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人生は予想できない

居宅支援事業所を変わり半年が過ぎた。
同じケアマネの仕事だから日々の仕事内容は全く同じだ。
今の事業所は、ヘルパー事業所と併設なのでその支援が必要性がある新規利用者が包括支援センターより依頼が多い。

独居で圧迫骨折をして身動きできない男性利用者様。
警察が家に単身者の人へたまたまの訪問で見つけられた。
家で支援を受けたが、食生活が疎かだったのかもしれない。骨折はなかなか治らない。結局、入院となった。
猫と住んでおり、外出もする猫なのだが主が入院する数日前より家に戻らなくなった。何かを気配を察して自分は身を引いたのか?

散歩が趣味で歩いているうちに道に迷い歩けなくなった女性。
周囲の人にタクシーを見つけて貰い、家に帰った。
遠方に住む弟へ電話連絡し包括支援センターへ繋がった。
整形外科へ通院同行したら膝の疲労骨折との診断を受けた。「だらりんとした今の生活が好き。人にあれこれ指示されるのが嫌い。」と明るく仰った。
歩けない為に買い物は無理なので、ヘルパー支援が入る事になった。

昔は近隣の世話人をやっていた独居の男性。今でも地域の防災の係らしい。
できないと思うのだが、後継者がいないのか。
元気な頃は、母や妻の度重なる看取りを経験された。その後直ぐに長男を亡くされた。次男がキーパーソンであるが近県に住むとはいえ、毎日の支援には遠い。そういった悲しい体験からなのか、アルコール依存症で飲酒が止められない。
この年末年始に飲み会ばかりでもの忘れが進んでいる。
最近、印鑑やキャッシュカードの置き場がわからなくなった。
近隣の知人総出で家の中を探した。
今だに印鑑が見つからない。

人は、一人では生活はできないものだと痛感する。その家族の支援者もみんな若くはないし事情もある。
話合いの場へのフットワークや説明の時には、理解するのに時間を要する。
色々なケースを支援させて頂いている。

弊社社長は若い頃に交通事故に遭遇し重度の後遺症があり車椅子利用の生活であり身体障害者である。
社長は訪問介護事業所の場所にいらっしゃる。だから毎日顔を合わせない。
介護事業所を運営されているのだから努力もされているしご立派だとは思う。
一番不安なのは管理者との仲が不透明であり全く経営方針が伝わらない。
どういった目的をもちどういう事業所に発展させたいのか。大切にしたい事は何なのか。
管理者は電話で社長とは連絡をし合うが、方針や連絡事項の明確化や説明がない。
管理者自身は、毎日多忙で事業所を出たり入ったり忙しくしている。
それは、以前から知っていた。
半年経ち、毎日傍に居たので良く分かった。
現状は忙しいのが好きなのだ。慌ただしくしていたいし、電話も大好きで長電話ばかりしている。
始めは大変だと労う気持があったのだが、今は私の中にはもう、その気持はない。
準備不足だから物事が勃発し追いかけられている。
利用者様からのクレームがある。
お互いに行き違いがあってもこちらの反省する部分もゼロではないでしょう。真摯に向き合えば理解して下さるものだし、例え御縁が無くなってもこちら側も後悔はないものだ。
時間が経ち逃げ腰に応対し、包括に泣きつく。私の社会性の価値観の判断では有り得ない。
ライフワークバランスを大切にする風潮の中、毎日一人で残業をしている。
「私も早く帰えりたい。」と言いながら。
一言で片付けるならば、後手後手のやり方だからでしょう。
このやり方もケアマネの個性の一つ。個人の多様性と判断しなければならないのか…

という訳で、最近一番驚いたのは今の事業所の体制と働く環境なのだった。
介護保険からの報酬で動く介護事業所なのに、この時代に古い経営体制が通用しているのだ。

私はまた履歴書を書く事になってしまった。予想だもしなかった。
そして、運良く求められて新しい事業所で働く事になった。
これも予想外だし、自分の最近の転職状況に呆れている。
だけど苦笑いしながら前向きに進むしかない。

令和6年の4月は介護と医療の制度改正となる。
時代は日々変化している。
日本の背景も国民も人其々の考え方や生き方を尊重するという多様性が認識され始めている。
独居の方やヤングケアラーや老老介護や障害を持つ方の高齢期支援。様々な家族の形の中で自分らしさや尊厳を保持し、最後まで自分らしい生活を送れる様に支援を考えてゆく。

自分の人生の道を切り拓くのに終わりはないとつくづく感じた。
出来事を肥やしに変えて、働ける幸せを忘れずに自分らしくケアマネジャーの仕事を続けたい。

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