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自堕落なマヨネーズのように 4/26

この日記はこれから毎回何かしらのコンテンツ(前回なら秒速5センチのように)を取り上げていくことになりそうな予感がしているので、今日はまずコンテンツそれ自体について考えてみる。

コンテンツ地獄の中で

お腹が空いていつも通りコンビニに行こうとしてた時に、日記を書こうと思い立った。
”コンテンツ地獄”という言葉をたまに使う。今日インターネットでは過剰なほどの文章や写真、動画といったコンテンツがとてつもない速度で量産されている。それらには必ず指標となる数字が付きまとい、僕らはそれをみて何かを感じたり、感じなかったりする。このような様を私は”コンテンツ地獄"と呼んでいる。

私自身、昔までは比較的好奇心旺盛な方で新しいコンテンツを快く受容していたのだが、最近はコンテンツの流れが速すぎるあまり過剰摂取気味になってしまい、完全なキャパオーバー状態で新しいコンテンツを嫌煙してしまっている。
こうして人は徐々に老害になっていくのかと思いつつも、最近のコンテンツのいいねの数であるとか、他人のコメントであるとかがセットになっていることが多く、純粋な鑑賞をし、自分の目だけで評価することを難しく感じてしまうのだ。ぼーっとしてたら自分を見失って、「すごい良い!」とか思っちゃいそうになってしまう。

”リプレイ”で地獄を愛せるか

新しいコンテンツから逃げるということは、自分の好きな既存のコンテンツを何度もリプレイすることになるということだ。何回も同じゲームをやったり、何回も同じ映画を見たりする。そういった幾度もの鑑賞に堪えられるコンテンツこそ本当に信用できるし、自分を形成する材料になるのだ。そして私はこの”リプレイ”という行為こそが、自分を失わず”コンテンツ地獄”を生き抜くための方法ではないかと思う。

何度も同じコンテンツをリプレイすることがいいことだとは思わない。それこそただの老害だ。しかし過剰な速度で流行が入れ替わる今日の”コンテンツ地獄”を上手に生きるためには、愛するコンテンツのリプレイを通して、自分の速度を維持しつつ、自分自身を見失わないようにしていく必要があると思う。そうすれば自ずと、新しいコンテンツも流行に流されず自分の目を使って純粋に評価できるだろう。

色々書いたが、自分のペースでゆっくりと生きていかないと豊かにはなれない気がしているということだ。
最近はずっと晴れていたが、今日は天気が悪く、風が強くなってきていて雨が降っている。日記が書き終わったので、今から私はいつもと同じコンビニに、いつもと同じミートソースパスタを買いに行く。



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