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イエスさん。



愛はやさしく、



そして厳しい。





欲望や我こそはと思うエゴに対して、



愛は破壊する。




イエスさんは





平和や愛をもたらす為に生まれたのではなく、





破壊するために生まれた人。






イエスさんが生まれた時代や場所には、我こそが選ばれた人だと、権力が力になっていた。




権力者にとって、

自分達だけが特別でいること、

それが権力者にとっての平和だった、心地良さだった。

自分達だけに従う者を、愛した。





偶像の中の平和と愛。





権力者達にとって、

真実の愛こそもっとも恐れるものだった。





イエスさんは、

男女から生まれ、

家庭を持ち、

家族や仲間を大切に思い、

協力しながら、

手を取り合いながら、

ただただ至福に満ちていた。




イエスさんも、

欲望と戦い、

失敗しながらも、

自身の神聖さにいつもいつも向き合って、

本当の意味で打ち勝っていた(=至福に満ちていた)






権利者にとって特別でいて欲しいイエスさんは、




愛に満ちた普通の人(真実の愛を体現してくれた人)






自身の闇を熟知していたからこそ、

その種に栄養を与えなかった。




闇があるから光があるのでは無く、




光が闇を溶かし、光として存在する。 





そして、

誰もが同じ光なんだと、

そうなれるんだと、

生きてこられた人。





何処か遠くに光があるのでは無く、





自分自身が、あなた自分自身が、




光、愛そのものだと、





生きた人。




、、、





それでも私は、

イエスさんのように生きられないと思ってる自分がいて、


小さな小さな私がそう呟いている。



でも小さな私だからこそ、



反省も出来るし、



他者を赦せる権利もある。



権利さえない、

既に赦されている処で、

そう思う私がいる。







“真実の愛に向かって、

みんな生きているんだよ“




生きているの?行けるの?何処で?







何処でも無い、




祈りと信頼の中、“いまここ“で




イエス














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