無題#2 (2024/04/23 〜 04/25)

放り投げられたピアノカバーは、埃をたてて落下していく。ヘンリーダーガーは真っ暗な部屋でタイプライターを打ち込み、ほこりは、カーテンの隙間から差し込む光のなかでくるくるとまわる。キティちゃんの置物は窓際に置かれている。木の張り出した窓枠の上でいくつかのキャラクターが待っている。茶色い酒瓶には緑色のラベルが張りつけてある。丸い根菜は芽を出して根が生えている。ブックストア入口の、入って左手にあるスペースで、静かに話し合っているふたりがいる。棒みたいに細い紫色のさつまいもが3本、ティッシュペーパーの上に置かれている。紫色の鳥は止まり木からピーピーと鳴いていた。籠は鐘みたいな形だった。ハンカチタオルの、端の波打った模様。それは鍋敷に使われた。台所の窓はすりガラスで、ガラス越しに緑色の影が見えた。

母の眠るタバコ屋のコンクリート敷の道路を風が吹く。熟れた稲植物の穂がゆれる。街灯のあかりは暗い植物の色をみどりに照らしている。ジーと音がする。虫たちは葉の裏でねむり、白いひかりの周りをおどる。虫たちは茂みの中で、眠り、動き回る。茂みから森へ続いていく。黒い甲虫は舗装道から砂利敷の道へカサカサと移動する。張られたメジャーの目盛りは赤い文字で数字を示している。メジャーをまたがって茂みの下をくぐり、木々の生える小さな林へ向かう。林にはなにもいない。まばらに生えた木々の間々は泡の隙間のようなかたちであいていた。空の上を、雲のずっとずっと上を茶色い飛行船が飛んでいる。くじらのはらのようにぱんぱんにふくらんでいる。飛行船のバルーン部分は、ふくらんで、気球の幌部分のようになって、ひろがる。そういった飛行船が、林の、木々の隙間からみえることはない。甲虫のちょうど真上をそのような飛空艇が横切った時、甲虫はどこかへ引っ張られるような、重力の逆転を感じた。ある木の根元までやってくると、身を寄せてただじっとした。目隠しされてピンク色の視界が、次第にほどかれていく指と指の隙間に、かすかに見える風景には公園と噴水があった。指はやわらかく、しっとしとして、牛乳と石鹸の匂いがした。両目につめたさと温かさのまじった刺激が、圧力がずっとかけられていて、酔ったみたいに嬉しい気持ちになった。うしろで彼はにこにこと微笑んでいるのだと思う。手は目を離れて、わたしは目を閉じた。手は顔から首筋に向かって、それからカッターシャツの中に入った。ピアノを弾いたことはなかった。だけど指は動いた。そうやってめちゃくちゃな曲を優に聴かせた。ベッドの下で転がった石は昨夜のひかりを発散させてのたうっていた。肩がはだけた。

樹冠から降りかかる、あるいは幹に吸い込まれたあと、幹を通して、幹にあいた無数の小さな穴を通して外気に発射されていくオレンジ色の、透明の、ふわふわとした球体の数々は、劉邸を取り囲むように生えられた松の木から出ているので、球体たちは、それぞれが恒星をもたない惑星のような、ばらばらな楕円を描いて動き回り、他の球体とぶつかっては火花をちらした。そうして劉の庭園に落下するものや、塀を飛び越えて、路上へ飛び出していくものや、海に向かって突進していくものがあった。コアラたちは、お腹の毛の内側にあるピンク色の肉の吸盤を使って幹にしがみついた。ムカデが数匹塀を登って行った。けむりのように真っ黒の筋になって登っていった。街灯がところどころに立っていた。畑に植わるある植物の、苗にもならない、まだ小さな、生えかけの芽は、生まれて初めての月の光を浴びていた。コアラたちはそうして幹にしがみつき、吸盤に生えた牙は木々にかじりついた。優の大きなあくびがきこえた。くちと、口の中にある歯が蛍光灯のひかりをみた。灰になって溶けた何かが窓から忍び込んで僕と優くんに降りかかる気がした。

部屋でシャワーを浴びる。お湯と一緒にあせが流されていく。臍の下を水が流れていく。排水口にはなにかの生き物が澄んでいる。ガサガサと動き回り、その姿を見たことはないけれど、排水口にはザリガニのような生き物が住んでいるよ言われている。どの家の排水口にもすんでいる。大股を開いてそのまますとんと地面に落ちる。足と足は開ききっている。

街灯の下を赤い、米寿の帽子みたいなかぶりものをかぶった男が通りかかる。

木々は夜の中に眠る。胡椒の木は収穫される日を待つ。船で渡ってくる人がいる。黄色い服を着て、かさの高い帽子を被っている。光の圧力(木々の間から)。炊飯器の中でかき混ぜられていく熱。高い圧力で、熱せられていく。こきざみに震える。ジャーの蓋をあけるカチンという音の後に湯気が顔にのぼった。優は顔に浮かんだ湿気を感じた。髪が一本床に落ちていた。換気扇のからからいう音がして、羽根は水色のディスクになっていた。

蒸気が顔に立ち上ってきた。少し濡れた。肌が抱き合った。髭が肩に刺さった。乳首と乳首の間に顔をうずめた。頬をよせた。すべすべとしていた。頭の中が豆苗に覆われていった。わたしは膝の上に乗っていた。窓を開けた。すりガラスのスライドに合わせて突き刺す光もゆらゆらと揺れた。工場(こうば)の緑の煙突、場内の、また緑のベルトコンベア、制帽のブルーグレー、縫製されたステッチの隙間から、つばの奥から、のぞくぎろぎろした目が光った。緑の煙突はもくもくとけむりをだして町に漂った。煙は上空から街を眺めた。木造の不動産屋、それから和菓子屋を見つけた。

道路は光に溢れていた。葉の表面には大量の水滴が付着していた。甲虫は濡れた体で目を覚ました。足はもぞもぞと動いた。煙の一片はかたまりになって甲虫の体へ落下して包んだ。木々のつけた赤い実はやわらかく酸味があった。優はそれにかじりついた。手を果汁まみれにして、食らいつくように、貪るように食べた。お腹が空いていた。透明の果汁は顔について、液体は飛び散って、ラ王のカップ麺をスーパーで探して、買って、スーパーの白く光沢のある床を歩いて、清潔な匂いがした。イートインでお湯を入れて、窓の外の景色を眺めながら食べた。ラ王と一緒に、カッターシャツの中からこもった汗の匂いがした。優はやっぱりとてもお腹が空いていたから、貪るようにすすって食べた。脂のあせをかいた。バニラのアイスをひとつかって、食べながら歩いた。雨が降った。傘を持っていなかった。自転車に乗って、後ろの男が前の男に抱きついて走り去るのを見た。黄色いレインコートをきたおじさんが自転車で走り去っていった。すこし黄色く濁った馬脂のクリームのはいった容器が蓋のあいたまま机の上に置かれていた。焼肉屋の店内は煙で白くこもっていた。火事が起きて、急いで逃げ出した。格子のひとつひとつは微妙に違う色をしていたが、概ね青と金色の二色にぬりわけられていた。青のドットの方がずっと多くて、時々アクセントのように金色のブロックが入った。焼肉屋の店内では客たちがガヤガヤと話し合っていた。ひとりはひとりのマッチ箱でマッチ棒を擦り火をつけていた。それを赤い唇から息を吹きかけて消した。赤い光がちらちらとゆれるのと、あたたかいのを感じた。眉毛の濃い男だった。髪の毛は前に向かってせり出していた。ホルモンを注文する人がいた。

黄色い漢字の偏。石ころを拾う。湯屋のすぐそこで、石は、それはコンクリートの破片だったことに気づいたが、落ちている。青い、ペイントがついている。湯屋の看板にはいらすとが描かれている。おじいさんがひとり、浴衣を着て入っていく。裾からすね毛の生えた足が見えた。草履。

星型の航路は近づいてくる満潮の気配を感じ震えていた。朝日がのぼってきた。風が吹いた。すなはさらさらと流れた。波は寄せては引いた。潮位はあがり、やがて波に擦れていく航路は、しまいには完全に海に飲まれて消えた。海辺を歩いていた。そして砂浜に座った。うしろを犬を散歩する夫婦らしい男女が通った。体操座りのままただ海を眺めていた。

薄暗い宿についた。宿の中にはランプが置かれていた。おかみは私と優くんを案内した。甲虫は、床下でうずくまっていた。床下の砂利に、琥珀を埋めていた。

工場の煙は、まちのほうへくるまりながらただよった。ロールした煙は、優の鼻腔に忍び込んで小さな口は、大気につばを飛沫させた。こうしてつばと交換された煙は、一瞬優のからだをめぐって、また鼻からぬけていき、大気はすこしの甘やかさを獲得した。それは一瞬。からだは、優をめぐってぜんぶが沸騰した。つばが。体操服のまま、汗は。しぼっていた。しまっていた。このまま。甘いまま時間が過ぎた。

黒いプラスチックの縁の壁掛け時計はカーテンの閉ざされた薄暗い部屋で、からだが、くみあってどちらがどちらかわからないまま肌のかたまりになって、居間とキッチンを繋ぐ通路にかけられて秒針を動かす一瞬一瞬に奇妙に震えて、その振動がテン慎につたわってしびれた。金色の、にぶい金色の、歯車状突起はふたりのこぶしと、それから濡れた髪の毛は、灰色の目は、鷲みたいな、羽はひろがり、遠い上空から。サボテンは花を咲かせる。

髪は花になった。便覧を忘れたと言って、優は私に貸してくれた。そうしてはじまった。髪は黒くすべすべとしていた。黒いまま海が、夏のまま帰らず、砂浜は昨日書かれた落書きが消されないまま、落ちたいくつかの木の枝は、波打ち際でじゃぶじゃぶと洗われていた。そしてまた犬が通った。今度は女性がひとりで散歩していた。ライトを片手に持っていた。真顔だった。顔は見えなかったはずだ。火になって燃えた優の花が。これだけ。使ったティッシュペーパーをひろって集めた。手が、黒い点々みたいなできもののできた頬をつまんでいた。

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