休日の罪悪感

 活発な人が羨ましい。私のかつての先輩Tさんは、休日でも必ずどこかへお出かけして遊んでいたし、友人のYはスケジュールがいつも埋まっているから、会う時は何週間何ヶ月先から予約しなくてはならない。この人達の体力は一体全体どこから来ているのだろうか。
 私は休日に罪悪感を抱くことが多い。休日なのだから好きなように過ごせばいいのだが、本当にそれでいいのだろうかと悩んでしまう。

 お出かけする日は目的があるから、充実した休日と言える。朝から電車に乗って遠くへ行って買い物し、お昼時は混むから14時頃にレストランで夕飯を兼ねたランチを食べる。それが済んだら、またゆっくりお店をまわるか、疲れていたら帰る。家に着いたら買ってきたものを袋から取り出し、ひと通り眺める。
 遠くへ行かなくても、午前中から近所をお散歩して、帰りにスーパーでお昼ご飯を買って、午後は家でゆっくりするのも半立派な過ごし方と言えよう。
 私が罪悪感を抱く休日というのは、午前中から何もせず、グータラ過ごす日のことである。例えば次のような休日だ。

 朝起きて、お手洗いを済ませ、洗顔し、服を着替え、朝ご飯を食べる。この間約15分。朝食は大抵バナナとヨーグルトだから、すぐに食べ終わる。歯磨きをしたらソファーで横になってスマホアプリの巡回をして、ウトウトする時は目を閉じる。これでも音は聞こえているから完全には寝ていない、と主張しておく。
 10時頃にテキトウなYouTubeを見始めたりしてお昼まで過ごす。意欲的なグータラ休日の場合は午前中から映画を観るから、これはこれでいい。
 12時頃に昼食を食べながら2本立てドラマを観て、特にハマっているドラマがない時は午前中からのYouTubeを継続する。
 午後はお風呂の時間まで音楽を流してソファーで横になったり、スマホのアプリを巡回したりして、おおよそ午前中と同じことをしている。
 17時頃お風呂に入り、上がったら夕飯を食べ、その後は映画やドラマを観るかゲームをして、10時か11時頃にはベッドに入る。

 こうして文にしてみると、本当に何もしていないのだと痛感した。グータラしている間も、このままだと1日を無駄にしてしまうから何かしなければと焦ってはいるのだが、結局頭の中で思うだけで、一度ソファーに横になってしまったら何もかも面倒くさいのである。

 お出かけしない日は絵を描いたりアレコレ制作するのが理想だ。朝からやる気のある場合は日中ずっと制作している時も、少なからずある。
 つまりは、いい休日とグータラ休日の活動量に差がありすぎるのだ。もっとバランスよく出来ればいいのだが、体力がない私にはこれがなかなか難しい。

 寝る前に1日を振り返った時、今日も何もせずに終わったと自分に呆れるのだが、次の休日こそはと思いながらも、また同じようなグータラ休日を迎えるのだろうと心の奥底で感じている。


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