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「魔法の呪文」を唱える―佐々木敦「半睡」書評

批評家の書いた小説を批評することは難しい。その相手が現代屈指の本読みである佐々木敦ならなおさらである。あらゆる小説を読み、その技法や楽屋裏に知悉している彼の書いたものが一筋縄でいくはずがないのだ。幾重にも織り込まれたそのテクストにはさまざまなジャンルや時代が「貫通」し、あらゆる作品の細部がふとした拍子に浮かび上がってくる。あたかもプルーストの作品のように。「半睡」はまさにテクスト=織物と呼ぶにふさわしい作品である。読者は読もうとする批評家(佐々木敦)に知識量で圧倒的に負けているがゆえに、自信を失い批評しようという気概を喪失することになる。それなのに私はこの文章を書き始めている。なぜなのか。
批評家が小説を書くこと、それは小説家が自作について語ることと非常に近いようにも思えるが、実際にはそうではない。理論は必ず実践から抽出される。文学理論が先にあるのではなく、文学作品がまずあり、そこから理論が発生する。理論から作られた作品は往々にしてつまらないものだ。それと同様に、批評家があまりに意識しながら小説を書くと杓子定規なつまらなさを持ってしまう。小説の楽屋裏を知りすぎているがゆえに、それを自作にひとつずつ当てはめていくだけの味気ない作品になる危険と隣接しているのだ。佐々木敦のように、経歴の長い批評家はなおのことである。批評家として小説を書くことにはそのような危機が常に伴っている。
それでは佐々木敦の場合はどうか。危機に屈してしまったのだろうか。そうではない。彼はそのような危機=批評と危うく戯れながら「創作」を実践してみせたのである。

私が小説を書いたのは極めて個人的な動機に基づくことであって、批評家としての私の営為とは関係がない。(『これは小説ではない』p356)

佐々木敦は批評家としてではなくあくまで「個人的」に小説を書き始めた。しかし「私は結局ひとりの人間」であるからそれまでのすべての「営為」と今/これからの自分を切り離すことの困難についても自覚している。「意識的な繋がりもあれば、書いた私が思いも寄らぬ接点があるかもしれない」。だがしかし、と彼は念を押す。「私は自分がこれまでやってきた『批評』の実践編として『創作』を行ったわけではない」と。
テクスト論というひとつの論法があるように、読者はその作者の経歴についての知識が白紙でも、目の前にある作品について論じることは可能だ。小説家が今まで歩んできたすべての人生、読んできた本、観てきた映画/演劇、聴いてきた音楽について知らなくても(知らないのは当然だ)、人は何かを語りたくなる。結局のところ、作品に現れる作者の過去ではなく、今現在「私」が読んでいる、どこかの「私」が書いたこの文章だけが重要なのだ。「私」は「私」の現在に触発されてこの文章を書いている。だから、私は佐々木敦が言っているように、批評家の書いた小説ではなく、佐々木敦という「個人」が現在書いたものとして処女作「半睡」を読み、論じていく。

しかし、そこまで書いて私は途方にくれてしまう。「半睡」が極めて「批評」的な小説だからだ。それというのも、佐々木敦は「批評」を「○○についての言説」と定義しており、「半睡」はまさに「○○についての言説」、つまり「睡りについての言説」として読めてしまうのだ。さらに言えば「睡りについての原因についての言説」である。のっけから引用で始まり、本文一行目はプルーストの『失われた時を求めて』から来ているし、参考文献にあげられた作品を見れば一目瞭然だ。「これは小説ではない」のではないかと疑いを持つが、そのような気持ちを打ち消しあえて「それを小説と呼ぶ」ことにしよう。そのふたつの間にある危機的な場所で、佐々木敦はこの作品を書き始めているだけだ。小説とは、すなわち「○○をめぐる言説」だと言える。

「これ」はたしかに「小説」だ。それもかなり「小説」的な「小説」だ。まず何よりもテクスト=織物としての存在論的次元においてそうだ。一般的な言葉で言えば間テクスト性、佐々木の言葉で言えばテクスト相互間の「貫通」である。さまざまな作品が時代と空間の間隙をものともせずに、佐々木敦という小説家によって「貫通」されている。異なる時空に属するテクストが「半睡」という小説のなかで互いに共鳴している。
栗原祐一郎は「M」に村上春樹を、「N」に夏目漱石を代入して書評を書いていたが、私はそう読まなかった。私は「M」を緑、「N」を直子として、つまり村上春樹の『ノルウェイの森』からやって来た人物として二人の女性を想定し、読んでいた。

もちろんそれは彼女たちのファーストネームの頭文字でもある。(p89)

村上春樹と夏目漱石では「ファーストネームの頭文字」にはならない。栗原はただ単にMとNという文字を見て反射的に有名な作家を代入しているだけだ。もちろんそれは佐々木敦も予想していただろうし、あるいはそう読むように誘導していたかもしれない。だが引用した文章の次に書かれた「二人の本当の名を、私はこの文章に何度かこっそり忍ばせておいた」という一節を読むと、その考えが誤りであったことがわかるだろう(無論、テクストにはおいて正読なるものがないのだから誤読もありえない。しかし書かれていないことを読み取るのは読者としての誠実さに反する)。
Mは緑だ。MがまだMになる前、すなわち「神戸」の心療内科の待合室で出会った少女、のちにMと呼ばれる少女は初めて見たとき「長椅子の端に座って、一心不乱に文庫本を読んで」おりその本には「緑色のブックカバーが掛けられてあるので、どんな本なのかはわからない」。ここでは「緑」という言葉が符丁のように描かれている。そして『ノルウェイの森』の緑と同様Mは「わたし」よりも「一歳年下」であり、さらにMの実家が書店というところも共通している。蛇足かもしれないが、この時「緑色のブックカバーが掛けられ」いたのは漱石の作品であり、新潮文庫の漱石作品の背表紙はすべて赤である。赤と緑、『ノルウェイの森』の色だ。
それではNの方はどうだろう。彼女に関しては疑いようがないように思える。「半睡」に唯一登場する実在の人物の固有名詞は『ツィゴイネルワイゼン』でお園と小稲を一人二役で演じた「大谷直子」だけだ。「直子」、説明するまでもなく『ノルウェイの森』のもう一人のヒロインだ。意味ありげな固有名詞の使用はおそらくこのためである。Nは「直子」と同じように精神を病み自殺する(それぞれ従兄/恋人の自殺が原因)。それに「大谷直子」が「狐の穴」に落ち込むのにたいし「直子」は地上に空いた穴、つまり「井戸」に落っこちることを非常に恐れている。「穴」的なものに敏感なのだ。もちろんふたりが完璧に直子/緑であるわけではなく相違点もある。例えば『ノルウェイの森』で「ぼく」と「再会」するのは緑=Mではなく直子=Nであるし、「二人の順番」は「入れ替え」られている。当然ながら性格も容姿も異なり、M/Nという「ファーストネームの頭文字」にのみその名残がある。Mと緑/Nと直子はあたかも「同じ女優の一人二役で演じられている」ように瓜二つであるがしかし実際には別の人間なのである。
この外部からやってきた二人の女性によって「半睡」は物語的色彩を帯びることになる。換骨奪胎されて緑と直子は文字通り記号として「半睡」に忍び込んでいる。同様の仕掛けが作品の至る場所にちりばめられているのだろうが、いちいちそれを発掘しようとも思わないし、そのような謎解きに興じたところで作品の理解が深まるわけでもない。さまざまな作品が埋め込まれたパッチワークだと理解するば十分だ。
しかしもうひとつ、『ノルウェイの森』との関連で見逃せない部分がある。それは主人公の年齢だ。『ノルウェイの森』の「ワタナベ」は37歳になってから過去を回想し自身の体験として『ノルウェイの森』を書き上げる、ということになっている。いわゆる「35歳問題」から2歳隔たった年齢は、もはや後戻りが効かない時点であり、何かを成し遂げるためにはこのタイミングを逸してはならない。偶然にも「半睡」の「わたし」もワタナベトオルと同じく37歳だと推測できる。「今日で自分は十七歳になったと、お得意の冗談を飛ばした」老作家よりも「わたし」は「二十歳年上ということになる」と言っているからだ。そして「こんなものを書き出してみようと思い立ったこと」と「自分がついにこの年齢になってしまったこと」は「大いに関係がある」とも断言しているのだから、「わたし」が「こんなもの」を書き始めたのが村上春樹の磁場の影響であることは否定できない。執筆の際の信条や規則も「わたし」と「ぼく」の二人は共有している。
「わたし」はこの文章を何のために書くのか、これは何なのかと何度も問うている。未来の自分に読ませるためのものだということ、つまり読者は明確でありながら、読ませる当のテクストそのものの存在理由は曖昧なのである。しかし『ノルウェイの森』とのリンクに気がつけば、彼の目的が浮上してくる。「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」という直子との約束を守るためである。時の流れともに薄れゆく記憶を風化させないために、「ぼく」は文章を書き始める。「文章という不完全な容器に盛ることができるのは不完全な記憶や不完全な想いでしかない」。それでもなお彼は「書き始めようと思う」。村上春樹は『風の歌を聴け』から一貫して文章を書くことの困難さをこの上ないほど理解している作家である。ある種の不完全さ、曖昧さにたいする「不安な気持ち」を抱きつつ書くことが彼にとっての倫理なのだ。それでもなお「直子との約束を守るためにはこうする以外になんの方法もないのだ」。『ノルウェイの森』は直子のための記念碑であった。彼女にまつわる記憶を風化させないための、彼女の存在を忘れないための、ごく個人的な文章にすぎない。「半睡」もまた過去を「盛る」ための記念碑である。「わたし」は何を「忘れないで」いようとしているのか。MやNとの思い出だろうか。現在の自分の境遇についてか。死んでいった者たちの存在であろうか。津波に流された人々の尊さだろうか。おそらくそのすべてである。『フォー・スリープレス・ナイト』の老人のように、かつて現在であった過去の記憶を掘り起こし、現在の自分から見て未来の自分に過去となった現在を思い出させるための文章として「半睡」は書かれている。大事なのは「私のことをいつまでも忘れないで。私が存在していたことを覚えていて」という姿なき者たちの声なき声であり、それに無意識のうちに動かされて記したささやかな文章がいまここにあるということだ。

「そこから更に記憶を遡って、わたしは不眠と自分のこれまでの人生のかかわりを回想し、それはやがてひとつの決心のようなものを形作っていった。
そして、わたしはこれを書き始めることにしたのだ。」(p26)

きっかけはYYとの対談だと書かれていが、最大のきっかけは対談で言及された元教え子の死に違いない。おそらくその人はNである。Nの死を思い出して文章を書くのは、直子との思い出がフラッシュバックして文章を書き始めた「ぼく」と同じだ。この文章が何なのか、「わたし」は理解していない。だが、書き始めた理由は、あるいはそのきっかけについては自覚している。愛する者の喪失の記憶から、文章は始まっている。
また、『ノルウェイの森』の書き出しとこの上なく似ている『風の歌を聴け』の冒頭では、文章は「自己療養のささやかな試みにしか過ぎない」とも言っている。「半睡」は過去と現在の記念碑であると同時に未来に向けた「自己療養」でもある。「不眠」になったときにのみ文章を記すのは、その現れだ。不眠が続くと世界は白くなり青くなる。色褪せた世界は睡ることで色彩を取り戻す。ここにおいて睡眠と執筆はアナロジーになっている。そもそも「半睡」はまぶたを本に例えている場面があり、小説=睡眠として読めるふうにもなっている。イコールで結ぶのはためらわれるが、睡りと小説(書くこと/読むこと)は何らか関係があることが示唆されているように思える。色褪せた世界に文字を書き込んでいくこと。「自己療養」とはそのようなものだ。
現在の「わたし」が過去を思い出して書きそれを未来の自分が読む、という「半睡」の時間感覚に現れているように、この作品では3という数字が重要な役割を果たしている。至るところに意味ありげな3が溢れているのだ。その数字への異常な執着は『ツィゴイネルワイゼン』の中砂の発言に端を発している。

「男ふたりに女がひとりか、考えてみれば危なっかしい関係だな」(p45)

『ツィゴイネルワイゼン』は言うに及ばず『フォー・スリープレス・ナイト』では友達―主人公―友達の恋人、『ノルウェイの森』ではキズキ―直子―ぼく、あるいは直子―ぼく―緑、「半睡」ではM―わたし―N、N―ドイツ語わたし―いとこ老作家の英語―日本語―ドイツ語、作中映画ではミン―ルン―オーン「文と文」ではふみ―あや―ブンそして過去―現在―未来、覚醒―半睡―睡眠。この作品自体がプルーストと夏目漱石の間に書かれている。2でも4でもなく3なのにはなんの意味があるのか。蓮實的執着に意味を見出だそうとするのは悪手である。しかし私はあえてそれを試みよう。先にも書いたように、「半睡」はプルーストの一文(「長い間、わたしはずいぶんと早寝をしたものだった」)と夏目漱石『夢十夜』の一文(「こんな夢を見た」)のあいだに書かれた文章である。プルーストは『失われた時を求めて』の結末を冒頭とさほど変わらない時期に書いていたと言われているが、それと同じように「わたし」も「最後の一日だけは、最初から決まっていたのだ」と言い、「むしろこの書きものは、まわり道や踏み迷いを繰り返しつつ、ともかくもそこに向かって書き進められてきたのだった」と語っている。「半睡」とはあいだの文章のことだ。3にはいつもあいだがある。2つのもののあいだにある1イコール3。「半睡」は3の物語である、と言ってもいい。まず何よりも題名がそうだ。睡りと覚醒のあいだにある「半睡」。 

この作品では「ねむり」と書くとき必ず「眠」ではなく「睡り」と書かれる。チャンドラーの『大いなる眠り』から着想を得た言葉も変換されて「大いなる睡り」と書き換えられている。この執念は何なのか。思うに、「眠り」では<あいだ>性がでなくなってしまうからではないか。「眠り」と書くとどうしても夢を見ながらぐっすりと眠っているイメージがわいてきてしまう。しかしそれでは禁句である「夢」という文字を想起させるし3ではなく2(覚醒―睡眠)の言葉になってしまう。「睡眠」という熟語は意味の似た言葉をあわせて作られているのだが、この二文字のあいだにわずかながら時の経過を感じられる。つまり覚醒から眠りへの移行が「睡眠」には表れている。睡→眠というように。「微睡み」という言葉がある通り、「睡」には覚醒と睡眠のあいだを漂う曖昧さがある。

「半分生きてて半分生きてないみたいな気がすることがある。半分死んでて半分死んでないみたいな。」(p24)

この中途半端さが言わば微睡みであり、また夢うつつという言葉にも通じる状態である。不眠症の世界ではこの微睡み=夢うつつが常態になっている。プルースト、カフカ、谷崎を眠り、微睡みという視点から論じた根本美作子によれば夢うつつ=微睡みとは<現>(「うつつ」と読む)を招き寄せる作用があるという。<現>=<うつつ>とは次のようなものだ。

<うつつ>は、たんなる<現前>ではなく、そのうちにすでに、死と生、不在と存在の<移り>行きをはらんでおり、目に見えぬもの、かたちなきものが、目に見え、かたちあるものに<映る>という幽明あいわたる境をその成立の場所としている。そこに、<移る>という契機がはらまれている以上、<うつつ>は、また、時間的にみれば、たんなる<現在>ではなく、すでにないものたちと、いまだないものたち、来し方と行く末との関係の設定と、時間の諸構成契機の分割・文節をそのうちに含むものである。(坂部恵『仮面の解釈学』)

一言で言えば、「ここにないものがここにあるかのように現れること、またはここにあるものがここにないかのように現れること」である。「半睡」の主人公はこのような幽冥境を漂いながら言葉を綴っている。「睡眠」に含意された時間性は、引用文に書かれている〈移る〉という現象と対応している。そのあわいこそが「微睡み」=「半睡」のことだ。

そのように考えれば、何故彼が不眠症の時にしか文章を書けないのかが理解できる。「わたし」はあるものとないものの区別が曖昧になる場所で、そこに現れる<現>=<うつつ>をとらえようとしているのだ。「わたし」あるいは佐々木敦にとって書くことは「すでにないものたち」と「いまだないものたち」をひとつの作品の中で共存させる営みである。無論、その二つの不在の間にはゼロポイントとしての書き手が挟み撃ちにされている。ゆえにそれは「小説」「批評」という区別に則さない、「書くこと」一般に共通する信念なのだ。〈現〉とは3を発生させる場なのである。

書くことには「ここにないものがここにあるかのように現れること、またはここにあるものがここにないかのように現れること」という<現>の性質が刻まれている。

「半睡」の「わたし」は今まで起こった何もかもをなかったことにできてしまう「夢」という言葉を「魔法の呪文」だと書いている。もし「ここにあるもの」を「ここにない」ものとして描くのが「魔法の呪文」であるなら、その反対もまた「魔法の呪文」に相違ない。むしろ「ここにないもの」を「ここにある」ものとして書く行為の方がよほど「魔法の呪文」にふさわしくないだろうか。
「魔法の呪文」の持つ魅力と危険にとり憑かれた者たちを私は小説家、あるいは批評家と呼びたい。

引用文献
佐々木敦「半睡」
佐々木敦『これは小説ではない』
佐々木敦『それを小説と呼ぶ』
根本美作子『眠りと文学』
坂部恵『仮面の解釈学』
村上春樹『風の歌を聴け』
村上春樹『ノルウェイの森』

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