2024/04/20 ボブ・ロス的な 1


The Joy of Paintingはボブ・ロスというアフロのおっちゃんが出ている絵画の番組で、30分の番組内で、絵を一枚完成させる、というような内容。これもまた、前回に話したような環境音楽的な番組だと思う。ディレクションがほとんどない。むしろ、ディレクションがないことがひとつのディレクションになっているのかもしれない。今で言うASMR的なものの走りじゃないかとも言われている。ASMRのことは好きだけど、ASMRのことを好きな人をみてると心配になる。わたしは、TRUE KYOHEI SAKAGUCHI SHOWに出会うまでは、つらいよ〜と言いながら見れるのがしょうもないショート動画とか(広い意味での)ゴシップ系の動画とか、スポーツのダイジェストとかまとめ系の動画しか見れなかったのだから、でもそれは、家具の音楽を標ぼうする環境音楽とは反対に、非・家具的なコンテンツだと思う。油っこくて、みていると胃もたれするし、じぶんがアホになっていく感じがする。元々アホなのだけど。

ボブ・ロスの絵画は完成に向けて進行していく。30分で終わりそうにない場合には、続きは後で描きますといって急に終わり、最後に完成した絵が静止画で表示されて番組が終わる。あるいは、完成して終わるように急ピッチで、おそらくは所々手を抜きながら筆を進める。

物語をもたないで生きること。苦痛という物語が発生する場に、その克服や挫折というナラティブを接続しないこと(あるいはそれが起こった時に、物語的な起承転結の道筋をみつけないこと)。それが今のところの自分の課題で、それが詰まるところ、適当に開いたところから小説を読んで、適当に閉じる、という読み方と繋がっているのだと思う。物語が進行していくこと。進行する以上そこに流れがあること。そのようにして自分の生活を小説や物語にすること。それは無意識にやっていること。起きたことが物語になるのか(物語として経験を回収していくのか)、それとも。生活はもうどうしようもなく物語で、ディレクションしているもう1人の自分が自分の中にいる。でもそれが解体しきった先みたいなのがある。というか、自分の生活を物語に回収できない人がいる。どろどろに溶けたみたいな人。それは、あえてそうしているのかもしれない。起承転結のきいた生活を生きることにあきあきした人、あるいはそれが苦しかった人の求めた先、ディレクションのない、ただ何かが起こって、なにかが終わっていくだけみたいな。そういう人にとって病は、肯定的でも否定的なものでもないんだろうか。そういう生をいきることは、どういったものなんだろうか。


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