2024/05/02

行き先を増やす流れる水みたいなのが見える。川にたっている。剥がすシールのあとの低い粘着質に指を走らせる。携帯電話の着信履歴を全部閲覧した後に後ろから1個ずつ消して、最後の1個の電話番号にかける。蛾が2匹白い校舎の壁に張り付いていて、とても大きな蛾だったからそれが蛾と気づかないままに、しかしその異様な光景に目眩がして、風の中の紫色の波紋みたいなものが切り裂いて、木の葉が全部切り裂かれて、波紋だらけで、色々な方向に伸びていく波紋は例えば縦方向にも奥行方向にも横方向にも、そして波紋同士がぶつかりあって干渉することもなく無限に伸びていっていつかそれがグリッド線をなし、世界中全ての空間の区画線が紫色で引かれる。どこかへ行ってしまうしどこへもいかない。空想の中の誰かがいる。空中にムーンサルトする。からだが塩の中にしずんでいってみえない。傷口にぬりこまれていく。だれにもみられない。みられたことがない。白色の龍みたいないきものが波に飲まれて打ち上げられていて、誰にも気づかれたりはしない。無人の島の無人の砂浜で、ひっそりとそのまま、巨大な体の内側にたまったガスで膨らんで爆発して、その爆発した音のほんの一端は、テレビの砂嵐のおとの破片になって聞こえる。ただずっと砂浜の上を歩いて、ときどきそうやって、巨大な水棲生物の遺骸や、遺骸の爆発して飛び散った血や体液と肉や骨の破片と、そしてものすごいにおいをかぐことになり、服で鼻をおさえようとするがそれが死んだ生き物に対して失礼な気がしてしまう。もっとはやくにここへ着くべきだったと思う。空港についてからはずっと、空港の中を。止んでいる。遠くの嵐の一端のうちに含まれるくじらや龍の爆発の残業を聞き取ることができる。まっくろい。マジックで消す。ものすごい。汗だけが見えて、花だけ。肺だけ、肺の動くのだけ。ゆるす。ゆるして。ゆるすからゆるしてというのは変な話だ。贅沢な名だからに文字減らし、貧相な名だから二文字増やす。そのようにしてからだが。からだが名になっていき、名だったからだが、名になって、だれも、だれもいないので、だれもいない、もう見捨てられたので、みたことない、もうみられたことないから、みるしかないがもう見方がわからない、どん詰まりではない、みたくおもわないで、文だけいただき、だれも本当のことしって、しった、しってない、シッダールタは腹痛を催して瞑想し、そのまま静かに、めをとじて、めをさまして、火葬の一瞬、自分のせいで、自分はだれでも本当にひどいことをする、自分はながいながいうみの向こうのほうで、だれもいないところにだけ発生している嵐みたいな、嵐の中できいている、嵐の中にいるが、嵐の中でだれでも、ハムスターみたいな雨が降って、降った雨の中にだれかがいるが、だれもいない、誰かになれと言われたことがない、でもなれと言われているような気がするからなってみようとして足りない覚悟が、でもなれない、イモリがみえる、みえたそばから高速な足の移動でどこかへ消えて砂を食べにいく。嵐が足が、足の裏の小さな斑点が、のっぴきならない事情が刺し迫り、見えたことがない、光っているのに点滅しないから、ずっとそこにある光なのに光かどうかすらわからない、同じようにして深海のずっとずっと底に暮らしていて、水上に出ることが一生のうちで1度もないいくつかの魚たちは、海が海であることを知らないで一生を終えていくがおなじように、わたしも死を知らないで生きていくのだと書いてある本があり、1月も4日をすぎる頃、突然大きな蛾が部屋の中に忍び込んできて、同じように巨大な、巨大な羽が、羽の模様がふたつの目玉に見えた。

寮の5階から見下ろす、といっても見下ろせる風景なんてほんとうに、しかし、自転車のとおりすぎる、しらない、知ったことがない、自転車はうれしそうにベルを鳴らし、それは乗っているものが鳴らしたというより嬉しくなった自転車が、ついつい鳴いてしまったみたいに鳴らし、というよりその自転車には誰も乗っておらず、市電に向かって走り去り、その様子を室外機の上に座って眺め、それからめをつむり、めをつむったまま太陽の方を向いて、むきながらからだをゆらし、そうするとまぶたのうらでピンク色がオレンジや赤にふんわりと変わっていくのが面白いなと思って、そのあとまた部屋に戻って寂しくなり、こたつへはいって並べられた教科書や参考書の一覧を眺め、この世界で自分だけが注目に値するような人だと奢り昂って鏡を割り、割った鏡の破片をときどき足に刺さりながら血だらけになってスリッパを履いたり、履いたスリッパに血が滲んで、遠くの方で聴こえる自転車のベルに心和まされる朝や昼があり、しかし夜になればそんな風景も途切れ同じく自分には誰もいない他の人にはいて自分にはいないと居直ってはまた鏡を割り、割った鏡にうつったいくつかの断片の自分が自分だと思い、その断裂した大量の自分が自分の背景にうごめき、海の中に沈んで、沈んだ際にはあわと一緒に煌めきながら水上に浮かび上がり、沈む私は海底の土の上でねむり、あわと一緒に水上に出た私たちは霧散してきえる。いろいろなわたし(たち)がいて、どれも消えたくないと思い、消えたくないのでそのために体の中で、からだの、たとえばおなかの、胃の中であばれまわり、内側から引っ掻いてはひだをぼろぼろにし、内壁、荒れた内壁が、ぼろぼろとくずれさってはとんがり、とんがぅたところをクライミングする小さな生き物も、つまり、断片化したわたしがいて、うちとそと、そととうち「唇をむやみに大きくひろげ、頭の上にめくり返し、自分自身をくわえ、そうして全身を呑み込み、さらには宇宙全体を呑み込み、そうして食べたもののまるいかたまり」になり、缶詰の中、けど外、つめこみ、外に詰め込まれた缶詰の中身は、ピュレみたいに一滴一滴がしたたり、なにもしない、したことすらない、会って話しさえしなければ自分はいい、自分のままで潔癖な人のままでいられる気がするが自分にはボロがおおい、みられたくないので遮光板で閉じ、ブラインドをおろし、そうするうち日暮れがきて、さっきまでうっとおしかった夕方の光を段々と恋しく思い、朝が来るまでの12時間をどう過ごしたらいいのかわからないと毎日途方に暮れ、朝日を浴びる頃にはまた夜が恋しいと思う。昼は最悪で、ずっと歩く、歩けば遠い、自転車が通りかかり、乗ればいいと言い、乗らないと傷つくだろうか、乗ろうか、乗らない、乗るにはサドルが高すぎた、そんな風景の中で街中にはたくさんの人がおり、コーヒーを飲み、カフェインばかりとり、とったカフェインの中にやはり自分がいることに気づく、体の容器の中にただたべものやのみものを入れているから容器さえなければあちこちいるひとはみんな液体を溜め込んで液体は直ぐに廃液されて廃液されたもので塗れる街が、眠りの中にあるのではなくて、私の中にねむりがあり、いや眠りの中に私があり、ねむっているのではなくて、ねむられている、ねむりによって眠られているわたしが、眠られている、眠りの外側にたってねむっている、「くちびるをむやみに大きくひろ」げ、大きく欠伸をして、あくびの中にいる。

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