名歌名曲に誘われて憧れの地へ(谷間に三つの鐘が鳴る パリ)

第3位 谷間に三つの鐘がなる(フランス パリ)・・・秋深まるごと、アコーディオンの調べがモンマルトルへと誘う

 
はじめに・・・
 コロナ禍でどこにも行けなくなり、誰にも会えなくなり、この先どうなってしまうんだろうという
漠然とした不安のなか、旅への憧れを持ち続けていただきたい、みんなとつながっていたいという
思いで、4月からブログの形で、海外のよしなしごとを綴ってきて今日で100日目。
 皆さんにお読みいただいていることを励みに続けてきましたことを厚く感謝申し上げます。
ありがとうございます。これからも、いろいろな世界を綴ってゆきたいと思います。何卒宜しく
お願い申し上げます。

 さて、今日の、第3位、谷間に三つの鐘が鳴る・・・
 18の春、東京へ出てきた時に上野から直行した場所が今はなき「銀巴里」だった。当時出演していた人達ももう少なくなり隔世の感は免れない。しかし、そこで覚えたシャンソンの数々はわが青春の詩として鮮明に残っている。越路吹雪さんの「愛の賛歌」や金子由香利さんの「想い出のサントロペ」など数えたらきりが無いが・・・何と言ってもエディット・ピアフが歌った「谷間に三つの鐘が鳴る」「パダン・パダン」「ばら色の人生」などが原点になった。

パリに行ったら是非行きたかった、エディット・ピアフが出演していたモンマルトルにあるシャンソニエの「オ・ラパン・アジル」。始まるのが9時ごろ、終わるのが午前2時なので、夕食をとっていったら丁度よかった。店内はそれほど広くはなく、観光客というより常連の客が多いように思われた。歌手と客との冗談の投げ合いがまた新たな笑いを誘い和やかな雰囲気に包まれる。フランス語が分らないので笑うタイミングが全く分らず戸惑ったが、ここでエディット・ピアフやイブ・モンタンが歌っていたかと思うとたまらなかった。知らない曲と曲の合間に知っている曲も出てくるがどの人も歌がうまい(当たり前だが)のに感心しきり。アコーディオン、巻き舌と喉の奥から発せられるフランス語の心地良さが忘れられない。また、最初に行った時がよかった。ユトリロの雪のモンマルトルとは違ったがかなり寒い晩秋だった。語りかけるようなシャンソンには秋が似合う。

 1970年代、越路吹雪さんがそのリサイタルの中でエディット・ピアフの生涯を綴った「愛の賛歌」の公演があった。そのオープニングが「谷間に三つの鐘が鳴る」だった。颯爽と現われる越路吹雪さんが忘れられない。この曲はエディット・ピアフがアメリカ公演で歌い、それをジミー・ブラウンがカバーして世界的なヒットになった。実は私も最初に聞いたのはジミー・ブラウンの方だった。

 このテーマの「バイカル湖のほとり」のくだりでうたごえ喫茶「ともしび」が創立50年を迎えたと記事にした。当時の団塊世代の郷愁を集めていると言う。その意味でもう一度「銀巴里」のようなシャンソンが聞ける場所の復活も願うがもう時代感が全く違うので無理というものだろう。 

 エディット・ピアフは1963年、47歳の若さでこの世を去った。公式の命日が私の誕生日であるので忘れられないが、墓地で行われた葬儀は4万の人で溢れ、パリの交通が麻痺したとシャルル・アズナブールは述懐している。もっと長生きをして欲しかった一人だ。

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(パリの高台・・・モンマルトルの丘 Wikimedeaより)

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(ありし日のエディット・ピアフ・・・Wikimedeaより)

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(懐かしのシャンソニエ、オ・ラパン・アジル・・・Wikimedeaより)