見出し画像

母の延命に奔走するのはやめようと思った

疲れてきた。そう言うことなのかもしれない。

母の病気、鬱な気持ち、不穏、介護に対応することに、飽きてきた?いや、面倒になってきた。疲労感が溜まってきた。

常に緊張してる状態。もう2年半になる。

いや、もっというと「死にゆく人に必死に生かそうと、心も判断も時間も使って心身共に母に向いて生きてるのが、疲れてきた」というところか。

これが、まさに介護疲れ、というやつでしょうか。ケアプロに日々のケアはお任せしてても、やることも考えることもたくさんある。ましてや母は自営業なので、その会社じまい(休眠するかどうするかなど)の対応もタスク多すぎ。

・・・・

母はすこしずつ認知が進む。全能照射をしてるせいもあるから。日々、混乱はときにはあるものの、昔話をたくさんする可愛らしい母との時間は楽しく。不穏ちっくになると面倒と思い。血液検査の結果がどんどん悪化してる様をみて、いつどのタイミングで亡くなるのかわからない緊張と恐怖がある毎日

先日の関東の地震のときに、母は寝ていて揺れの途中で気がついたようだが、兄は心配で様子を見ながら母のそばに立ってた、と。

そうか。同居してる人は、同居して一番弱い人を守るために行動する。わたしは子供。ただしもう4歳はので、何かあっても口頭指示すれば動ける子供。

母は要介護5の全介助の人。歩行はできない。体重は40キロ代。自立起立もできない人を地震パニック(に母はすぐなる)中の40キロの生き物を抱えて、車椅子に乗せて避難とは?波ならぬ緊張感と労力を想像する。兄はそんなことを「もしも」のさいにしなければならないのか。

そんなことを想像して兄の苦労や、母の緊急時の対応を、兄一人だけに、精神的負荷を含めて任せてるのも、嫌だ。

東北大震災のとき、津波が起きた時、寝たきりの親を置いて逃げるなんてできない、という報道があった。兄もそれになるだろう。息子は母親を置いて逃げる選択を取れるだろうか。取れないと思う。

そうやすやすと起きない事象だけども、もしもそうなったら、母をほおって兄だけ避難して欲しいが、その選択を兄にさせるのも、母から離れられず兄が母を守るようにそのまま二人で共倒れになっても、兄に母の命の選択をさせる負荷をかけるのもゴメンだ。

滅多に起きないタラレバの話だが、現実にはそう言うことが起きるわけで。

ポイントは、そういう緊急事態を兄の気持ちを想像して、負荷にさせてるのに私も心をギュッとさせられるストレス。そんなことを毎日毎日考えたり、母の不穏や不満を解消するために奔走してきたりして。

週末、母の家に行くたびに「体がいたい、ここが痛い、辛い、七転八倒してた1週間だった」という愚痴と不満と苦しみをわかってほしいという母の気持ちを、会うや否や挨拶もそぞろに、不満と愚痴の話からはじまる。「そうかそうかー。大変だったんだね」と聞き流す。そして心を痛めてる。かわいそうな母だな、と。娘にたくさんわかって欲しいんだな、辛いのだな、と。否定はせずに「つらかったんだね」と言うだけ。

でもさ、わたしはプロじゃないから聞き流すこともできないし、聞き流すフリはできるが、自分の親の気持ちは受け止めてわたしの心の中にのこるから、それが「疲弊感」として鉛のようにのしかかる。

なにもかも、いろんな毎日のちょっとの出来事が止めどなく少しずつ蝕んできてることに、受け止めるのも考えを巡らすのも、不穏の対応も、細かいヘルパーさんからの要望も、なにもかも疲れてきた。そう言うことなのかもしれない。

物理的な対応時間はすくなくても、心の中で蝕まれて精神的な負荷になってる。親の母の気持ちをおもりが、どんどん重くなる。

そして翌週いくと、身体が軽くなった今週は疲れが少ない、と体調の凸凹や波を感じる。機嫌がよくなったり、悪くなったり。

毎週、毎週、元気そうな顔を観れると安堵して。辛そうだと胸がギュッと締め付けられる。

元気なのは嬉しいけど、とにかくいつも心が緊張してる状態が続くから、本当に疲れてきたよ。パトラッシュ。。。

彼女のために、母のためにとこの2年間気も休まることなくいる。延命処置も判断ももう疲れたよ。それに何か対応するのも疲れたよ。

お母さん、あなたの願いを叶えるために多くの調整をして出かける準備をするのも、ほとほと疲れたよ。

そして疲れても疲れても、少しでも元気な笑顔を見ると、もっともっとこの世にいて。おしゃべりして。笑顔を見せて。と、同じくらい思う。

そして、また全力で母のためにと気持ちも時間傾けて、ほとほと疲れる。

そんな毎日。