思い出の、あの映画シーンに誘われて(ブラザーサン・シスタームーン アッシジ))

第4位 ブラザーサン シスタームーン(イタリア アッシジ)・・・聖人を育んだ美しいアッシジに行く前にこの映画を

 今や大抵のイタリアの周遊旅行に含まれているアッシジはローマとフィレンツェの中間にあり、背後にアペニン山脈の支脈の山並みが迫っている。アウトストラーダ・デル・ソーレ(太陽道路、高速1号線)を外れ、スバシオ山の懐にひっそりと佇む町アッシジは中世の聖人フランチェスコを育んだ町としてつとに有名だ。

フランチェスコの伝記に寄れば、彼はアッシジきっての裕福な家に生まれるが、隣町のペルージアとの戦争で捕らえられ、高熱に冒され、神の啓示を受け、町外れの崩れかけた教会(サン・ダミアーノ修道院)を再建する。そして、時のローマ教皇は、神聖ローマ皇帝との権力闘争下で絶大な権力を持っていたインノケンティウス三世の時代。その教皇から「清貧」「貞潔」「従順」の三つの教えを規範に据えたフランチェスコ修道会の設立を承認してもらう。

 アッシジといえば、町の左外れに一際大きな聖堂と修道院からなるサンフランチェスコ大聖堂が見えるが、これはフランチェスコが45歳の生涯を閉じた2年後に建てられた教会だ。町の中心はそこから、ゆっくり30分ほど歩いたところのコムーネ広場になる。映画ではこの広場でフランチェスコが自分の衣を脱ぎ、父親に渡す、いわゆる、富の象徴の父から授けられた衣類の放棄のワンカットが描かれている。

 「ブラザーサン シスタームーン」は聖人フランチェスコの生涯の物語だが、ブラザーサンのフランチェスコとフランチェスコの忠実な信奉者シスタームーンのクララ(キアーラ)の物語でもある。そのクララの教会がサンフランチェスコ大聖堂に相対するように町の右外れにあるサンタ・キアーラ教会で、この場所も必見だ。更に、重要な見所が二つある。一つは、前段で触れたフランチェスコが修道生活を始めたサン・ダミアーノ修道院。キアーラ教会から更に右の城門ヌォーヴァ門を出て、急峻な坂を下りたところにある。もう一つはウンブリア盆地の新市街にある聖天使の教会の中にあるフランチェスコ終焉の小さな祠「ポルチ・ウンクラ」。ともに12世紀後半の建物で当時の質素な生活を十分に伝えている。

フランチェスコの生涯はジョットによってサンフランチェスコ大聖堂の上部聖堂に28枚のフレスコ画で残されている。また、下部聖堂には、ジョットの師であるチマーブエの絵も必見だ。こんなことをしていると時間がいくらあっても足りないが、ここでは宿泊するツアーを選びたいし、計画を立てたい。宿泊は背後の山の名前を取ったホテル・スバシオ。願わくば、ウンブリアの平原が見渡せる側の部屋がお薦めだ。毎度のことながら、泊まることで朝、夕の素晴しい時間を得られること必至。

 更に時間のある方にお薦めなのがラ・ヴェルナ。アッシジから2時間ほど北に上がったアペニン山脈の山中。ジョットの絵にも描かれているフランチェスコの一大ページェントである聖痕を受けたとされる場所だ。鬱蒼とした森の中に聖堂があって、世界中からやってくる巡礼客が絶えない。また、ウンブリアからトスカーナにかけては寄りたい山上都市が目白押しだ。アッシジの手前のオルビエート、スポレート、スペッロ、ペルージア、コルトーナ、グッビオ、アレッツォ、シエナ、サンジミニャーノ・・・まだまだあるが、別の機会に紹介して見たい。

 最後に一つ。ピアノの詩人リストは「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」という曲を残している。フジ子・ヘミングの得意のレパートリーで彼女のショパンのアルバムに入れられている。

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写真の右が山の頂にある城塞、その左に見える鐘楼がサンフランチェスコ大聖堂。写真中央の
紺色のクーポラがアッシジのドゥオーモ(サン・ルフィーノ教会)そして、写真左の目立つ鐘楼が
サンタ・キアーラ教会。 Wikimedeaより

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(フランチェスコが眠るサンフランチェスコ大聖堂。Wikimedeaより)

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(シスタームーンのサンタ・キアーラ教会・・・Wikimedeaより)

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(ブラザー・サン・シスター・ムーンのDVDジャケット・・・Amazonn提供)