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5歳になったら、小学生

9月から、娘の学校がはじまった。

夏休みが終わったから、ではなくて娘がこの8月の終わりに5歳になるからだ。ニュージーランドでは、5歳から小学校に入る。「春になったらみんなでそろって入学式」というイベントは、ない。

移住してきた当初は、夫と二人だったので人づてに聞くNZの教育システムがぴんとこなかった。なによりも、「5歳の誕生日がきたら、学校に行く」「入学式はない」ということに、バラバラにスタートするの?と不思議に思った記憶がある。

ようやく娘が5歳になり、だんだんと「そんな風に小学校がスタートするのか…」と親の立場で体験して面白いなと思うことが増えたので、同じように「5歳から小学校?」とはてなマークをつけている人のために、書き残しておこうと思う。

まずNZの義務教育は、5歳からスタートできる。

小学校はYear6まで、
中学校はYear7と8
高校がYear9から13(ただし、Year11までが義務教育)

小学校の入学式がないときいて、一番疑問に思うのは、学校に入る日をどうやって決めているかだ。

NZの教育省の規定では5歳から6歳になる間に小学校に入ればいいことになっている。つまり、5歳になると小学校への入学基準を満たし、本人に都合のよいタイミングで学校に入ればいいというシステムなのだ。

そうはいっても、新学期とか月の初めとか、ある程度の「区切り」みたいなものがあるのかな?と思っていた。しかし、娘が5歳に近づき、周りのお友達がどんどん小学校に進学していくのをみて、本当にバラバラなのだと知った。

ある子は、5歳の誕生日の翌日から小学校に行く。

ある子は、5歳になってその翌週から小学校に行く。

またある子は、5歳になって2ヶ月後の新学期から。

いちばん多いのが、5歳の誕生日翌日から入学するパターン。火曜日だろうが水曜日だろうが関係ない。希望した日から、学校生活をスタートできる。

長い夏休みの直前に5歳になる子は、休み明けの新学期のタイミングまで待つこともある。NZの夏休みは12月半ばから2月まで。2月から、新しい学年が始まる。あとは、子供の希望を聞いてちょっと入学を先延ばしするとか、下の子が生まれたばかりだから少し落ち着いてからとか。とにかく、その子にとって良いタイミングを選んで入学してくる。

じゃあ、受け入れる学校のほうはどうしているのだろう。

小学校の1年生にあたるのは、Year1のクラスだ。とはいえ、新学年の2月に入学した子と、8月に入学した子では、リーディングも算数も学習度合いに開きがある。

そのため、Year1には「Entry Class(Year0)」とよばれるものがある。5歳になって入学する子はまずEntry Classに入る。そして学習度合いによって、Year1に移動する。

クラスの移動は、科目毎に対応している。算数が得意な子は、算数の時間だけYear1の教室に行く。リーディングの時間もしかり。つまり、子どものレベルに合わせて、学校側も細分化した対応をしているというわけだ。

あと、日本と大きく違うのは教科書がない。ノートは指定サイズのものを使うけれど、教科書はなく、先生がプリントを用意している。だからこそ、こっちのグループの子はこれをやり、あっちのグループは別の内容をするなんてのが可能になるのだろう。

実際に見学したリーディングの授業では、こんな風に授業をしていた。

まず、授業開始の時点でYear1とEntry Classで生徒が数名入れ替わる。Year1の教室に行く子もいれば、Year1からEntry Classに来る子もいる。そして、先生がみんなに共通のプリントを渡す。その日の文字は「K」。プリントは、Kのつくキャラクターの絵柄を塗りましょうというもの。Kidsとか、Kiteとか。

そして、プリントが終わったら教室の中で静かな遊びをしましょうと言われる。小学生と言っても、まだ5歳。日本では年中さんの年齢だ。教室内は幼稚園のようで、パズル・お絵かき・人形・おままごとの道具・絵本と、あらゆるおもちゃがある。

みながプリントに色を塗っている間、先生が4名から5名の子どもを指名して集める。そして、本を取り出し一緒に読む。読む本は、グループによって違う。多分、レベル別に分かれているのだろう。この本も、教科書ではなく図書館から借りたものらしい。

先生がグループのリーディングを担当している間、子どもたちは大人しく課題の色塗りをしている…わけではない。やっぱり子どもだから、飽きて隣の子と遊び始めたり、モノを投げたりする。そのたびに、先生が静かにしましょうと注意をする。

課題は簡単だから、終わったら思い思いに遊びはじめる。9時から授業がスタートして、10時を過ぎるとお腹も空くのか、床に寝っ転がっている子もいる。人形で一人遊びをする子もいれば、複数人で絵を描く子、押しくらまんじゅうをして先生にまた注意される子。教室内は5歳児クラスらしく、わちゃわちゃしている。

ちなみに机と椅子はあるけれど、日本のように個別の席はない。数人が座れる大きなテーブルが4つほど。先生の話を聞くときは、前に集まって床に座る。

とにかく、すべてが日本で教育を受けた私の体験とは違う。娘は入学して早々にスポーツイベントがあるのだけれど、それも私が想像する「運動会」とは違うのだろう。

私の育った教育システムと、NZのシステムを比べてみると「ゆるさ」が違うことに気づく。日本の教育システムは、碁盤目のようにぴしーっと綺麗に線を引くことを目標としているように見える。ココまでが正しくて、ここから先は間違っています。だから、この枠線の中に入っていられるようにしましょう、というように。

60分静かに席に座って授業を聞いたり、朝礼で一糸乱れぬように列に並んだり。先生のお話を、黙って静かに聞ける子は「いい子」だ。授業中におしゃべりしたり、列からはみ出す子は注意される。

もちろん、NZの学校だってルールを教えてくれる場所だ。でも日本のそれは、ルールを覚える以外にもれなく同調圧力もついてくる。同じような外見で、同じ制服を着て、乱れぬ枠内にいることを覚えさせられる。飛び抜ければ目をつけられるし、ついて行けない子はそのうち冷遇される。一緒だからこそ、嫌でも違いが目についてしまう。でも、日本の教育はどこまでも枠線内におさまる「正しさ」が正義だ。

…と、息巻いて日本の教育の粗を指摘しようとしたけれど、やめた。だって、私は「いま」の日本の教育事情をほとんど知らない。私が小学生だったのなんて、もう20年以上前のことなのだから、きっと変化しているのだろう。

ただ、私は日本の窮屈さに疲れていた。コピーをとったら、数ミリのズレを指摘されること。習っていない計算式だと、正解をもらえないこと。チャイムがなったら、すぐさま席に座るのがクラス目標。浪人という言葉があって、年齢での暗黙の上下関係をすぐに確かめたがるところ。

周りの目を気にして、正しく振る舞う優等生であることが当たり前だと思っていた。だから、日本社会に疲れて離脱した。そしたらたどり着いたNZでは、どうやらゆるーい枠組みを作って社会が動いている。飛び級する子もいて、進級のスピードが違う。学年の仕切りもあるけれど、鉄格子のように固い物ではなく、柔らかいゼリーのような、とにかく他者を排斥しない。

こんな社会もあるんだなあと思った。もしかしたら、私が育った日本社会のほうが「特異」なのかもしれない。どちらも良し悪しはあるのだろうけど、いまのところ、こちらのほうが肩に力を入れずに生きていける。

もうさ、人はみんな得意なこともスピードも違うのだから、一緒であることを強要しなくてもいいよね。NZのほうが日本より断然いいぜ!とは言いたくない。でもまあ、疲れた人は来てみるといいかもね。いままで生きてきルール以外の仕組みで動く社会があると知れば、背中に乗っている重みも、ちょっとは軽くなるかもしれない。

小学校に入って1週間。娘はさっそく風邪を引いて2日休んだ。もし皆勤賞を目標に掲げるクラスだったら、私が気にしてピリピリしただろうななんて想像する。小さい人間だなあ。

娘が大きくなったら、日本の学校に通いたいと言い出すかもしれない。それはそれで、いいと思う。自分のいきたい世界を見に行けばいい。そこで出会うことすべてが、娘の人生の一部になるのだから。

とりあえず、お友達ができて「小学校楽しい!」という娘の笑顔を見ながら母は安堵している。友達100人作ろうなんて思わなくてもいいから。毎日、笑顔になれることがあるといいね、なんて願う。




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