泣き虫である|1

 大人になるにつれ機会は減ったが、幼い頃はずいぶん泣いていたような気がする。決して暗い幼少期を過ごしたわけではないのだが、思い出の中の天気はくもりのことが多い。だから思い出も、何となく悲しいものが多い。

 幼稚園の頃である。休み時間にクラスのみんなで園庭へ行って、ブランコで順番に遊んでいた。ブランコは4つだから、1回に4人ずつ乗って、待っている子たちは「貸〜し〜て〜」と呼びかけて譲ってもらう。大抵の場合、相手にそう言われたら「い〜い〜よ〜」と返事をして交代してくれる。ところが、私が並んでいたブランコの子は、「貸〜し〜て〜」といくら言ってもブランコを降りようとしない。彼女は得意気に立ち乗りして、こちらをじっと見ていた。なんとも憎たらしい。そうなると、私だってヤケである。伸ばし棒のついた平穏な「貸〜し〜て〜」は次第に「貸してッ!」となり、それでも彼女には効かないから、私は半べそである。

 結局休み時間が終わってしまい、クラスの子たちが教室へ駆けてゆく背中を見ながら、私は近くにいた担任のM先生に、「〇〇ちゃんがブランコ貸してくれなかった」と言った。するとM先生は「行雲ちゃんは遊べなかったから、しばらく遊んでから教室に戻ってきてイイよ」と言ってくれた。M先生は教室へ向かったが、お許しを得たので、副担任の先生と一緒に、5分だけブランコで遊んだ。〇〇ちゃんには貸してもらえなかったけど、こうして自由にブランコに乗れるのであれば貸してもらわない方がラッキーだったな、などと呑気に考えながら、私はブランコを揺らしていたのだろうか。その後の出来事が衝撃で、遊んでいる時の記憶はない。

 満足した私が教室へ戻ると、M先生は「なんで戻ってこなかったの?みんなはもうとっくに戻ってるよ!」と、先程までとは人が変わったように鬼の形相で怒ってきた。一体どういうことだろうか。M先生が遊んでイイよと言うから遊んだだけではないか。理不尽に怒られたことで悲しくなって、私は泣いた。

 その後、私は廊下に立たされ、我が子を迎えに来ている保護者たちの目に晒され、幼少期の私でも持っていたプライドは傷ついた。こうして文字に起こした今考えてみても、おかしな話である。きっと一緒に遊んでくれた副担任も困惑していたに違いない。初めて親以外に怒られた気の弱い私は、どうしようもなく涙が溢れて仕方がなかった。

 私は今でも時々その出来事を思い出し、なぜ怒られたのか考えてみる。M先生の立場になったら、私は怒るだろうか。いいや、怒らない。だって「しばらく遊んでイイよ」と言ったのはM先生なのだから。やはり何度考えてみても、あの時のM先生は酷かったなァと思うばかりである。


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