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フィクトセクシュアルが認めるべき現実とは?

皆さんこんにちは。
入海七水と申します。

最近は夢女子をこじらせたので、「彼の髪の毛を手入れしてあげている」気分に浸るため彼のウィッグでも製作しようかと思い始めています。でもそこまでするなら等身大ドール開発したいなあとかまで考えてます。私は真剣です。
Amazonとか東急ハンズには人肌風樹脂が売っています。

今回は、夢女子と説明されるうちの、「フィクトセクシュアル」について書いていきたいと思います。

「フィクトセクシュアル」とは

「フィクトセクシュアル」とは、日本語で「架空性愛」と表記され、「同性愛」が同性に性的・恋愛感情を抱くように、「架空性愛」は架空の人物に愛情を抱きます。
夢女子と何が違うの?というと、本人次第です。
しいて言うなら、夢女子に「自分ではない理想の女の子と好きなキャラクターの創作を好む」は含まれますが、フィクトセクシュアルでは完全に「本人が架空の人物を愛している」の意味になります。
創作を好むとかではなく、架空の人物を人物として愛しているという感じでしょうか。
本人が、いかに真剣であるかを主張する際に使われることが多いのではないでしょうか。

だいたいの場合、フィクトセクシュアルが恋をしている相手は、いわゆる「版権」、他の誰かが作り出した作品の登場人物です。今回はその前提で書きます。

筆者の立場は、少なくとも夢女子には含まれつつ、フィクトセクシュアルに含まれるかはわからないよ、って感じです。

社会におけるフィクトセクシュアルとは

そもそもが造語なので、法的に誰かが「こういう人がフィクトセクシュアルを名乗っていいよ」と許可を出したわけでもありません。
社会一般から見れば、インターネット上の狭いコミュニティで使われるオタク用語に過ぎません。

フィクトセクシュアルなんて言ったところで、よほど理解のある人以外はドン引きすると想定されます。
なぜなら、理解のない人には現実逃避にしか見えないから。
現実で恋をしたくないから、自分が愛されないことを認めたくないから、自分を否定することのない架空の人物に逃げてるんでしょ?笑
と、認識されてしまう可能性があるんですね。

じゃあ、そんなフィクトセクシュアルが、どうしたら現実逃避でなく、性的志向として認められるのか。
いったいどのような現実を認めたら、胸を張ってフィクトセクシュアルと名乗れるのか。

私が認めるべきであると判断したのは、2つです。

・相手が存在していないことを受け入れる
・たいていの場合、相手が商業製品であることを認識する

相手が存在していないことを受け入れる

私は、「性的指向として認められるために必要なことはなにか」と考察しました。
認められるとは、社会や、周辺の人です。
せいぜい個人相手なら非科学的な議論を持ちかけてもいいですが、「社会」は、科学だったり感情的でない法則に則って運営される必要性があります。

念のため言い添えておきますが、「科学」を悪役にする気はありません。
「科学的である」とは、「条件がそろったなら必ず再現できる」と、莫大なデータを積み重ね、それらに願望などが含まれず、ひたすらに事実であることです。
科学的であることは、多くの人の命を救っていますし、平等であるということでもあります。
「科学」が悪いのではありません。

とにかく、私たちが説得を試みる対象である「社会」は科学や法学によって運営されています。
架空性愛の対象となる人物について考えてみましょう。

科学的に、つまり物理的に存在しているでしょうか。
法的に人物として存在しているでしょうか。

どちらも否です。
彼らに肉体はありません。
彼らは、著作権保護の対象とはなりますが、人権保護の対象になりません。
最低限の生活を営む権利も、自由な婚姻の権利も、与えられていません。
この社会に生まれた人間として、戸籍として、存在していないからです。

「法人って物理的に存在してないのに権利あるじゃん!」みたいな議論もあります。
でも、少なくとも今、現実の人間と同じ権利があるかといえば別です。

「自分のエッチな絵が描かれるのが嫌だよ」と現実の人が主張したら通ると思います。
心理的苦痛などで損害賠償とかも要求できるかもしれません。
「虐められているのがつらい」としかるべきところにしかるべき手順で報告すれば、虐めの犯人に刑事罰が下るかもしれません。

……で、そういった苦痛の主張がそもそもできず、つらいと思っているかすらわからず、救い出される権利もないのが架空の人物なんです。
虐められているキャラクターが苦しんでいるから、作者は直ちにその人物を幸せにしましょう、なんて判決を下す裁判はできないでしょう。

法と権利について、結婚についても考えましょう。
近年は同性婚の合法化などが求められています。
しかし、フィクトセクシュアルの婚姻は、同性婚とはわけが違います。
片方の意思が証明しえないですし、婚姻によって保障すべき権利があいまいです。

同性婚が必要とされる具体例をいくつか挙げて比較してみましょう。

・手術同意書にサインができないなど、医療的問題
・配偶者が外国の出身の場合、滞在資格が与えられない
・配偶者の遺産を相続できない

これらすべて、フィクトセクシュアルには不要です。(心理的配慮が不要だと断言はしないですよ)

肉体がないので、法で滞在の許可を出す以前の問題です。
許可を受けたところでいませんし、許可を出されなかったとして追い出すこともできません。
彼らは経済的にも存在していません。お金や土地なんて持ってないです。
そして、意思がない(証明できない)のでサインができませんし、意識を失ったあなたの代わりに医者とやりとりをすることができません。

(この項目は公益社団法人Marriage For All Japan – 結婚の自由をすべての人に様のページを元に作成しました。 https://www.marriageforall.jp/marriage-equality

と、こんな風に、法的・経済的・物理的に、架空の人物は、一個人として存在していないのが現状だと思います。

……とはいえ、私たちには信教の自由があります。
非科学の範疇で、架空の存在を霊的に認識したりする権利はあります。
「架空の存在と言えども意思をもって存在している」という世界観をもって生活する権利は、脅かされるべきではありません。
なので、もし法に訴えるのであれば、そういった方向なのかなと感じます。

これだけ「存在しない」と否定的な言葉を繰り返しましたが、少なくとも架空の人物を愛する行いや、法的でない婚姻の宣言そのものは、誰かに損害を与えるものではありません。
故に、誰もやめさせる権利はありません。あるとしたら創作物の権利元のみです。
 

たいていの場合、相手が商業製品であることを認識する

架空性愛が性愛の対象とするのは、架空の人物です。
架空性愛の方は、だいたいなにがしかの作品が好きで、その登場人物が好きなのだと思います。

しかし、そういったコンテンツや人物は、集金のために作られた存在です。
どのような影響を及ぼしたとすれ、商業ベースに乗っている以上、彼らに集金道具としての側面があることは否定できません。
彼らは本来、独立した人間ではない。
あなたたちと立場を同じくする人間が、金儲けのために維持している存在です。
作り手の都合でどうとでもできる存在です。
彼らは、商品です。

商業商品に入れ込んで、依存を肯定されて、人格なんて持っていない相手を一つの人格として扱う。
営利のためにぜんぶ踊らされているだけ、とも解釈できます。

仮に個人が作った作品だとして、状況はあまり変わりません。
一番問題なのは、彼らに人格がないことそのものなのです。
作者が急に差別的思想に目覚めたら、彼らも影響を受けます。
作者が余っているから誰かとくっつけようと思えば、その誰かと結婚します。
担当編集が売れないから打ち切ろうと言えば、彼らの物語は終わります。

そもそも、架空の人物は、意思のある一個人ではないのです。

そのうえで愛すると誓いますか?

以上が、私の考えた、フィクトセクシュアルの「現実」です。
こういった事実を抜きにして、私は架空の人物が好きだから結婚するんだ認めてもらうんだ、と言っていたら、私はそれを誠意に欠けた現実逃避だと思ってしまいます。

現実逃避そのものは悪いことではありません。
この先行きの見えない世界で生きるのが苦しいから、活力として誰かを愛するというのは、まったくもって悪いことではありません。
それどころか、誰かに迷惑をかけないのだから、ストレスマネジメントとして非常に合理的です。
私は純粋に、それを良いことだと思っています。劣っているとか矮小だとかは思いません。
目を背けることが悪いなんて絶対に言いません。
ただ、誰かに権利を要求するのに、現実は認めないとなったら、私個人の中で道理が通らないように感じるというだけです。
社会になにも要求しないなら、私は何とも思いません。

誠意についても、「架空性愛なら誠意があるべきだ」というのが根本的におかしいです。
恋に誠意なんてなくてもいいものなのです。
例えばの話ですが、セフレだとか言って男女間の誠意のない恋は認められているじゃないですか。
それが同性愛では許されない、誠意がないなら同性愛として認めないと言い出したら、絶対におかしいです。
架空性愛であっても誠意のない恋は認められるべきです。

でも、「現実逃避ではない」と、「私たちの恋は遊びではない」と、権利を求めるのであれば、これらの現実は認める必要があると思います。
そして、その上で、好きになった相手との愛を、守り抜くという覚悟が必要です。
どうか、すべてを受け入れたうえで、それでも彼らを愛してほしい。
私はそう考えています。

なんて言ってますけど、しんどかったら何も考えなくていいと思います。
全然非科学を受け入れちゃってもいいと思います。
繰り返しますが、なにがしか社会に変革を求めるのであれば、というだけですから。

上記で多大法律の話をしましたが、私は専門家ではありませんので、多大に間違っている可能性があります。
詳しい方、補足や修正をいろいろとお願いします。

追記

改めて自分で思うところがあったので追記です。

これは一年前に書き溜めていたものなのですが、おおよそ認識としては変わっていません。
しかし、改めてスタンスを今の私の言葉で表現したくなりました。

まず、前提として私たちフィクトセクシュアル・リアコ・ガチ恋夢女子が行っていることは、「合意が取れない相手と婚姻したと宣言する」グロテスクな行いだと思います。
相手は人権もない、意思もない、作者の望まないようには動けない存在です。科学的、法的にはそういうことになります。
しかしその上で、私はそういった観点を抜きにして「なんだか好きになってしまった」わけです。
私の愛した存在には人権も意思もなく、私が勝手に人格のようなものを見出している商業製品です。
あくまでも私たち”読者”が認識できるのは、作品を通じてそれぞれに投影された影でしかない。架空とは、創作物とは一般にそういうものだと思います。
それを踏まえた上で今後も愛していこうと思うのです。

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