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たがため:Tricoloreで伝えたかったこと

I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.

William Ernest Henley(1849-1903)の作品「Invictus」の一節。Nelson Mandela(1918-2013)が、27年間の獄中生活で心の支えとし、ラグビー南ア代表との実話を描いた、映画「インビクタス/負けざる者たち(2009)」の劇中に、たびたび出てきたセリフとしても有名だ。

自分が我が魂の指揮官。どんなに過酷で理不尽な運命も決して挫けず、自分の運命は自分で切り開くんだ!というメッセージがある。

▼十数年前・・・

私たちの友人が命の危険に直面した。とにかく無事でいてくれ...言葉や声を通して目の当たりにした現実は、必ずしもその祈りと一致しなかった。関係者を名乗る、チェーンメールでの署名活動も横行した。1件ずつを確認し、それが事実でないと分かれば、仲間たちに注意を呼びかけた。気づけば「できること」から、とにかく必死になってた。ただ友人を信じて。そして、自分を信じて。

▼非言語の利便さと危うさ

非言語な表現は、時として端的で、勝手がよかったり、広がりも早かったりする。反面、表現した本人の意図しない、無意識な側面を持ち、それがひとり歩きことは多々ある。「なぜTricoloreを、フェイスブックのプロフィールに使うのか?」日本だけでなく、世界各地で話題となっている。「パリ市の標章なら分かるけど…。」確かに、そうかもしれない。この場で反論するつもりはなく、論点を変えてまで、あれこれ述べるつもりもない。でも意識的に、「大切に想う誰かのために」向けて表現した人は多く、「自分を信じ生きよう!」僕はそう発信したかった。

▼彼方を立てれば此方が立たず話

この話に、どれくらいエネルギーを注ぐ必要性があるんだろう?Tricoloreを使うことは、もう一方の誰かを何とも感じてないことではないし、使わないことを、無関心だなんて思っていない。そもそも比較すべき、あるいは比較できる話なのだろうか?さらには、この話の先に、解決策は見出せるのだろうか?間違っても、軍が空爆を強化したことに対し「やっぱり使わなくてよかった。」だなんて、自己を肯定のための道具に使ってほしくない。

▼僕たちは連鎖した

テロリズムによる不安や恐怖のほか、心理的分断への影響は大きい。(政治、経済、社会など全体としての面においては、多少分断されている。)でも僕たちは今回、こうして連鎖した。誰もが、これ以上の犠牲を望まないことを共有した。複雑で難しい課題だが、決して不可能ではないことが分かった。今日からのひとつふたつが未来を変えていくと信じて。

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