未就学児と末期癌要介護5母の介護が同時並行できたのは幸運だ
ポジティブに捉えるとさ。この状況は幸運なわけよ。
あ、ここから書く話は「介護美談」でも「介護肯定」する話でも何でもないです。「達観して」話すことでもないです。徹底して「親の介護なんて逃げれるだけ逃げろ!」と毎秒毎日思ってるわけです。このノートでも軸はブレずに伝えてますし。
ま、その前提をもちながら敢えて自分を鼓舞する意図でタイトルのようなことを考えたわけです。
「未就学児育児タイミングと介護タイミングが合わさってよかった」と。
なんなら付け加えると
「私が30代後半から40代前半の、私自身の体力気力判断力が十分備ってきてる時に介護対応が発生して良かった」
とも思ってるわけで。
正直、今の状況に自分にとってどこかポジティブである要素を見据えてかないと、正直、精神が保たないわけですよ。強引だけど、タイトルのように感じてるわけです。
・・・・・
未就学児の育児と終末期・要介護5の在宅療養してる母を近距離非・独居介護してるとさ。ヘルパーさんらにアウトソースしまくってたって、大変なところはありまっせ。
なんかもうチートなわけよ。ストレス半端ないし、脳内のキャパも物理的な対応稼働も、めちゃくちゃとられまくるし、育児も家事も仕事になんねぇし。
母の体調どうなるの?と常に気にかけて常にストレスで。1ヶ月ごとにいろんな病気が雪だるま時期に発生するから、気が抜けないわけよ。母とどんどん鬱状態になるし。不穏だし。
非同居だからって、それほったらかしにしてよろしく、なんてないわけ。施設に入ってたらどうなるのかわからないけど、鬼のように電話くるしね。鬼のようにヘルパーさん・看護師さんらから相談事項(延長コードありますか?みたいなレベルから、おむつ買っておいてくださいとか、お母さん不穏で困ってますとか)くるし。
で、あれよあれよというまに、私の心身のキャパを超えて介護マターに私の全リソースがさかれてくわけ。
すると、何が起こるのか?
子供の気持ちとか、今必要な子供の発達に目をかけれなくなる。子供がある意味放置児みたいになってく。
単に飯やってるだけ。風呂入れてるだけ。園に連れてくだけ。土日に気持ちを向けて遊ぶなんてやれる気力もないし実家に出ずっぱりだし。平日も病院いってるから、家にいる時はYouTube漬けしてたわけ。
子供の真っ当な成長を促す、なんてほど遠くなり。気持ちは子供に向けれてないんだもん。忙しすぎて。子供の変化や困りごとにも気がつかない。気がつこうとする育児スキルを身につける機会も時間も作れてない。
すると、何が起きてくるか。
保育所であれも出来ないこれも出来ないと、先生たちから指摘受けまくる。発達の緩さの特徴がある子なのかもしれない。でも、強く感じてるのは親の関わりが少なすぎる。目をかけてなかった。
結果、園での生活が楽しくないし友達からいつもしてばかりだし、先生からは怒られるし。子供の自尊心も自信も底辺で。何するのも嫌、きらい、やりたくない、できない、しか言わなくなってきた。
しかも、子供のみならず、私が常に疲弊に疲弊を重ねてるから、そんなのをサポートする夫も、家庭内での負荷も高くて、どんどん家族全体が疲弊してくるし。
仕事に至っては降格、稼働6割、給料激減だっつーの。
降格はわたの能力の問題もあるけど、仕事にほぼチャレンジするキャパが作れてないんだから評価につながることも出来てないし、何よりもいつも後ろ向きでやることなすこといっぱいいっぱいだし。
仕事において、わたしにとって未就学児✖︎介護が重なった時点でもはや終了。無理ゲーになったわけです。
・・・・・
ま、母よりもこっちのほうが倒れて入院したくなるわけよ。
でもさ、よく考えてみてみて、わたし、と。
「わたしの主体で行う介護はこれが最後」なわけで。父は60代で他界。ピンピンころりで逝った。悲しいけど、子供が父を介護をしたことはない。そしてそのおかげで、母の介護費用は経済的にまあ余裕があったわけで(大事よ)。
そして、介護マター始まってから2年以上経つわけだけど、もはや余命いくばくの母。いまはなので「ラストラン・ラストスパート」なわけで(たぶん.....)。
ちなみに、義両親の介護は主幹は「実子の役割」だからカウントしない。だから、これが最初で最後の親の介護(主体でやるのはね)。
もし、この介護状況が、今でなかったら?
あと5年後、10年後だったら?子供は大きくなればなるほど物理的な手をかけることはないと思うけど、手が離れても、目が行き届かないことが出てくる方が課題かもしれない。
本来は家や公園やお出かけして過ごしたい日曜日を、ほとんど実家の介護訪問時間に付き合わせられる未就学児の我が子供。
でも、希望的観測を述べると、未就学児だから介護状況を、小学生よりは理解してないかもしれない。ネガティブな記憶にもあまり残らないかもしれない(そう望む)。
おばあちゃん寝てようが、管入っておしっこバックからおしっこの匂いが充満してる部屋にいようが、知らないおばさんやおじさん(ヘルパーさん、マッサージさん、お医者さん、看護師さんたち)がわらわらといても、子供にとってはふーん、の状況で、なんかたくさんの人がいる家、って見てるだけかな。
「おばあちゃんちにいけば、アイスが食べれて、お兄ちゃん(叔父)におもちゃ買ってもらえるし、おばあちゃんだと家では見れないYouTube見放題だし!楽しい場所」と捉えてくれてるかもしれない。
未就学児の育児だから、とにかく物理的に時間がかかる。ただ精神的な目のかけ方やサポートの仕方は、小学生以降難易度は高いと聞く。
もっと子供が成長してる最中で、毎週末よたよたになっておしっこ臭くて、おんなじ話をリピートしかしないおばあさんの家に連れてかれて。全く楽しくないよね。おばあちゃん行っても、子供にはあんまりメリットがないわけで。
アイス、YouTube、叔父からのおもちゃレベルで寄り付くメリットはない(笑)それよりも、友達と遊びたいだろうし、ママを引き続き独り占めして家でのんびり自分の好きなことしてたいだろうし、と想像する。
おばあちゃんが元気よくたくさん遊んでくれるわけないし。孫に対して5-10分くらいでもう愛でておしまいなわけだから、子供からするとおばあちゃんとの時間なんて別にさほど楽しいとかもないし。
子供が大きかろうが、小さかろうが、一人で長時間留守番させないとしたら、おばあちゃんの介護に付き合わせるわけで。
行きたくもないところに行かされてたら「おばあちゃんちいきたくない」ってなるよね。なる可能性は今より高いよね。いまでも、別にそんなに頻度高く行きたくないし、と行ってるし。でも、ママは介護しなきゃって強制連行されるわけで。
小学生の子供をもつ女性が自分の親の近隣別居での介護をしてたら、ストレスで子供が学校でトラブル起こしまくる、という記事を読んだことがあり。そんなことによりなるんだろうな、と思う。
「もし〜なら」
「もし〜たら」
のタラレバを考えても現実に起こらない限り、子供が、夫が、私がどんな気持ちになるのは本当には分からないけど。
少なくとも子供にとっての「ママがおばあちゃんの介護にかかりきりになってる」に対する影響は、未就学児の今の方が少ないのかもしれない。
いや、あんまり関係ないかな。どのタイミングでもいつでも大変だろうな(笑)
・・・・・
自分の今の環境を癒して慰めてあげるために、自分に言う。
・自分が気力体力のある30-40代での介護でよかったね
・子供がまだ小さいから、(たぶん)介護マターで発生する影響がすくないと思うからよかったね
・実母の介護がおわったら40代前半から、また育児もキャリアも家庭もブーストかけれるね(セカンド、サードキャリアに向けての構築ができるタイミングだよね)
母が可能な限り元気でいてほしいと思うと同時に、そんなことを、自分に念仏のように言い聞かせ、いまの介護状況・環境を、私なりに慰めてみた。