一度は行ってほしい世界文化遺産 中世編(アンコールワット カンボジア)

第9位 アンコール遺跡群(カンボジア)・・・これをアジアの宝と言わずして何という

 21世紀に入って、アンコール遺跡群のあるシェムリアップの発展の目覚しさを何と表現すべきか迷う。カンボジアの内戦が終結したのが1990年。しかし、政体は不安定でまだ小競り合いが続いていた。ポルポトが率いるクメール・ルージュの残党も山の中で息を潜めていた。そんな中、カンボジア旅行も胎動し始め、アンコール遺跡の日帰り観光から始まった。

 プノンペンから一日一便の飛行機が飛んだ。シェムリアップで待っていたバスは日本で走っていた路線バスだ。当時はアンコール・ワットの大伽藍と四面観音像で有名なアンコール・トム及びバイヨンぐらいしか見ることができなかった。それは、日帰り観光だったため、時間的な制約があったことが理由だったが、もう一つの理由として、クメール・ルージュの忘れ物の地雷が完全に撤去されていなかったからだ。昼食はシェムリアップの唯一のホテル、グランドホテルでとった。フラシス・F・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」さながらの建物でいっぺんに気に入った。しかし、そんなものは邪魔だと言わんばかりに、それからすぐに取り壊された。そして、タイや欧米のホテルの進出が目覚しく、そのお陰でインフラが整備され、地雷も完全に撤去されて、一大観光リゾートの趣となった。その開発に合せて、ジャングルの中に眠っていたワットやトム以外のクメール人の遺跡が蘇ったことでアンコール遺跡の全貌が見えてきたことだ。たかだか10年の間の出来事だ。

アンコール遺跡は9世紀ごろからクメール人によって建造され、12世紀のスールヤヴァルマン二世、ジャヤヴァルマン7世の時に絶頂を迎えた。そして、15世紀に放棄されるまでの約600年に渡る壮大な石造文化だ。興味深いのは、あの激しい雨の降るモンスーンに建造物が耐えてきた石組みや排水の技術力だ。それに、回廊に彫刻された女神や神話のレリーフ、さらに、トムの四面観音像などの審美性の高さにも心が奪われる。

最後に、アンコール遺跡で忘れられない方は、クメールの技術力を、発掘しながら解明している上智大学の学長だったの石澤良昭教授だ。先生の著書は元より、NHKの番組でも何回も放送されて周知の方が多いと思うが、一番感心させられたのは、発掘と修復をカンボジア人の手に担わせようとしている「人づくり」だ。

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(アンコールワットの素晴らしい威容・・・Wikimedeaより)

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(アンコール・トム遺跡の仏面塔・・・Wikimedeaより)

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