みんなで決めよう!なんてありえない
部署のマネージャーになって思うこと。それは、みんなで決めよう!っていう案がでてくるのはリーダーたる人間が不在であることとイコールだということ。
主任クラスのメンバーが何人かいるんだけど、ガチガチに制限をかけずに裁量を与えて判断を任せると、すぐにメンバーに招集をかけてみんなで決めよう!と言い出したことに驚いた。
ある程度の方向性まで決めたうえで、あとは各人が進めやすいやり方でやってもらっても結果は同じ、そんな場合ならみんなで決めよう!もわかる。
だけど抽象度の高い判断において みんなで決めよう! なんていったって話がまとまるはずがない。
各々が各々にとって都合の良い意見を出すばかりで、全員の意見を聞いてたらちょっとずつ何人かの意見を取り入れた、結局どっちつかずで目標もあやふやな結論になる。大抵の場合、そうやって導き出された決め事はよくもわるくもない、言ってみれば実行しても何の成果も得られない結末になる。
リーダーたるもの、これだと道筋を決めて、メンバーはそれがうまくいくよう最大限取り組むっていうのが本来あるべき姿。
たとえそれが望まない結果になったとしても、これだと決めた道筋には必ず仮説がある。だから望まない結果になったということは、その仮説が間違っていたということ、これがわかるだけでも行動した意味がある。
ちゃんとPDCAを回すサイクルのなかに入れる。
ところが各人が思い思いに出した意見をちょっとずつ取り入れた、おもしろみも思い切りもない結論は、PDCAのサイクルにも入れない。なぜなら前提自体が整理されたものではないから。
だからリーダーはたとえメンバーの反感を買ったとしても、きちんと自分の意見を通さなきゃいけないし、それを元にn数をこなして最適解に近づいていく気概を持ち続けないといけないよね。
そんなことを思ったお昼休み。同時に自分自身も、常にそれを意識しておかなきゃな、って思ったり。
どろん!
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