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桃の花のような埼玉県の中国人女性の謎めいた派遣仕事仲間の思い出〜

埼玉県。
‥‥とにかく、派遣という仕事を
やっていると(過去形ですが)
この県がアジアのカオスである事を
実感する。

住んでいた場所の付近は
埼玉県の中でも一応観光地だったので
平日からアジア人だらけで

日本人の私がまるで
観光に来たような錯覚に陥る事も
しょっちゅうであった。

国際大学(たぶんアジア人だらけだろう)
が近いのもあるのか?
技能実習生や住みついてしまった外国人か?それはわからない。ただ

失礼な表現だが日本より貧しい国から
東南アジア諸国が観光に来れるわけがない。やはり出稼ぎ労働者だろう。
たぶん💧

日本円のほうがどうしたって
同じ仕事をしたとしても報酬が
祖国のレートに比べるとはるか上だ。
(‥‥たぶん、中抜きとか、ブローカーに搾取されている可能性大だろうが。
日本人だって、特殊な仕事はブローカーに中抜き(仲介料)されるのはある。
彼らにそれがないわけはあるまい。)

その中で
余裕をかましているのが
中国人観光客だ。観光バス🚌で
移動している。彼らが観光客なのだろう。

‥‥前置きはさておき

食品加工工場製造部門

はじめに、
グループに受け入れやすいように
してくれたのは
(グループといっても8人程度だけど)

私のすぐ前に
同じく派遣として入っていた
(この部門は派遣会社は違えど
指導者以外は全員派遣なのだが)
中国人の女性だった。

名前は日本名、和名であったが‥‥
仮に松下桃華さんと呼ぼう。

落ち着いた風貌と控えめな
若奥さん、という出立ちの穏やかな
女性だった。
言葉の発音、イントネーションからして
もう中国の女性だという事がわかったし
ご本人もそれを隠す事はなかった。

お昼休みも、休憩も
一緒。実は私はこの女性に感謝している。
お互いほとんど話さなくても
妙に落ち着けるのだ。
一緒にいて気を変に使う事もなく
とても楽だったし

なにより、遅番(早番と遅番があって
8時間労働なのだが午前11時に作業開始。帰宅は20時)だったので

遅番は明日の準備のチェックと
徹底した清掃をした上で帰宅しなければならず

もう一人のリーダー的な
しっかりした男性
(この人にも感謝している。他の人の説明ではわからなかった事をこっそり指南してもらったりしていた。)
そして桃華さん、私、と3人で
作業場内(お部屋にすれば10×2畳間)を
ピカピカになるまで清掃した。

3人ともどこか信頼関係?が
あったのは、この桃華さんの
落ち着いた存在が大きかった、と思う。

ただ‥‥

桃華さんは
私も辞める前に、ある日突然
消えるようにして辞めてしまった。

その理由はあまり言いたくはない。

私も同じ理由で
そこを去っているからだ。

もっとも

自分は2か月契約であり
その義務はとうに果たしていて
延長をかけていただいていたのだが。

桃華さんは何にも事務所にも
伝えておらず
ロッカーの鍵だけが
ロッカールームにささっていたという。

さみしい突然のお別れだった。

派遣、というのは一期一会。
そんなものだ。

‥‥桃華さんは松下桃華さん、と
呼ばれていたが

実は前の旦那さん(.日本人)と離婚していて

離婚したなら苗字かわらないの?
と、野暮な質問をしてしまったところ
笑って
【松下という苗字は使わせてもらう】と
答えていた。
今にして思えば、携帯にしょっちゅう
電話📞(娘さん)にかけていたが
早口の中国語で、
その時だけはいつもの穏やかな顔つきから
険しい顔付きに変わっていたのを
覚えている。

一度、母国に帰って、
(日本から中国へ)ちゃんと工場に
戻ってきた事がある。
たぶん、彼女にしても働きやすかったのだろう。

派遣は、
自然に(やめさせる)方向に持っていく
傾向がある。だから
2ヶ月契約だったし満了日に
終了させて、次の派遣先へ行った方が
良かったのかもしれない。
仕事を覚え始めると
面白くなり、社員になれなくても
パートになりたいな、と思うように
なるのだ。そこの人にも慣れてくるし。

‥‥とりあえず自分も
桃華さんと同じく、女性リーダーの
ハラハラでなんだか疲れてやめたのであるが

その時にタンカできった言葉どおりの
職場に非正規雇用社員として
入社したので、自分はそれで良かった。

言って良いのか
桃華さん、たしか
◯漢、から来ていたと思う。記憶では。

ちなみに、裏方の冷凍倉庫は
中国人の集団が防寒服を着用して
働いていた。真夏でも冷凍室なので
防寒服。噂だけれど、同じバスに
乗ってやってくる?とか?
寮生活なのか???とか。

40度の灼熱地獄部門よりは
ましだったかもしれない。
(私の担当ではないけどカレー部門とかね)

非正規雇用社員時代にも
ひとり、きちんと中国名を名乗って
入社してきた配達の女性がいたけど
やはり仕事内容の煩雑さ複雑さに
ついていけなかったのか、ほかの理由か
やめられてしまった。

辞める時の挨拶にまで来てくれて
私に真剣な目で
「ここはとっても良い所で良い人達ばかり。だから、絶対やめないでね」
と言って、お菓子をいただいたのを
忘れない。

彼女達は、私にはとても親切だった。
どうしてなのだろう?

2018年、2019年。


続く‥‥かないかもしれない🙄

あ、ついでに私も踊っているので
貼り付けておきます🙄

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