無題#3 (4/29~2024/5/02

つまんだ頬は奇妙な心地よさを指先に残して、ガムのように伸び、目の周りに絡まって煙みたいになったあと伏せた机から顔を上げる。気がついたら放課後だった。
鍵を職員室へ返して、駐輪場から自転車を出す。大きな蛾が、それは最初、厚い枯れ葉、凝視するふたつの目に見えたが、校舎の白い壁に張り付いていた、二匹のとても大きな蛾だった。みつめられていた。いくつもの輪がめだまの中心から波紋みたいにいくつもいくつも飛び出し、うすい紫色で世界が覆われていくのを感じた。駐輪場が遠かった。荷台には、包帯で巻かれた肉のような何かが積載されていた。かごにもなにか入っていた。ともかくわたしはどうにか自転車の方まで歩いていって、駐輪場の向こうに映えている木の緑から、視界が正常に戻ったことに気づいた。まだ足はフラフラしていた。自転車のスタンドを上げ、後ろに感じる重みを抱きしめるように感じながら、ペダルを漕いだ。ウサギ小屋の中で、硬い土の地面にたたずんだ二匹のうさぎはただじっと外を見つめる。ロットの中にまじりこんだのは銀色の金属片だった。それは注射針を通してわたしの腕に注入されたあと、ゆるく鎔けて球体のまま波打ちながら、輪郭線が踊った。まるいダイニングテーブルの置かれたキッチンで、水を吐く軟体動物がうごめいている。パトラッシュは眠りにつく前に天使をフラッシュバックする。金色の光が天井から降り注いでいる。そろそろ優を迎えに行かないといけない。

正円の4分の1のかたち。厚みを帯びた扇形のドラみたいな光沢の真鍮。海底から眺めている。黒い窓枠からうみが、夥しい数の泡が、きらめきながら昇っていく。スキューバダイバーは3人並列に並んで行進しながら、赤い懐中電灯みたいな形のスポットライトはきゅうごしらえのものなのかもしれないが光量は十分にある。ステージ上に並んだ3人のうちひとりは、透明の左足が光を屈曲させてゆがみ背後の海をすかせているのにたいし、緑色の右脚は奇怪だから、真っ黒の目から、白いつぶを長し、顔のかけたむさしは村上?と呼びかける。村上い?緑色の縁の激しく太い輪郭、肌の湾曲。とても大きなアイスキューブの展示。中から吊り下げられている。120cmのサムライは、透明の扉の奥で謁見する。左腕の金属の延長。5年前、この講義を台無しにした男。その腕によって。大学はもう、教育機関としての機能を停止。

四分の一。四分の二。数字ひらく。数字が進む。電気の点滅蛍光灯。武道場の明かり。扉から少し見える。ハイチュウを噛む。白い更衣室で、中国語の歌を歌う。船の中で、ひいひいひいばあちゃんが歌っていたのと同じ歌なのを知らない。電気が。青い電気が走っているからねずみみたいに。ねずみみたいに暗い部屋の中で。ちらちら点滅する。青い。青い光。船の中、水の音。船の底にあたってくもるおとをライフジャケットを着た僕は聞く。オレンジ色のジャケットを、するするとした感触を撫で、同じようにして感じた髪の毛の感触は、青い目に射抜かれて倒れ込む。布団でめがさめたわたしは、カーテンの奥に白い服を着た妖怪が住んでいる気がして、布団を衣服のように着込んで、鮫のように泳いでくる、シーツの海みたいな、そしたらシーツは輝きをましていって、また海にいた。いないのは優だけで、軽自動車に乗り込んだら、ルームミラーに吊り下がったマリファナの葉っぱのかたちの芳香剤がゆれてまた止まった。遠くのハリケーンのニュースを夕方きいた。そのハリケーンの風だと思った。向かいの古い一軒家の軒先に置かれた鉢植えに、水をやる70代くらいのおじいさんは、ほとんど肌ばかり見えるようなゆるい着こなしでじんべえを着た、つるつるの頭で、玄関にはいってすぐ右手には木でできた帆船の模型が置いてあった。

和室の電灯をひもでかちゃんと消して眠りにつこうとする。遠くの嵐、遠くの雨。TikTokでみた、家の軒先に立って、すさまじい暴風雨の様子を、はしゃぎながら収めた動画にうつる青年らのひとりは、黒いキャップを後ろにかぶって、茶色い半ズボンを履いていた。夥しい数の泡が、きらめきながら昇って。

ドアを閉める音が駐車場に響いて。鳥の鳴き声がする。赤いふんどしを履いている。そういう影。影にだけ。影だけが見える。ドアノブが鈍く銀色に光って、ドアのガラス越しに、木の机の影が見える。中には物が散乱している。定期巡航船の船内の、床の硬い、緑のカーペットの敷かれた雑魚寝スペースでかかっているテレビを見ている。鮫が船のスクリューの近くを泳ぐ。暗い夜の海の底に眠る貝が泡を一つだけだして水上に上がっていく時に、スクリューと鮫が吐き出して泡の中に混じって、一緒になって浮上していく。けむりみたいな影を残して鮫は泳ぎ去り、カーペットの上に寝転がり、児童漫画を読んでいたわたしは、次の日の朝に着く予定地を知らない。

その日は、体内時計がちょうど1時間ずつずれながら1日が過ぎていった。6時だと思ったら5時だし、15時だと思ったら14時だった。

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