水色コンバース

新しい革靴を買った。色は黒で、少しぼてっとした丸っこい形をしていてかわいい。
履き始めで足の形にまだ馴染んでいないのか履くたびに足がちょっと痛いので、今は一度履くたびに内側をクリームで磨いて革を柔らかくしようと必死だ。

靴をすこすこと磨いていて思い出すのは、15年くらい前の大学に入りたての頃だ。
大学に入る前の3年間ほど、マイルドな言い方をして「自宅の部屋が好き過ぎる期間」を過ごしていたぼくは着る服に全くといって良いほど頓着せず、靴も履ければなんでも良いと思っていた。そもそも外に出ないのだから靴の出番がないのだけど。

それが大学に入り、演劇サークルという人間関係の中に入ることになった。急に服や靴が必要になった。3年間の社会的距離をとっていたこともあって人の視線にかなり敏感になっていた自分が揃えたコーディネートがこちら。

枯れ木がプリントされたTシャツによれたジーパン、靴は沖縄の海を流し込んだような濃い水色のローカットのコンバース。

大学1年のぼくの服のセンスはこれだった。ロックスターの魂を宿せし者ならこの組み合わせでも十分かっこよく仕上がる可能性があるが、ぼくが着用したところ『豊富な水源があっても根まで届かないと木が枯れる』という謎の外国のことわざの表現者になった。

水色のコンバースはとてもかわいいと今も思うし、その当時にいいと感じたものを貫いて履いていたのだから心意気はナイスだった。
しかし、それまでコンバースを履いたこともなく靴に興味を持ったことさえなかった男がいきなり美ら海にダイブしたのは多少勇み足だったことは否めず、合わせる服に苦慮した。

それから講義の教室や稽古場やコンビニなど様々な床や地面を、雨の日だろうがなんだろうが、なんなら少し雪が積もっていても毎日その靴で踏んだ。それは少し前の甲子園でエースピッチャーを毎試合一人で完投させる高校のような酷使っぷりだった。そして肩を休ませることもしなかった。

肩を休ませないとピッチャーは壊れる。
いつの間にかその靴は履かなくなってしまった。
以来、あれを上回る鮮やかな発色の靴は履いていない。

何回かに分けて、靴の内側を磨き終えた。玄関に茶色や生成といった落ち着いた色の靴が並んでいるのを見て、少しだけあの水色のコンバースを履きたくなった。今ならもう少し大切に履くことができるかもしれない。

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