水(死体)色

フィッシュマンズの「baby blue」という曲がすごく気に入って、よく聞いている。正しくは、気に入ったという感想は後付けで、ここ数日1日中そればっかり聞いている行動を振り返って結論づけたことだが、どうやらハマっている。

レゲエっぽいサウンドでふにゃふにゃした浮遊感が気持ち良いのはそうなのだが、それよりも、軽快さの中に「鬱っぽいなー」という感じを抱く。カラッポ、うつろであり、全体的にあきらめのムードが漂っている。トイレットペーパーの芯で作った笛の音って確かあんな感じだった。歌声がファニーなのもあるけど、困ったような泣いたような、やるせない笑い顔、空気の抜けた空気人形の感じなのだ。それはたとえば、若いときのロバート・デ・ニーロ(「タクシー・ドライバー」のとき)の笑顔に似ている。

(本当は「baby, it’s blue」だが) サビの歌詞が「baby’s blue」と所有格に聞こえることや、「君の肩」が「白い」のも気になった。「誰よりも 大好きだった」と過去形なのも。僕と君が「二人落ちていく」先の青色は水中のようでもあり、空中であるような感じもする。いずれにせよ、淡々とした目線で語られる「君」は今にも消えそうで、すごく不安定なのだろう。それを見守る「僕」は献身的だがどこか(すべてを)見限っているような感じもあり、色々犠牲にしていそうだ。明け方、オーバードーズした「君」による結果の惨劇を、何も言わず、感情を殺して処理している感じである(床の吐瀉物を拭うとか、破れたガラス片を新聞紙でくるみ、ゴミ袋に「ワレモノ」と書くとか、そういう虚脱行為)。

ベイビーブルーは幼くて静かな色だ。青白いものは清潔で爽やかなイメージだが、しかし、不健康なふくらはぎや水死体も青白い。
フィッシュマンズの「baby blue」から連想される色は、初めは漠然として不特定的な水色である。しかし、だんだん水色が単なる「淡い青」から、「水の色」の映像的なイメージに変化していって、それに伴って水や青に関する色々な情景がぷかぷか出てくる。

例えば、塩素の臭い(匂いではない!)がするプールの水、バスタブに溜まった昨日の残り湯、唾液とか涙とか身体から分泌される水分、蛇口を捻った瞬間の表面張力で盛り上がる水、新聞のインクの青、の鼻がクッとなる臭い。空想的でふわふわした、手応えのない水色ではない。具体的で、手触りやにおい、質量がしっかりあるリアルな水に変わっていく。そもそも水は無色透明だから、水色は青色ではないのだった。じゃあ水色の青って一体どこからくるんだ。そういう幻滅もちゃんとある水。放っておけばいずれ腐る水である。

「君とだけ二人落ちていく」最終的な水色はどんな色かというと、膨張したキズパワーパッドから透けて見える膿の、嘘のような白さ、そこから染み出す組織液とかそういうぶよぶよした、でもなぜか美しい、青白さだ。透明と見間違えるくらいの、薄くて淡い水色と地続きに、どんどん冷たく硬くなっていくほっぺたの色が重なるようなイメージがある。二人はそういう死に近い色すら淡くて儚いキレイな水色、「baby blue」に見えている、いやもはや「baby blue」の風景そのものになっているような気がするのである。「友達もいなくなって」という歌詞がもう後に引けない感というか、決定的な感じがして心が切りつけられるようだが、窓を全部目貼りしたアパートの一室から差し込む月明かりの青、均等な青に包まれて二人の境界がうやむやになっている光景、蛇口からポタポタ垂れる水の音の規則的なリズムとか、そういう感じがするんだよなー。 


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