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「服が好き」と言えなかった。

旅行先の鹿児島で、服を見たいと思っている、わたし。
その店は、東京にもある店なのに心惹かれる。

苦手な飛行機にまで乗ってやってきて、たどり着く先が全国展開している服屋というのは面白い。もし誰かと一緒に来ていたら、「いつでもいけるじゃん」とか、自分でも言ってしまいそうな選択で、意外であった。

先ほどトゥモローランドで見た鮮やかな水色のカーデガン。あれを着てみたいという欲望。
その横にあった男物のスタンドカラーのコートも彼に似合う気がしてくる。

*

服が好き、は自覚がなかったわけではない。
自覚していたが、実は、服を好きになってはいけないと思っていた。
名前を言ってはいけないあの人、ばりに「服が好き」は私の中で長くNGワードだった。

映画『ミステリという勿れ』で菅田将暉さん演じる久能整くんが、「子供は固まる前のセメントみたいなんです」と話すシーンがある。
小さな頃の出来事が時にトラウマとなり、大人になっても傷を残してしまう、という意味だった。

多かれ少なかれ、その頃、無垢ないじわるを皆経験すると思うが、私の場合は、特に見た目のことだった。

仲良しだった『その子』からは「ダサい」と日常的に言われた。
その時私が着ていた服は、親の選んだ服であり、祖母の好む質はいいけど古風な感じの服であった。そして、大方が姉のお下がりで、私の「好き」はなかったから、それ自体にはそこまで傷ついていなかった。
「ぜひ親に言ってほしい」。そんな気持ちだった。

だが。ダサいと馬鹿にされたことに変な向上心をみせてしまったことが良くなかった。
私の垢抜けへの努力が『その子』の癇に障ったようで、

「何を頑張ってるの?頑張ったところで同じだよ」という私自身への否定となって、私の中にくっきり残った。

『その子』が当時の私にとっておしゃれの最先端だったこともあり、私は「そうなのだ」と受け入れてしまった。
悔しさはあったと思うが、言われ続けるうちに私にはセンスがないのだと、決めてしまった。

中学生になり高校生になり、『その子』とは会わなくなっても、今度はわたし自身が自分にそう言いきかせるようになってしまっていたらしい。
「これが好き」より当たり障りなく無難な服を選ぶようになった。
時々、ときめきでどうしても欲しい服もあっても、「お姉ちゃんのお下がりで」みたいな予防線を用意していた。

別に「おしゃれが好き、服が好き」で堂々としていればよかったのに、傷ついた私がそうさせなかったのだ。

無難な服を買うために悪くはたらいてしまったのが「パーソナルカラー診断」だった。
(今はめちゃくちゃ有用に活用している。カラーアナリストの勉強としたいと思ってるくらいには感謝している)

わたしは好きな服より似合う服を探す癖があったので、「この方程式にはめれば、、、!」という理屈っぽいことを考えていた。
もちろんその服たちは、自分が好きな服ではないので返品するかタンスに眠ってでてこない。
着てみても、なんかしっくりこない。物足りない。

私は「おしゃれが好きだから服を買う」んじゃなくて「人によく見られたいから服を買う」ことをしていたのだと思う。

よく、『彼がこういうテイストが好きだから買ってみる』とかそういう可愛い「人によく見られたい」もあるかと思うのだが、健全さを通り越していた。

クローゼットを覗くと、服はあるのに着たいとおもう服がほとんどない。
そんな風に毎日思って、
自分ってこんなに「自分」を持っていなかったの?という空っぽさを感じ私という人間に心底がっかりしていた。

ある意味、当たり障りないそれっぽい服というのは、私にとって悪目立ちしないための鎧であったと思う。
別に何を言われたこともないのに、
会社の人から身を守り、『その子』とは関係のない友人から身を守り、彼から身を守った。

ただ、周りから身を守るはずだった鎧は、実はアイアン・メイデンだったらしく、ブスブスと私の心を突き刺していた。
「なぜ私は好きでもない服を着ているのだ?」と。

*

鹿児島。
服を見たいと率直に感じている自分に嬉しくもあり、驚きもあった。
多分私は長く服が好きだったのだが、それを言えない呪いにかかっていたから。

旅行先に来てまで、服など。そう思ったが違った。
旅行先だから、アイアン・メイデンの蓋は開いた。
もう一人の私が、開けてくれたのだと思う。

縁もゆかりもない土地で、誰も知らない。
大抵のことは好きにしていいし、ある意味、今の私を縛っているのは帰りの飛行機の時間くらいである。

服が好き。
そんなシンプルな気持ちで明日、トゥモローランドに行ってみよう。
東京に帰っても、「服が好き」。そう言えるように、「好き」を持ち帰ることにする。

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