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開運力で転職を成功に導けるのか!#54

転職を繰り返す事15回、16回目に起業する。当初の5年は右肩上がりだったものそれからは鳴かず飛ばずの状態であった。その後手を変え品を変えで続けた25年間が過ぎ解散。そして今は占い師となってアドバイザーを続けている。売上がままならない時期に占いを勉強し始め、自分の運気、運勢を調べて行いった。今になるとこれまで長く続けられた理由が分かった。それは運勢の良し悪しの時期に自分が行動を起こしていることが判った。

経営者は孤独である。しかし自分で運勢が読めれば失敗はしないと言うより不安は少なくなるものだ。そして進みゆく道が見えてくることが判断出来る。この第5章は自分の運勢と行動を当てはめ行くことにする。

第1章から第4章までは転職の話だが第5章から運勢を私が見ながら進んで行く。どうやって集客をしたら良いか?どうやって売って行ったのか?どうやって存続させる考え方を持ったのか、失敗と成功を書いたものである。第第1章 #1~#9 第2章 #10~24 第3章 #25~#40      第4章 #41~#51 マガジンに掲載


第五章 最後の転職

リメイクであげあげ!

店は2年3年と右肩上がりで売上が伸びて言いました。いわゆる順風満帆ですから数社の銀行が取引をしてくれと営業が訪ねてくるのです。でも銀行っていうのは掌を返すのが当たり前だとこの時はまだ思ってもみませんでしたがのちのち経験をして理解しました。

当時さくら銀行から来ていた営業がチラッと「美味しい話」がありますなんて言うの話を聞いてみたら「L/Cパック」と言う保証協会の融資があると教えてくれたのです。

この時は輸入代行業者(ジュンソー)が輸入をしてくれていたので必要と感じられなかったのですが、いずれ使うようになるのです。これが無ければ潰れていたかもしれませんと言うくらいに実に美味しい話なんです。そんな融資なので当時は全国でこれを結構使っていた会社は多かったらしいのです。

しかし私が店を辞める頃には年々やる会社も減って全国で3社しかやっていませんなんて嫌味を言われたのを覚えています。いまでもちゃんとこの制度は残っていますのでれを使うと輸入が楽になります。

しかし、意外にも今の銀行員は知っている人が少ないの真実で担当が変わるたびにこちらが銀行員にやり方を教えてあげるような感じでした。しかし、その後2年後にこの制度融資を使わなくてならない大きな問題おこってきます。


羽振りが良くなってくると外車でも買いたくなるのがこの私でした。お金が出来たらベンツに乗りたいと前々から思っていました。今は一般な人がベンツをオシャレで乗っておりますが、今から30年前は不動産屋や危ない職業の人達の好む外車でしたから、ベンツに乗ってるなんて言うと「へ~成金ね~」なんて思われていたと思います。

その車を買ってしまいました。買う前は軽です!当時スバルの軽自動車を乗っていましたので下取りをしてもらうときのメルセデスの営業が呆れていたのも覚えています。「私、初めてです、軽からベンツに乗り換えた人」と言われました。

そんないい気になっていると来ました。何が来たかって一番やな人達です。翌年に国税局が突然入りました。聞いた話ですが、結構、創業してから外車を買うと国税局が入ると聞いていましたが実際に突然連絡が来ました。

初めは経理なんていらない、自分で出来るななんて思ってやってみたのですがどうも帳尻が合わないのです、なので知人の紹介で経理のアルバイトを頼みました。私は簿記三級位なのであまり経理には詳しくないのですが、どうも様子を見ていると「これでいいの?」て思いました。

一流企業に勤めて経理畑を30年やっている人でしたから安心していたのです。しかし決算時にも適当にやっているようにしか思えなかったので心配していました。彼に言うには3年まではどうやっても大丈夫だらと言って税金も払わなくても平気だなんて言っていたから、「そんなものなんだ」とたかをくくっていたのです。

しかし2年目の決算の時、なんかやばいのじゃないか?という感が働き、税理士事務所を探しやってもらうことにしたのです。その半年後に国税局です。お土産を持たさないといけないと言われていましたので追徴課税を取られるかなと思っていましたら、なんと反対に還付金少しですが戻ることになりました。とてもラッキーでした。理由は担当した局員が新米の上にインポートショップが直輸入して販売してるという前例がなかったらしく有耶無耶になったのかと、どちらにしても運が良かったでした。

国税局が入る前に富ヶ谷あるビルのオーナーからテナントに入ってほしいと知人のつてから話が来ました。その場所は居ぬきでもともとブティックをしていて綺麗に造作をしていて、そのまま使える事と保証金も200万だけでしたのでスタッフもいないのに「やります」なんて言ってしまったのです。

そもそも場所を見て人通りはどうかなんてチェックをしてことを進めるのですが、札幌も新宿も上手くいっていたものですから出せばどうにかなると思っていたのでしょう。」

しかし、同じように売り上げは立ちませんでした1年後には店舗を知人に渡します。ここの失敗はスタッフでした。スタッフは知人から紹介でした。話好きな年配の女性だったのでどうにかなるかなと思っていましたが、暇なせいもあって最上階にオーナーのお母さんがいて、そこに入り浸って遊んでいたようなのです。

それをオーナーから困ってると聞いて注意すると逆切れされたので、明日から来なくていいと言うと話もしないでプイっと帰ってしまったのです。しかも3日後には内容証明がと届きます。急にクビにされたと書いてあるのです、なので1か月分払えと書いてありました。こちらも血が上り弁護士を立てて争う気持ちになったのですが、争ってお金と時間の無駄かなと思い、1か月分払って終わりにしました。運も落ちてきたかな~なんて思った時に例の国税局です、ちょっとあせりました。

しかしまだ運は残っていたようです。人もいないのでスタッフを探していろんな人に声を掛けていましたら、お客さんの知人でショップをやりたい人が出てきました。年配の女性とその息子さんで店をやりたいから教えてくれと相談にきたのです。その二人に富ヶ谷の件を話すと「やりたい」と言い出します。

「棚からぼた餅です」降ってわいた話が纏まりました。商品は当初買い取りでしたが思うように売り上げが伸びないので途中から委託にしてほしいと言いだします。販売は素人でしたから上手くいかないのは判っていましたが、いろいろと指導をすると自分の店になると人から言われたくないのは判りますが「黙っていて商品だけかしてくれればいいし自分でやりたい」と言い出しました。けっきょく、一年やってはみたものの上手くいかず辞めてしまいました。

流通経済新聞10001

翌年になって、ある恵比寿にビルを駅前に持っているエルメス好きな婦人がエルメスのスカーフがあまっているのでコートの裏地に張り替えられないか相談にきました。

そこで知人のオーダー服専門仕立て屋に頼み作ってもらいました。その方が大喜びだったのでピンときてある発想が湧きました。5.6年前は飛ぶように売れていたスカーフブームがおちて箪笥の肥やしになっていたのに気が付きました。

そしてエルメスのブラウスの正規のプライスが25万円位だったので眠っているスカーフ一枚でブラウスはつくれないものか仕立て屋さんに相談してスカーフでサンプルを作ってもらいました。

仕立て代39800円でブラウスが完成するので何人も作る人が出てきたのです。するとTBSの王様のブランチの取材がはいります。眠っているスカーフをリメイクでブラウスにと言うことで全国に放送されます。

その日から1,2日は電話注文が殺到でした。この後、巷、世間ではどんどんリメイクが流行ります。私が考案したようなものですから特許出願をしたのですが、残念ですが、通りませんでした。

そして、次のリメイクはフェンディ―のバッグ「バケット」の形をバック製造会社相談して不要になったセーターでリメイクしてバックを19800円で作りました。これはもオーダー品です。そこそこ注文がきたのです。

リメイクによってここで大変なことが起こるのです。          それはプラダが訴えてくるのです。


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