下駄履き合戦

語呂がいいから「下駄履き」としたが正しくは「下駄履かせ合戦」に近いのかな。

ここに書くのは自己分析のための日記が多少誰かの共感を得たり誰かからの意見を頂戴出来たりせんやろか~~という淡い期待のために書くので、あくまでも「オレ」の話しか終始一貫しないので、「私は違う!」と言われても知らんがななので悪しからず。

オレからみた世界では、「下駄履かせ合戦」なるものが存在するように思う。「下駄」とは、なんというのだろう、年長者や上司の話は、多少つまらなくても聞く、聞かざるを得ない雰囲気があったりする。そういう下駄。話の面白さや質や、こちらへの気遣いを無視することができるもの。

本人の実力以上に大きく見せるものっていうんだろうか。ともかく、それを立場とか、年齢とかで世間体というもんが履かせてるもんもあれば、特定の人が誰に対しても履かせるのがうまい人とかもいる(後述する)。

基本的にオレから見たら、人と人ってこの「下駄履かせ合戦」をやってんだなと思った。

例えば、オレの隣にすごいできる営業さんがいる。その人なんか、めちゃくちゃ下駄を履かせてくる。

「ばしこくんすごいね~ありがとう~」

「ばしこくん仕事早いね~ありがとう!」

「これしてくれてありがとう!」

めちゃくちゃ褒めてくるし、おれの仕事も奪っていく

「いいよいいよ、君こっちやらなきゃでしょ、こっちはいいよ~」

と、ガンガン下駄履かせてくる。

でも別にそれは僕が偉いからそうしているのではない。これがデフォルトなのだ。相手をおだてて、下駄を履かせ、その人の気持ちが満足するようにする。

いや、まずい。と、いくらおだてられまくってすぐに調子に乗る僕でも気づいた。先輩に下駄履かせられるのまずいでしょ、と。

だから最初、何回か「いやいや!大丈夫ですよ!」とか「僕やりますよ!」とすぐ切り返しを入れていたが、もう一回「いや○○だからいいって~」と営業さんが言い返してくる。そうすると譲ってしまう。仕事やら雑用を。

それまた、いやいやまずいでしょ、と最近思って、ようやく何度か切り返して相手から仕事を奪うコツを覚えた。

例えば

僕「この仕事やりますよ~」

営業さん「いやいや、これ手間だからやるよ~」

僕「ちょっと手間でもやりますよー」

営業さん「でもばしこくんこの仕事は終わった?」

僕「終わってます。あと、僕ちょうどこの仕事のスキルもうちょっと身に付けたいと思ってたんで、やらせてください」

営業さん「お、じゃわかった~」

こういうやり取り。下駄履かせ合戦。いや、僕も始めたばっかだし、気づいたばっかだから、たぶんこれではない。もっと壮絶。けど、そもそもこの程度の下駄履かせ合戦すら、今までやったことない。これをやるの、営業やっている人は当たり前なのかもしれないけど、そもそも僕はよく考えたら社会人になるまでまともに下駄を履かされたこともないし、履いたこともなかった/あるいは/無自覚だったな…?という気がしてきた。

簡単にストーリー化してみると、昔、下駄履かせられるのやだったなと思って、下駄脱ぎにいってたなと思った。

そもそも、「先輩として敬れる」とか「先輩としておだてられる」という経験の類を一切していないし、また、「先輩をおだてる、敬う」という行為も全然したことなかったな…?ということもちょっと思った。

体育会系はことごとく避けてきたし、中学時代の陸上部も基本ぬるかったし、高専は上下関係とかほとんどなかったし(ただ高専時代は明らかに「人に怒られていた」という記憶は確かにあり、ただ何に対してどう怒られていたかをさっぱり覚えていないので、完全に無自覚の期間だと思う)、大学時代も多少の上下関係はあったものの、どちらにせよ緩いもので、厳しく上下関係を求められることもなかった。

また、そういう関係だったもんだから、僕からも「オイ!下駄を履かせろ!」となることもあんまりなかった。そういう概念がなかったというか、先輩でそういう人はいなかったし、それが当たり前ぐらいに思っていたような気がする。

いったんここでわざと茶々を入れておくと、結局これはわかりやすくストーリー化して分析するために書いているので、実際僕が大学当時下駄を求めていたかどうか、については、ちゃんと分析したほうがいい。

それでいうと、就活あたりから下駄を求め始めてきていたような気がする。

それまでそんなに他者とはっきりと比較されることもなかったし、多少高学歴マンにビビったりはあったものの、過剰に気にしたことはなかったと思う。ただ、就活と言うめちゃ比較される場面で、めちゃビビったし、下駄めっちゃ求めてしまって、ビミョーなところは全然受けなくて、大手ばっかり受けた。ようこれで通ったなと思った。

まあそういう流れもあった後に、社会人になった。

そこで初めて、壮絶な下駄履かせ合戦に晒されることになった。

いやーみんな下駄を求めるわ、履かせてくるわ、履かせられるわで、こんななのか、とグエーと思ってしまった。

そのあたりで、どういう話の流れかはわからないが、かなり下駄を求めるようになってしまった。本来の実力以上に自分を大きく見せたりとか、そういう下駄。会社が大手だったから、黙ってても下駄を周囲や客が履かせてくれるというのもあったんだろーか。

自分で言うのもあれだが、愛嬌はあるほうなので、人に深入りせず愛嬌でだいたいごまかして乗り切れたので、下駄履いて威張っていることがあっても、「魅せ方」はわかっていたので、そんなに困ることはなかった。

ただまあ当たり前だけど、そうやって威張っているとうんざりする人はもちろんおり、そう思った人々はたぶん黙って去っていった。

自分に能動的に連絡をくれる友人はほとんどいないのだけど、それもたぶんそれが原因なんだろうな~~とはちょっと思う。

そう考えると、そもそも、やはり大学以前ぐらいからずっと下駄を履いて威張っていたんじゃなかろうかとは思う。

その根っこに隠れていた「下駄履いて威張りたい」欲が、会社に入っていざ下駄まみれになったところで余計にその欲が掻き立てられて表に出ただけなのか…?とも思う。


元々そういう素質のない人間がいきなり会社のことだけでそうやってドーンと下駄履き人間になるとは思わないので。


ともかく言えることは、僕は当面の間、この下駄履き合戦に飛び込んで、下駄履き合戦で戦って勝利せにゃならんなあ、ということである。

今とても怖いのが、下駄履かせられてすぐに脱げるならいいのだけど、こいつ(自分)味を占めて下駄をすぐ脱がないんだよな。ということ。めちゃ威張ってる。すぐすぐ治らんだろうし、「僕は下駄履いてるのがわかった!なのでこうして治った!」みたいなクソバズお幸せストーリーここに書いてもいいんだけどそれは表向きというか魅せ用ストーリーなのでツイッターに適当に140文字に抑えて書いておバズリ申し上げる。

なので、下駄を履かせ、いかに下駄を早く脱げるかを、他人と競いあう中で、下駄履かせのスキルを身に付けていきたい。


と、まあ、別に他者に読ませる用ストーリーならここらで終わらせてお幸せハッピーエンド、無事下駄履かせを志す青年が生まれましたおめでとう、で済むわけだけれども、自己分析なのでストーリー化→破壊→ストーリー化→破壊 のループは繰り返さないといけない。

そもそも、なぜこの「下駄履かせ」のスキルが必要なのか?そんなもんぶっちゃけいらんという考えがある。なぜなら自分は愛嬌一本でそれ貫いてきたし、乗り切れる多少の力があることは理解したので。

ただ、やはりそれが通用するのは若いうちだけだな、と言うのにちょっと気づいたのもある。

あと、そもそも愛嬌一本なやり方は基本的に「他者依存」であり、相手に非常に依るところがある。飛ばされた部署の部長に気に入られるような愛嬌ならいいが、その次飛んだ部署が掃除のおばちゃんぐらいにしか気に入られん愛嬌だったら何の意味もない。これからの人生を想定して、あんまり愛嬌一本でやっていくことにうまみがないし、自分で自己決定する余裕が奪われるし、これで言うと部長に媚び続けねばならず、自分の時間は完全に他者依存で奪われるハメになると思ったので。下駄履かせスキル、下駄脱ぎスキル、必要だなと思った。

しかしもう一個問題なのが、「下駄脱ぎすぎ問題」もあったりする。

僕はナメられてやってきたタイプと言うか、後輩から下駄を履かせられることはなかったので、脱ぎっぱなしでやってきた。しかし、こちらがあんまり脱ぎすぎると、周囲の先輩は脱いでなかったりして、めちゃくちゃ浮くのだ。そうなると、逆に自身の同期の前で下駄を脱ぐことになり、もちろん、その同期が威張り散らしているなら問題かもしれないが、「あ、こいつ適度に下駄をいい塩梅で使っているな」という人を何人か見てしまったもんだから、そいつらより下駄脱ぎすぎ問題に今気づいたのである。

つまりは同期と謎の立場の差が生まれるし、しかもここで俺は下駄を履かせるスキルはないから、同期のために下駄を脱いでおりているわけではなく、ただ下にいって、後輩同様に同期を頼るだけの存在に落ちているだけなのである。

僕は後輩と同じ位置にいれば勝手に他者を敬えると思っていたが、それは下駄を脱いだ、というだけで、それだけでは足りず、相手に下駄を履かせることもセットで覚えないと意味がないのである。


眠いので今日はここまで。

下駄の明確な定義と、下駄の脱ぎ/履かせ/に表記ゆれがある気がするのでまた考え直す。



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