見出し画像

くま吉との出会い

私が家で飼っているくま吉というクマとの出会いについてお話します。

あれは私が高校3年生のときです。部活を引退して、さてこれからの進路をどうしよう、と考えていました。わたしが所属していた部活は、新設されたばかりのお好み焼きクラブで、先輩不在のまま、一期生としてお好み焼きキャリアをスタートさせました。夏の大会には県内屈指のお好み焼きエリートたちが集まります。クラブに着任した顧問の先生は、お好み焼きの競技は未経験ですが、学生の頃にたこやきをやっていた先生でした。

わたしの部活の成績はと言うと、はっきり言って良いとは言えませんでした。大会では、個人戦で1勝してそのほかは負けるか引き分け、団体にはレギュラーとして選抜されることもありませんでした。

そのようにして幕を閉じたわたしの競技生活でしたが、充実したものではありました。この道を続けたい、と思っていたのですが、このままやっても成績は伸びない、自分には才能がない、と半ばあきらめていました。

そんな時、たこやきの道を勧めてくれたのが、恩師の顧問でした。お前にはお好み焼きのセンスはなかった(つくれたお好み焼きは、どれもお好み焼きの赤ちゃんでした)、だけど、たこやきの筋はあるんじゃないか、と、そう見抜いてくれていたのです。現役時代、そうしてかけてくれた言葉がずっとの頭に残っていた私は、ある日高校に訪問という形でやってきた、専門学校、短大、大学などがあつまって行われる合同説明会に参加し、そのうち、3校ほどを訪ねました。

ひとつは地元の短期大学、ひとつは4年制の大学、そしてもうひとつが、広島にあるたこやきの専門学校でした。

その学校のパンフレットの表紙には、でかでかとたこやきの写真がのっていました。とてもおいしそうなみためです。

こんがりと焼けたちゃいろい表面。ふわふわのマズル。にょろんとのびたお口。つぶらなひとみ。ぴょこんと生えたお耳。そしてなにより、まんまるすぎるあたま。なんだこのたこやきは、と度肝をぬかれました。

わたしもいつかこんなたこやきをつくりたい、そう思うようになった私は、農大への進学を希望していた親を説得し、どうにかたこやき専門学校へ進むことをゆるしてもらいました。

そしてやってきた入試の日。試験には、学科試験(といっても簡単な常識問題です。はちみつの種類や、シャケの生態についてなど、たこやきに関する問題が多かったという覚えがあります)に加えて、実技試験が設けられていました。

実技試験は、たこやきの調理でした。試験場は大きな実習室で、調理器具の並べられた調理台が何台も並び、そのうちのひとつに案内されました。緊張しながらの本番。震える手で生地をたこ焼き器に流し込みました。ジュー…と焼ける音がします。それを、自分は自分の体からどこか遊離したかたちで、ずっと遠い場所から聴いているように感じました。正直に言って、その試験のことを殆ど覚えていません。きづいたら、とてもおおきなたこやきが完成していました。

ほかほかでもちもちのからだ、ぷっくりとふくらんだマズル、ぴょこんと生えたお耳、スティックパンのようにまるくちんまりとはえたおてて、そしてなによりまんまるの頭。これは…。自分でもびっくりするような出来です。できあがったばかりのたこやきは、ふわぁ…とあくびをして、むにゃむにゃしながら、んぁ?とした顔をしていました。あまりのできばえに、まわりには受験生をはじめ、試験管までもがわたしのまわりを取り囲みました。これまで30年間たこやきを教えてきて、こんなたこやきをみたのは始めてだ、と言った先生もいました。

しかしこれは試験です。試験には勿論品評、つまり実食の時間がありました。めのまえのたこやきは、うっすらとそのことを感じ取っているようです。こきざみに震え始めました。それはあたかも、食べられちゃうクマか…?と困惑し、恐怖しているように見えました(本人に後で聞いてみたところ、おいしく食べてもらいたくて、自分のもちもちさをアピールしていただけのようです)。

わたしはどうしても、食べさせるなんてことはできませんでした。しかし品評の時間は迫ってきます。試験官は、たこやきの提出を求めて、受験生の机を周り、てにもった舟形のトレイに、つまようじでさしてたこやきを回収していきます。13番、14番、15番…わたしの順番がまわってきます。いまやたこやきの震えは、ピークに達し、つくえを震わせてガタガタという音がするほどでした。17番、18番、19番… 20番。私の番号が呼ばれました。つまようじをもった試験官がわたしを見下ろしています。わたしは今やそのたこやきを、いや、くま吉のことを自分の胸に抱きしめていました。

「提出をお願いします」と試験官は言いました。くま吉の涙で、わたしの実習服の胸のあたりが濡れていくのを感じました(後で本人に聞いたところによると、直前までたべていたはちみつが口からこぼれていただけ、とのことでした)。今まで試験に向けて準備してきた時間。他の推薦を蹴ってまで選んだ道。指導してくれた先生。学費を出してくれると言ってくれた両親…いろんな人の顔が浮かびました。そうして数分、いや数十分にも感じられたその葛藤の時間は、実際には数十秒にも満たないものでしたが、そうした沈黙のあと、わたしは声を振り絞って言いました。

「辞退します」

眼の前の試験官は、驚いた顔をしていましたが、すぐに柔和な表情に変わり、そうですか、とだけ言い残して、21番、22番…とまた数を数え始めました。そうして私は、くま吉を、胸に抱きしめながら試験場をあとにしました。

これがわたしとくま吉との出会いです。その後もくま吉はすくすくと育ち、立派なたこやきにまで成長しました。

その後、わたしが辞退したたこやき専門学校から合格のしらせが来るのは、また別の話です。

おわり


できたてのたこやきの様子。急に外気に触れさせると
温度差で風邪を引いてしまうので、こうして保温している



現在のくま吉。
立派なたこやきに成長している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?