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4/30 Mon



4月、振り返ると本当によく泣いた月だった。たくさんの物事が変化していく中で、何も出来ずに立ち尽くしている私がいる。去年の4月とは見ている世界がまるで違う。まだ、子どものままでいたくて、苦しんでいた時期。



5月、私の誕生日がある。本当に子どもと大人の狭間。でも、社会に一歩を踏み込んでみると、大人の一員として組み込まれてしまう。子どもの私は批判されてしまう。これまでの私の考え、行い、関わり、全てがその対象。そして、私は大人になることをひそかに受け容れる。東京に来てこの場所に始めて立った時、私は、私と関わり合った人たちが不本意に非難されてしまうことが、すごく辛かった。また、そう思わせてしまう自分自身の過ぎ去った時間が許せなかった。あの日々を乗り越えたと思っても、未だに、たくさんの忌憚のない声に囲まれて "あんな経験しなければよかった" と思う日があって、"あの経験をして良かった" と思う日があって、どちらが正解だなんてまだまだ分からない。多分、泣いていると気持ちが変わるように、そのほとんどのことは時間が解決してくれる。でも正しくは、その時間を私が生き続けている、ということなんだろうな。今年、私はちゃんと19歳を迎えます。



先日、私の誕生日の花言葉は《何も変わらないもの》だと知った。悲しいけれども、人はいつか変わってしまうもの。ある人はそれを、成長と言ったりするのかもしれない。私も変わってしまうのかな。でも、もしも変化なき進化が起こり得るのならば、私はそちらのほうにかけてみたい。素直に泣いたり、笑ったり。たとえどんな場所であったとしても、まっすぐで、正直な気持ちを持ち続ける女性でありたい。俯きながらでも、優しさに答えられる人でありたい。
そうして前を向いて見ると、ひとつ、成長という言葉を私の中にも見つけた。その発見とは、これまでの私にはこんな文章が書けなかったこと。決してこんなことができる人間ではなかった。それは、明確に言いきれることだ。有難いことに、今は気がついたら長ったらしい文章を綴っていて、私は私を放り出すように文章を書くことで、呼吸をするような感覚を楽しいと感じている。だからこそ、「どういう事態なのか現実的にはっきり述べるか、あるいは内容を分かりやすく伝えなさい。」と、ある人は言うのかもしれない。確かにそうだ。けれども、今は、今だからこそ、その行為や表現の背後に感じられる奥深くしみじみとした風情に、悠揚な落ち着きを感じてほしいと願っている。



また今日も、私は私の目の前に広がる世界を書く。こうした私の成長には、大切な原則があることを皆さんはお気づきだろうか。それはちょっとしたことで、『 自分の気持ちに向き合う時間を持ち合わせている 』というもの。書くべき言葉に出会えなかった頃の私は、その時間を作ろうとしていなかったことに気がついた。ここに、ある人との出会いがある。その人は、何かを「してあげる」というスタンスではなく、物事に向き合って考える時間を共に過ごしてくれた人。たくさんの出会いの場をつくってくれた人。ズキズキしながらも泣きそうな私の心を押してくれた人。私も、今だからこそ言いたい。いつも変わらずに、同じ距離の声の愛のあなたがいること。あなたの願いと祈りはいつも心の片隅に。



たくさんのコメントをして下さった皆様、ありがとうございます。ひしひしと、ひとつひとつの温かいハートが私の胸に染み込んでいます。いたずらに経過する自分の命のことを考えるにつれて、時々、暗澹とした気分に突き落とされてしまいます。けれども、皆様の穏やかな態度があらゆる方向から私を包み込み、その上に成り立っている話全体を、より静謐なものへと導いて下さっています。それらは、私にとっての確かな光です。


どうか、できたての優しさに触れてください。