若年アルツハイマーを限りなくたのしんで生きる夫の日記8月11日
本日病院へは予定なし。
数日前、箱のおばさんに新こんりょこうのおみやげ(おじさんおばさんがなこうど)そのしんこんりょこうで長さきで買ったベッコウの帆船を見たいと(箱のおじおばがなこうどだったので長さきで買い、帰ってからわたしたのを思いだした、もういらないだろうと思ったり、どうしているかと思い、けいちゃんに会ったので見せてもらおうとしたがどこにあるかわからない。最近みたことないとのこと。あきらめた。
しかしもう一度よくみてさがしたいと思う。反面おじおばともまごのだれかにかんたんにあげてるだろうと思いあきらめた。
そう考えると、人間というものの語らい人となりは、本人いがいの者は大体人がよく見てせいかくに見ているものである。
自分はどんなものか不安になった。人に信らいされ安心してまかされるような日頃の生活がなにより大切とあらためえ思った。
そう考えると由美子さんはえらい人だなあとあらためて思った。
おやじやおふくろもそうだ。人に何かされるとなにか返したりもっていっている。人の道?こお年でまだ自分は足りないところがいっぱいあると反省した。花をはちに入れ、げんかん口へ気持ち良い感じで並べた。きれいにできて玄関が明るくきれいになった。自分のへやはそうじしなかったが台所と板はふいた。しかしものたりない生活でうんざりした。
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