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【競馬コラム】前哨戦不要の時代に新たな歴史を刻んだ京都大賞典と毎日王冠

かつては秋のG1戦線の幕開けを告げる前哨戦として栄華を極めた京都大賞典と毎日王冠。しかし時代は移ろいゆくもので、近年はG1直行のローテが主流となり、やがてこの伝統のG2に出走するメンバーも手薄に。もちろんG1勝ち馬も名を連ねてはいるのだが、天皇賞で有力視されるコントレイル・グランアレグリア・エフフォーリアの3頭はいずれも早々に「ぶっつけ」での参戦を表明。すっかりその傾向にも慣れた身としては、今さらそこに寂寥感のようなものも感じられなくなっている。

ところが、思わぬ感動と興奮の結末が待っていた。

まずは京都大賞典。ゴール前の大接戦を制したのは日本ダービー馬マカヒキ。かつて「最強世代」とも謳われた16年クラシック世代の頂点を極め、秋には凱旋門賞にも挑戦した秀才が、フランスでのニエル賞以来5年ぶりとなる勝ち星を挙げた。

歳を重ねながらも果敢に挑み続けていたG1では歯が立たず、とっくに限界説を唱えられていたが、それでも現役を続けてきた執念と意地が実った勝利。狭い馬群にも怯むことなく力強く脚を伸ばし、最後は先に抜け出したアリストテレスをハナ差だけ捕らえて差し切り勝ち。
とてもこんな力が残っているとは思えなかった8歳馬が、とても届くとは思えないような位置から繰り出したラストスパートは、軽く人知を超えた凄みを感じさせた。これで完全復活などと言うつもりはないが、ファンの期待を背負うこともなくなったかつての名優が残した爪痕の強烈さを忘れることはないだろう。

似たような境遇から力を振り絞ったのが3着のキセキ。こちらは17年の菊花賞から4年近く勝ち星から見放されている。その間には自らのメンタルを制御できず暴走してしまったり、健闘しながらもアーモンドアイやクロノジェネシスらの圧倒的な強さに屈したりと紆余曲折があった。それでも心折れずに「もうひと花」と挑戦を続ける姿には胸を打つものがある。
道中は気分良さそうに好位を追走も、4角手前から鞍上の手が激しく動き気配は劣勢。ところがここからが菊花賞馬の意地。先頭を行くダンビュライトを交わすと、外から襲いかかってくるアリストテレスに交わされながらも必死の抵抗。最後の最後にマカヒキの豪脚に屈したが、7歳になっても現役を続ける理由と価値を証明するには十分な内容だった。これなら必ずまたチャンスが巡ってくるはず。

前半1000mは61.6秒とスローな流れながら、中盤から急にペースが上がって6ハロン目から11秒台を連発。おかげでラスト1ハロンは13.0秒を要することに。全馬がヘロヘロになりながら、意地のぶつかり合いとなったゴール前はお世辞にもレベルの高いものではなかったと思うが、そんなことは何とも思わせない気迫がこもっていた。

その熱も冷めやらぬまま迎えた毎日王冠。すぎやまこういち先生への哀悼の意を捧げての「グレード・エクウス・マーチ」による本馬場入場やG1ファンファーレでのゲートインだけでもボルテージが高まったというのに、その結末も見応えにあふれるものとなった。

火花を散らしたのは2頭のマイル王。先に抜け出した安田記念の勝ち馬田のンキングリーに対して猛然と追い詰めたのが、NHKマイルCを制した3歳馬シュネルマイスター。2頭が並んでの入線となったが、わずかに先着していたのは外のシュネルマイスターの方だった。

シンプルに強い。NHKマイルCの勝ち馬は年によってその後の活躍ぶりがまちまちだったりするが、この馬は世界に通じる可能性を感じさせてくれる。この日の勝ちっぷりも秀逸。4角ではまだ後方にいたが、進路を探りながら外に持ち出されるとそこからグイグイと末脚を伸ばし、完全に勝ちパターンに入っていたダノンキングリーを最後の最後に捕らえた。
確かに前半1000mは58.4秒と展開も向いたように思えるが、逆に道中からそこそこ脚を使わされながらもしっかりスパートできたあたりに器の大きさを感じる。まして古馬と同斤の56kgを背負わされていたのだから。
これだけの走りを見せられると次走のマイルCSはもちろん、来年もこの路線の圧倒的主役として君臨する姿が見たくなる。それだけのポテンシャルを持っている馬であることは間違いないし、それを確信させるだけのレースを見せてくれた。

ダノンキングリーも敗れたとはいえ及第点の走り。スタートで後手を踏んだことで、向こう正面からリカバリする策に出たが、最後まで脚が鈍ることなくG1馬としての貫禄は示した。こちらも次はマイルCSになるのだろうか、再戦が今から楽しみでならない。

1998年10月11日。サイレンススズカがグラスワンダー・エルコンドルパサーとの最初で最後の直接対決を、神々しいまでの逃げ切り勝ちで制した直後に若き皐月賞馬セイウンスカイがメジロブライトら古馬の強豪を退けたのが、毎日王冠と京都大賞典の「原風景」になっている。あれから23年もの月日が流れ、レースが持つ意味合いも大きく変化したが、「いいものを見た」という気持ちは決して劣らないものがあった。

これぞ毎日王冠、これぞ京都大賞典。その歴史に新たな1ページが加わり、その伝統と格式はさらに尊いものとなった。

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