恋!
恋をしてるってどういう何だ。
(記事の一番下が一番最近の様子です)
・仮定義の発端 2021.12
「恋愛って動作なのか」
恋愛漫画などから得た少ない情報をもとに私が導き出した世間の恋愛観、そこに感じた違和感がこれだ。
行為というか動作って感じがしたのだ。
私は、愛は状態であるのが好きだ。
するではなく満ちてるのがいい。呼吸をしようとして呼吸をしないように、自ずから循環していくもの。漂っている当たり前を愛だと思っている。
で、その愛を「したら」それは恋と呼べるとっておき体験に昇格する。動作を伴えば因果から物語が生まれる、そういうのを恋というのだろう。
・おなじやろがい
恋愛を、私は小説と漫画で知った。
本の中はこちらと違い、物語が進む動力がかなり強い。幸せだなァとのんびりしている場合ではない。人の心の揺れとアクションが直結していることでブーストが掛かりすぎている。
行動の動機とするところに愛がある。これはいつ如何なるときもそうだ。
その向かう先が複数であり得る場合は友情の愛、一人でしかあり得ない場所は恋愛、というふうに区分されていると定義して、読み進めた。
私は基本的に目の前にいる人間が愛おしくて仕方なく心の中で「キャーこっち見てくれたー!」と悶えつつクールな表現を崩さないむっつりスケベなので、この定義でいくと周りの人間に対して(過度の)「友愛」を送っていることになる、と思う。
ところが実際その人を愛でている瞬間はその人しか見えていないんだから、恋愛も友愛も変わらなくないか?
変わらなくないですか??
ただ「尊い」だ。
尊みでいっぱいいっぱいなのでその瞬間に思考は無く、思考がなければ今以外を作り出せるわけがなく、また今しかないので愛しい人が1人でも100人でもまったく同じ尊みだ。
もともと時間軸の上を歩くことが下手だし、友愛と恋愛の判別なんてできっこない。どうでもいい。
物心ついたときから常に目の前に好きな人がいる。人がいない場合は好きな物がいる。好きというのは美しいイメージのことである。好きじゃないモノは世界(眼中)に居ることができない。
・ifの告白 2019.10
「目の前の人間が美しく尊い」
これを愛としたときに何ら問題がなく、恋としたときにあらゆる不自然不条理不調和が生まれる説。
私が高校生の頃に立てられた説である。
高校生の私は当時尊んでいた人間から「好き」の言葉をいただいた。クラスメイトだ。
もちろん万歳しちゃうくらい嬉しかった。推しに認知してもらえた上に最強のファンサをいただいたのだ。照れ照れつつも最大限の感謝を伝えた。
単純明快happyである。
しかしその子は、自分はあくまでぜんに恋をしており、私がその子を好きで居るのは分かるけどいつかは恋人として好きになってもらいたいのだと瞳に熱を湛えていた。
?
そんなところに区別がある子もいるんだなぁとおもった。
私だったら愛してる相手から愛をもらったら舞い上がって、それが友のやつか恋のやつかなんて考えもしないと思うから。
問. 友達でなく恋人として好きになるとは?
難問であります。
現代の日本が一夫多妻制・一妻多夫制でないことを考慮するとたぶん、恋人=特別ってことになる。
特別…。他の人間と比べてはじめて発生する概念よね。
比べるってのは、何か目的があってそれが達成されない可能性を減らしたい時とかに採用される地球人独自の術である。
私もあの子もきっと、愛し合い尊び合うことが目的だ。みんなそうだ。
告白してくれた時は二人だけで話していたから、私はその子以外に愛を向ける余裕がなかった。本人もそれを承知していたはずだ。
ということはもしかして、見えないものを見ようとして…私がその子を愛でていないifを生み出してそこを心配していたというの?
確かに特別だと言質を取ったら頭の中を占めるifの割合は減る。
そんなことある?
いや、あの子くらい頭の回転が速くて計画や客観視が上手だったらそういうことになり得るか。頭の中の要らないifをできるだけ削ることで安心しようと考えるのか。
そう考えると、私はそもそもifや未来の存在を認めない究極の担保をしていたということにならないか。
・おなじやろがいおじさん
何はともあれ安心していただかなければならない。私がその子の波動を氣に入っていて推し(存在させ)ていることには違いないのだ。
今まで以上にいっぱい好きな氣もちを伝えた。わしゃわしゃすりすりぽふぽふなで回した。ほんと、可愛いし尊いし才能やばい子だったの。幸せだった。
のだが、いつまで経っても恋=特別とした場合の自然が分からなくてかなりぎこちなかった。
他にも大好きな魂はいっぱいいる。クラスの子、部活の子、先輩後輩とか仕事仲間とか。
推しの子をわしゃわしゃ愛でて喜んでくれたのに味を占めて、他のお友達にも勢い勇んでわしゃりにかかる。
その度にワイだけを見ろ、ワイが特別なことを証明しろと、ドラマティックイベントがやってくる。小説でやったとこだ!
その子が「きみが私を好きな氣もちは同じ部活の○○君と一緒でしょ」と悲しい顔で訊いてきたから素直にウンと答えたら泣いていた。
ちょっと考えてから「好きなのはみんな一緒だけどその人を好きな理由は全員違うぞ」と弁明したらそういうことじゃないと言われてにっちもさっちもどうにもブルドッグといったようなこともあった。
納得いかなかったな。
だって宇宙でひとつだったみんながここでは別々に「自分」で生まれてる以上、全ての人間を特別視している自負があるもん。
その証拠になるか分からんけれど、私は一対一でないと会話ができない。六感をみっちり相手で満たすからだ。
まず相手の周波数を私視点から取り込み、好んだイメージを心に織り込み、ある程度やんわりと表象を固めて、それに自分を投影してはじめて場のテンションが決まる。そうして相手は自分の中でイデア化するし、同時に自分はさっき創造した相手のイメージに成り替わる。
一緒にいる人によって受容器官の配列が変わり、1人でいる時はZEROになっているのはそういうことなんだ。
話が逸れたけれども、要するに私が好きな特別扱いと「恋愛」における特別扱いはちがうらしい。
その子とその子以外で愛の伝え方を変えろっちゅうことか?それが恋愛なんか??
はっきり言えるのは、好きなもんを自由に愛でさせてほしい。君にも、私のことだけを愛でて欲しくなどない。
・「する」はプレイだッ
ついでに、なんか心がウッてなって「愛してる」が言えなかった。照れというより負け。羞恥に近い。評判のために魂は売らねぇロックなきもち。
むろん、尊みを感じ愛が溢れてる時点でふつうに愛している。
それならみんなに伝えたいじゃん?
「特別」を証明する切り札として、パートナーでござい!という誓約として、愛を使うのがすごく生々しい。言ってほしい、と懇願してくれたが外周5周で勘弁してくれ…といった心境だった。
「なんで言ってくれないのぴえん」
「愛してます!!」
そういうことじゃないと言われた。
ごもっともである。
「愛している」
という言葉についてだが、文字で書くとワンバウンドを経て届く感じがありポップに見える。動作として生々しくなった愛が、文字という媒体のもつ「存在」な特徴のおかげで中和されるといったところか。
音で聞くと、動詞が動作でさらに加速されてすごく直線的でグロテスクに感じるもんな。
感謝が沸き起こるまでの一瞬の間に、生々しさの初速がビュンと越えて来て、引いちゃう。
元々beであるべきって思ってるからかしらね。
ぜんぶを満たしてるはずの愛は座標上で速度をもつと槍になる。一度動作にこだわると目的&成功&失敗までぐんと近くなっちゃうでしょ。目的はストーリーを紡ぐ。ドラマティックは平安な空間を穿つ。
ドラマやりたいんじゃない。愛したいんです。
・プラトニカセロ! 2022.5
大学で哲学やってたら、プラトニックラブが出てきた。これで遊んでみよう。
プラトニックラブとはむかしプラトンさんが大切にした愛の形で、簡単にいうとココロモク。美と善に向かって創造力を高め合える絆みたいなことだ。肉欲を排除した真の愛のカタチだそうだ。
両方とも同じ快楽、同じ愛じゃないすか、とツッコんでいては始まらない。生物的にムラムラするかしないかで愛を分けてみることにする。
高校の時の彼曰く、一緒にいて心地がいいともっと密接になりたくなる。それがムラムラってもんだろう、と云うことだった。
「でも会ったことも話したこともないのにそうさせてしまうプロフェッショナルがいるじゃん」「いやそれは、プロだから」
あっさり例外が認められた。
じゃあ私も例外ということにしてくれい。
その子は芸術肌で鳥肌が立つくらいドラマティックの演出が上手く、一緒に曲を合わせたり熱く哲学を語ったり相当楽しかった。至高の嬉しみ。こちらにムラムラを向けてくれる時も同じように、良いねぇ面白いねぇと喜んで応じた。行為そのものがプレイだし演技だった。取り入れられる道具は取り入れるようにした。コスプレとか面白かった。面白さこそ快楽だった。
私は全てを精神世界に取り込む。味も色も言葉の響きも性感も風の温度もすべてだ。イデアに変換してはじめて実在したことにする。心にポッと出現させたシグナルは快楽となる。
コレはプラトニックか否か?
彼らいわく低俗な行為さえも、イデアに昇華させて一緒くたに味わう……イメージの世界で生きるが故にこの世の全てをプラトニカせるのは、暴挙なのかしら。
やっぱりパキッと分けられるもんじゃないんだろう。
肉体と精神のあいだってグラデーションになってて、私は快楽を求める先がスピリット寄りなんだ。
肉体と精神の間、三次元と四次元の間。もしパキッと分けてしまったら、めちゃくちゃ感覚上の観念である男性性と女性性のあいだにすら線ができちゃうんよね。線一本引いたらかなりめんどいぞ。その間を埋めるべくマイノリティだとかいってセクシュアリティの種類がえげつなくなってくから。
・愛する方法は一つ?
人類の共通認識の恋愛観ってのがどこかにあると考え、浮かぶどれもが私の創造だった。
結局、愛に決まりとかないので、私はきゅんとするときにきゅんとすれば良いだけです。考えるものではない。
なんもしようとしないのが唯一「愛する」方法かもしれない。
価値という条件をつけないから世界はこんなにも美しい。
・話が違うじゃないか 2022.6
おい!!
話が違うじゃない
か!!!!!!!!!!!
誰だよなんもしなくてもキュンキュンするのが幸せだっていったやつ!!!
久しぶりに小説でやったドラマティックエモーションウルトラ焦燥ファイヤインマイハートを余すことなく味わいました。
もう大丈夫。疲れました。
エゴがVRのやつみたいに頭部を覆い、昨日より距離が近くならないと安心が減っていくシナリオに乗り、考えもしなかった行動の動機を考え、勇氣を絞り出し、撃沈したりしました。やろうと思えばできるのだ。
有り余るエネルギーで曲を書き、演奏して歌って動画編集までやった。2日で。
パワフルすぎるだろ自我モード。面白かったからいいけどなんやねんこの訳のわからん情熱は。自分の選択でシナリオが分岐していく感覚が急にインストールされるし、タイムリミットまで出現する。画面外に取り残されたらテレッテテレレレ⤵︎の緊張感がある。
合わないタイプの設定だった。曲に棄てて軌道修正しようとした。
そのときの詩が、ガチのやつなので、ここに供養させてもらいます。
なるほどなぁ、そうか
ひとりをひとりのままで 愛することすらもどうやらこちらの異星(異性)じゃ覚束ないみたいだ
なるほどなぁ、そうか
全部を全部のままで愛すること
プラムとイエロー ピュシスと崇高
とかどうにも飽きたわ
いいよ 負け惜しみとかじゃなくて
マジでシステムを今理解したの
いいよ 愛してとかじゃなくて
それでいいんだって言ってんだよ
…氣合い入っているね。頑張ったね。
異星(異性)←こだわっているね。
ラクなとこまで戻っていくのを感じながら、あの時の彼はこんな勇氣を振り絞って言葉にして伝えてくれたのかとハッとした。ほとんど忘れていた鮮やかな可愛さが蘇った。
・素直さの堂々巡り 2022.9
それからというもの、今をときめくハートと、それを行動に移そうと焦らせるエゴちゃんとの熾烈な対決が始まったのです。
無為の愛に揺蕩おう言ったのはどこのどいつでしょう。
プラトニックだとか性別は関係ないだとか自論を固め、ぷるぷる崩れそうなお豆腐メンタルを防御せんとするツンデレがそこにはいました。
相手は、鏡だ。エネルギー的に驚くほど私の映し鏡だ。私がひとりで氣づけなかった深い感情を引き出して向き合わせてくれる。そのたびに泣き、寝入り、歌にし、絵を描いた。濃ゆくてすぐに捨てたいものばかり生まれた。
だけど、それを最も自然に見せたい相手がいる。その子の前ではどうも不自然になってしまう。
「素敵だと感じること」を「話しかける口実」にしてしまう。それが悲しい。こんなに素敵なのに。
「美しいね、一緒に見よう」のはずのところを
その子には「もっと美しく魅せよう」と張り切っちゃう。
もちろん張り切ったらつっかえる。つっかえるから素直にできなかったと落ち込む。素直さを追えば素直とかけ離れていく。毎度落ち込むもんだからだんだんその子に話しかけるのが億劫になってくる。これまでからしたら不自然すぎる「意図」が邪魔で仕方なかった。
なんで図ろうとするのだろう。素直さの堂々巡りである。
何をやっても不自然な氣がして、好きなきもちを表すことも無視することも怖くなった。好きで素敵で可愛くて胸が締め付けられるたびに、私の認めたくなかった部分を直視させられ、ひとつひとつ懇々と認めさせられる。
もう特別だとか言ってられない、そんなんじゃ片付けられない。相手は自分なのだ。自分と向き合わされている。
これ修行だ。
修行…心の乱れを認めることで鎮める、業のこと(コトバンク)
・「スキピ」2022.10
修行の日々をお友達に打ち明けた。
文字ではなく口で誰かに話すのは初めてのことだ。
かなり理屈っぽいことを理屈っぽい言い方で言っちゃった。言いながら「嫌だなぁこの理屈っぽい言い方」と思ったし、聴いてくれた子も「素直になりなよ…」という顔だった。意見が一致した。修行してる感じだよ、と言ったら、それが恋なんじゃない?と返してくれた。ありがたい。
にっちもさっちもなところで、新しいコミュニティに入ったりもした。演劇を始めたんです。
そしたら最初に関わる舞台が恋の話だった。どうしても向き合いたいらしい。みんなで恋について話し合う。
本当に本当にかわいかった。
スキピが如何にかわいいかを全力でプレゼンし合う女の子たち。そんなことまで!?ってところまで、惚氣てくる。初対面やで?
キラッキラの瞳。こんなに幸せそうな表情があるのかと圧倒された。
ある子のピは、普段ほやほやと氣さくな感じだけど2人の時は色々エスコートしてくれたり撫でてくれるんですって。またある子のピは、無口で表情をあんまり出さないタイプだけどパートナーにはデレデレに甘えてくれるんですって。
話しながら辛抱堪らんといった様子で「あー会いたいっ!」「今日会えるの楽しみ!」ってホクホクしてる。聴いているとほっこり幸せになって、私もつられて話したら、かなり可愛かった。初めて使うような単語が次々出てきた。内なるギャルが発現した瞬間だった。びっくりして、慌てて書き留めたくらいだ。
ピュアピュアな感性と悲しみとうまくやっているところ、揺らがない芯の情熱がカッコいいところ、バランスよく氣を抜くのが上手いところ、おっとっと?って表情するのに全体的に肝が据わっているところ、知識に貪欲なところ、お金を稼いで成果を上げて自信もってるところ、ユーモアを大事にしてるところ、あと大変ビジュが美しいところ、などが好きらしい。可愛い。
認めてもらいたかった私のカッコいいところでもある。
ふふふふ
ふにゃふにゃになった。
その表情が伝わったのか、先日理屈っぽい話を聴いてくれた友達がニヤニヤと冷やかしてくれるようになった。そういえば冷やかされるの初めてだ。冷やかしってのは、自分が無意識で望みすぎて顔に出ちゃってることを、すでに叶ってるかのように祝ってもらうことで意識下に降ろしてくる手法なんだね。
ありがとう。魔法(暗示)にかけられていく。「いいな〜人生薔薇色やん」という魔法に。「ぜんちゃんが甘えとるとこ見てえ」という魔法に。
いやそんな段じゃないとか、伝えたいことの半分も伝えられてないとか、否定するのは一旦やめている。魔法にかかっていくの楽しいよ。
大好きなみんなのおかげで、みんなのまだ知らなかった可愛さがどんどん見えてきている。そんな照れ方するんや、最高すぎる。友達がなんかそれぞれの好きに素直になっている。自分もときめきの感度が変わったなと感じるし、言葉をもっとまっすぐに聴けるようになった。本当に世界が薔薇色だ。
また面白いことあったら書き足します。静かに元氣にやってます♪
2022.12 ZEN
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