ホオポノポノ日記130

悲しい気持ちと恐れについて

何をするにも、怖くて、できないと思っていて、基本的にいつも悲しくて不安

っていう自分を置いていきたくないのだと気がつきました。

そして、手放しとか置いていく必要がなくて

この感覚って、めちゃくちゃ嬉しいこととセットなのだとも気がつきました

すごく怖い、扉を開けたくない、将来が怖い、今までと何も変わらないんじゃないか。

これが、ある一方で

もう、大きな流れ、みたいなものがあるなら、それに身を任せたい。可能性に任せていきたい

っていうのも、本音。

自分に、「自分を愛してるよ〜」
って言うんですよ。

悲しい時に、どうしていいかわからなくて、その気持ちを感じると怖くて爆発してしまっていたので、 うぎゃーって外に跳ね返してばかりいる自分自身が怖かった。

人といると言いたいことが言えなくなったり、もたもたしたりするのも嫌だった

嫌なことばっかりで、意外に暗い私をどう表現したらいいんだかもわからなかったし、テンポについていけてなかった

この自分を置いていくと、全てがだだ滑りになってしまっていた。

できない、無理、そんなことできない、あり得ない、絶対にできないって気持ちがあるのは
こうできたらいいな、やれたらいいな、やってみたいな、これもしたいな

って気持ちがあるから。

両方が流れている。

新しいものに出会っても、喜びを感じられないんじゃないか、とか、また、怖くて自分で全てをダメにしてしまうんじゃないか、とか、楽しめないんじゃなか、とか、一歩踏み出す以前の内側のところで、本当にいいのかな??ってなってる。

希望の光、みたいなものを探すんじゃなくて、この、ただいつも漂ってるペーソス的なものは、いつも流れている喜びの歌と同時で、オーケストラで言うところの低音高音みたいなもので、両方の音域を常に聴いていてもいいんじゃないのかなって、、

〇〇しないとダメって私が怒りまくっている時、何かに焦って慌てている時、音楽そのものは常に流れているんだけど、何か、オーボエだけはだめ、とか、トランペットだけはここで聴こえてはいけないみたいにしてるんじゃないかな

全部聴こえてきてもいいよ、だって、それが交響曲だから

ってことだとしたら、、?

音楽は既に自由な場所から流れているのだとしたら、、?

意志の力ってものは、私の外側から、いつも流れていたら、、?

そんな風に、内側と外側のことを感じながら、今日も過ごしていきたいです。

内側の、悲しみ、みたいなものを温めて、溶かして、いいんだよこれで、って感じで、自分の内側の洞窟みたいなところが温かく輝いているような気分で過ごしたいと思います。

やっぱり、海外にいきたいという想いが強く出ています。
とても重たくて今、身動きが全然取れない感じだけど、とりあえず、今取り組んでいる絵を描き、それが終わったら、自分の住みたい場所、仕事の在り方、個展のこと、少しづつ、スタートしていきたいと思います。

ありがと〜
ごめんね〜
許してね〜
愛してるよ〜

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