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Twitterから生まれたお話。

こんにちは。

千葉県佐倉市には、不思議なgaregeけるーむぽるんという、不思議な駄菓子屋さんがございます。鳩♡頭巾さんという方が店主さんです。古本市つながりで大変お世話になっている次第です。

その鳩♡頭巾さん、不思議な駄菓子屋のご店主だけあって、先日、まるでお話のような不思議な体験をなさいました。そのツイートを拝見したら、シビビッとしびれて、ちいさなお話を思いつきました。ご店主が殊の外喜んで下さって、世へ公開するようオススメ下さり、恥ずかしながら、公開させていただきます。人生は旅であり、旅の恥は掻き捨て。何事もTry&Error。お読みいただけましたら幸いです。

なお、該当ツイートもご本人の承諾を得ましたので、掲載させていただきます。

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鳩に蜘蛛

ああ、いやだいやだ、電車はだからいやなんだ。
どうして電車なんか乗っちまったんだろう。
そんな必要なかったのに。
憎々しげな禿頭、怯えて身悶えする骨ばった指、必死に気付かぬフリのブラウスの袖。
乗客はみんなあたしの敵だ。
前後がぼんやりと記憶がない。
あたしはそれほど長い時間を覚えていられないし、それほど頭が良くもない。
それでも。
―――じっとひとところにいたら、いずれ誰かが危害を加えてきそうだ。
そういうことは、ひしひしと感じた。
禿頭を見下ろす、こんなところにいる自分のぼんやりはともかくとして、ここから逃げ出すに越したことはない。
ちとちとり、と動いてみる。
ひゃ、という小さな悲鳴がどこかから聞こえたが、構っている場合じゃない。
なんの因果かあたしだって好きでこんな身になったわけじゃないのさ。
大昔の、轟々とした灼熱の何か、そんなものがふと頭をよぎる。
残念なおつむだってのに、古い記憶の断片はこびりつくように残っているときたもんだ。
もう一度、ちとちとり。
つり革を下げる横渡しの棒は、つるつると滑りそうに見えたが、移動に支障はなさそうだ。
糸で垂れて降りる間は無防備になる。むやみな危害の格好の餌食だ。
どうれ、どうやって降りようか。
見渡すあたしのぼんやりした視界に、つり革をつかむ動じない指が入り込んだ。

その日、そのねえさんはたいそう疲れていた。何しろ左手には段ボールが下がるプラスチック取っ手。こいつは1kgなんと200円の特売おじゃがが3kgは入っている。つり革をつかむ右手首には買い物袋がぶら下がり、こちらにはやはり特売の青物野菜がしっかりと詰め込まれ、それなりの重さが手首にうっすら斜めの赤い筋を作っていた。特急の電車は、停車区間がそこそこ長く、一度走り出すと空席変動の見込みは薄い。おそらく降車駅まで立ったままだろうなぁ、という思いが、ねえさんの疲労に加勢してきた。そんなときである。2cmほどの蜘蛛が、ねえさんの指を伝い、ちとちとり、と手の甲に鎮座したであった。
「蜘蛛先輩」
ねえさんは、手の甲を伝う感覚に目をやると、蜘蛛を見つけて思わずポツリとつぶやいた。瞬間的に空気がざわつき、どうやら乗客の何人かは既にその蜘蛛を注視していたようだと気付く。まあ仕方ない、たいがい蜘蛛は恐怖や嫌悪の的である。しかしながら、実はねえさん自身は蜘蛛が嫌いではないし、なんなら好きだ。蛾も毛虫もムカデも、たいがいの節足動物も比較的どんと来いだ。そういう性分と、疲れて車内の動揺にも気付かないでいたねえさんは、蜘蛛から見たら安全な移動経路に見えたのかもしれない。
しかしねえさん自身に嫌悪感はなくとも、困るか困らないかでいえば困ったことになった。このまま蜘蛛の移動するがままにすると、動揺した誰かが、蜘蛛先輩を暴力的に排除しようとするかもしれない。(彼女は、道端などの不意の出会いの生き物に対して、親愛を込めて「先輩」と敬称を付けることがままあった)。ねえさんは、蜘蛛が他の誰かに渡ろうとしないよう、気を付けつつ、穏便な解決策を思案した。

果たして穏便な解決策とは。
そもそもねえさんの両手は塞がって自由が利かないのである。車内はそれなりの間隔を開けて立てる程度でぎゅうぎゅうの混雑ではないとはいえ、一度右手を下すには隣の人とガサゴソすいませんとなるのは目に見えていたし、左手の段ボールは、乗車時点でなんとなく躊躇しているうちに、あれよあれよと置ける床面を失い、ずるりと傾げた箱の一角が床になんとか付いてる状態だ。手でどうのこうもできないのは明白だし、どうのこうも出来たとして、まさか走行中の特急の窓から蜘蛛先輩を放り出すわけにもいかない。もはや次の停車駅で一度降りるしかない、とねえさんは小さくため息を吐いた。
特急の停車区間は存外長い。次の停車駅までどのくらいかかるだろうか、と思いながら、ねえさんは変わらずちょいちょい身をよじって、蜘蛛を留まらせる努力を続けていた。蜘蛛はそんなねえさんの思いやりなど知る由もなく、甲斐なく腕を伝って肩口あたりで小休憩を取り出した。周囲の不安げな視線がやんわりと刺さる。蜘蛛がちとちとと動くたびに、息を呑むようなざわめくような、吸ったり吐いたりが聞こえる。この不穏な空気の中心は、蜘蛛を伝わらせたまま何も解決が出来ていない自分なのだと思うと、本来感じる必要のないジワジワした焦燥感が否応なく身の内から湧いてきて、ねえさんは少しだけ途方に暮れた。
どのくらい経ったのだろう。それなりにひと丸となった不穏のなかで、ねえさんはふと、斜め前のお兄さんが、先ごろからじっとこちらを見つめていることに気が付いた。なんだか水を打ったように静かなお兄さんだ。半眼のまなざしにはなんの表情もない。ねえさんは、その不安も不穏もない視線に、先ほどからのジワッとした焦燥が薄らいだように思えた。
ねえさんの耳と体に、ごとごとと電車の心地良いリズムが取り戻され、蜘蛛は肩口からじっと動かず、奇妙に寛いだ様子に見えた。

ねえさんと蜘蛛の道中は、急な幕切れで終わりを告げた。
そうしてやっとこまもなく次の停車駅、というそのときに。速度を落とした電車のガタンと大きくひと揺れした瞬間。
静かなお兄さんがつと立ち上がると、扇子を広げてこう言いました。
「僕が蜘蛛を連れて行きましょう」
ドアーが開いたその瞬間、蜘蛛は差し出された扇子についと移り、安堵した。突然現れた救いの手に、もちろんねえさんも安堵した。
「ありがとうございました」
お礼を口にしたときには、既にお兄さんの背中は車外にあり、閉じゆくドアーがこちらとあちらの境界となったのであった。

ねえさんは境界のあちら側の背中を眺めて、あの背中は今頃蜘蛛にお説教など垂れているに違いない、とぼんやりおじゃがと青野菜をぶら下げながら夢想した。
「おまえさんは本当に目が離せないね」


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