…

「自分の意思なんてものは存在しないのにこう思うのは何故か」の答えが「自分が『こう思ってる』のではなく社会にそう思わされてるんだ」なのがほへ〜って感じだった。これはほへ〜、分かったような分かってないような…ウンウン…
「自由は実は怖いもの」の話もウンウン唸りながら飲み込めたような飲み込めてないような…倉田さんが言っていたことは理解できたと思う…多分私とかみんなが目指してる自由ってもっと小さい自由というか、「楽に生きる」みたいなことを自由って言い換えてるだけなのかも…自由…


・秋葉原に行けないオタク

聞きながら「これって女オタク(属性としての意)で言う池袋のことかも!?」と思ったけど違うかも。私は池袋には目的がないと行かない。「池袋に集まる女オタ」とは違いますわよ〜の顔もちょっとしてる。わるい。

まんだらけには芸人の同人誌もあるしジャニーズの同人誌もある‼️私も一回中野ブロードウェイのまんだらけの同人誌コーナー行ってそれを目の当たりにした時あまりにも知らない世界すぎてめちゃくちゃ興奮したことがある。限りなく近くに存在する全く知らない世界、すごい世界、笑っちまいますよね。

・pixiv

作品名載せたら検索されちゃうと嫌なのでpixivのみで

つばささんが話し始めた段階から「それじゃエロ絵(BL)は出ないよ…」と思ってたら案の定見つけられてなくて笑っちゃった。
少年漫画作品とかアイドル系作品でも「腐タグ」があるのが当たり前だと思ってたけど、確かにpixivのトップに出てくる男性向けのコンテンツタグってエロ絵ばっかりだな、あれ嫌なんだよな…

女性向けコンテンツはpixivに限らずツイッターでも棲み分けちゃんとするイメージだったから腐タグとかワンクッションがどれにもちゃんとあるもんだと思ってた。
棲み分けは「見たい人に届けたい」と「見たくない人に見せたくない」のためなのかな?そもそもこれって誰がどう始めた文化なんだろう。最近は学級会的に「棲み分けちゃんとしてください😡」みたいなことがよく行われてるけど、起源は学級会始まりなのか、誰かが棲み分けし始めたことから生まれたルールなのか…

芸人でオタクの人よく見るけど男性のことが多いし、かなり女オタクの文化を間違えてたり知らなかったりすること多いな〜と思ってる。「夢女子」を腐女子の意味で使ってたり、バキ童チャンネルで伏字タグ扱われて「や、やめてよ〜😣」ってなってるネットの人がいたり。(でも伏字タグはどうせ見つかるものだから配慮しなきゃいけないものではないと思う、棲み分けてることが重要)
逆に私も私で男オタク(属性としての意)の文化全然知らねえかも!と気づいた。秋葉原そもそも行かないしな。「オタクしたい!」と思ったら池袋に行く。池袋、乙女ロード。
男オタクと女オタク集めてそれぞれの文化クイズしてるところ見たいな〜と思ったけどかなりバキ童チャンネルでやってるな。

伏字タグバラされること云々も多分ちょっと上の年代の人からしたら「隠れ蓑をバラされた!」になるからセンシティブなのか!私は棲み分けと思ってるタグたち、元々は隠れ蓑だったのでは…?つまり学級会が先ではなく、タグが先…?

作品名載せたら検索されちゃうと嫌なのでpixivのみで←これももしかしたら女オタク的考えなのかも☝️
確かに女性の芸人ファンも伏字とか検索よけとかしてるイメージ。


トークライブって聞きながら「ほへ〜」で終われなくて常に自分はどう思うかを考えてしまうからそれをまとめて見たけど、全部書き起こしながら「こんなに考えてたら頭パンクしちゃうよ」と思ったのでもうちょっとリラックスしてライブを見られたらと思います。

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