2024/04/27

普通にただnoteを更新するようなことができてなにか安心している。そうそうこんな感じだったな、って思っている。生活と幻想をゆきつもどりつする。コアラが無限に増殖する世界があってもいいし、しかし、この生活、みたいなものもちゃんとそこにある。けど、やっぱり、幻想の方へ、ただそちらだけの世界みたいな場所に行こうとする。誰も怒鳴らない場所。あるのかもしれない。あったとしても。あったとしてもなのかもしれない。ユートピア的な場所。どうしてそんなに極端になるのか。ただもっと普通に、生活をやるぞ、でいい気もする。ことしはじめにPerfect Daysをみた。そして見たあと、数日くらい、その世界の延長に自分がいる気がして、とても安心していられた。そのような安心がずっと続くわけはないことをどうしても看過できないのはなんでやろうか。看過できない。社会に出れないのもきっとそういう潔癖さが元になっているのだと思う。さっさと社会に出たい。もうこれ以上ブランクが空くのは、とてもこわい。新卒カードはもう効力をうしなっているが、しかしカードを手に入れに大学へ行ったんだろうか。まあ半分はそうだ。そのための学費であり学生ローンのはずなのだけど、何をしているのか。よくわからない。合理的な理由は説明できない。簡単に言えばただ怖いだけだ。いじめられるのが怖い。でもみんな、多かれ少なかれいじめられながら頑張るものなのかもしれない。かといってそれを甘受するべきではない。なにか寄りかかれるもの、絶対的に寄りかかれる神みたいな存在を求めるのがOCDだと思う。適当なことを言うてる。けど実感としてはそうだ。その希求の大きさはひとそれぞれあるだろうが、しかし大体みんなもっているものなんじゃないか。それは不安だからそう思うのか、それとも自分がそのような存在をみつけられるはずだ、と盲信できている心の余裕があるからそうできているのか。もっと生活を。ただ淡々と。そういうことを去年あたりすごく言っていた気がする。でもそれもきっとすごく極端だ。理性的にも感性的にもきっとどちらにもなれない。というよりどちらにしかなれないのか。でもそんなバランス感覚持っている人なんているだろうか。

書くデバイスを、スマホからパソコンにうつしたせいで、指が疲れないからずっと書いてしまう、とかいていたら指がつかれてきた。おわります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?