見出し画像

開運力で転職を成功に導けるのか!#23

<私の生年月日に九星気学の3、数秘の3が入っています。この3の意味は次から次とたくさんのことに興味をもって飛びつくのです。つまり飽きっぽいのです。人生はクリエイティブなんだ、自由で喜びに満ちているんだ、好きなことをしていればいいんだと魂が叫んでいる状態なのです。私の飽きっぽさはこの性質から来ていたんですね~、3の性質、これは20歳前半まで作用するのです。>


第二章 16回の転職

<挫折>

3年で5箇所も職場を移ったことになります。さすがに自己嫌悪に陥りそうになりました堪え性のない自分に愛想がつき始めたわけです 。

しかし、渡り歩くことも悪いことばかりではありません。職場経験が多ければそれなりに人脈も増えます。 品川の駅前にあるパシフィックホテルの和食堂で働かないかと誘いがありました。無職ですからすぐさま行きました。

行ってみて驚いたのは板前の数でした。40人はいたのでしょうか、それまではせいぜい10人が良いところでした。ここの厨房はまさに大企業といった印象でした。私程度のキャリアでは、まず洗い物を専門にやることでした。

洗い物といっても3人で行いますのでかなり広い洗い場がありました。3人で食器を洗うのですが、本当に朝から晩まで洗い物ばかりなんです。ボンボンと大勢の板前がちょっとつかったボール・ばっと・鍋なのどの調理器具・道具を放り込んできます。洗っても、洗ってもって感じでした。

それは仕方がないことだとひたすら洗っていたのですが、ふと手を休めて調理の様子を見ると「?」と思ったのです。目に映った光景はまるで自動車工場である板前は同じ場所でひたすら白菜を切っているとか、春菊を巻いているとか、流れ作業で料理を作っていました。

いくら料理の数が多いとはいえ、まるで気持ちのかけらもない調理法です。今で言えばコンビニ弁当のような作り方です。 それを目の当たりにすると、もう嫌になってしまうのですね。食器を洗い始めてたったの一週間でした。

堪え性のない私はそういうことを思い始めるとじっとはしてられない性分なんです。 面接を受けた時の店長にこのことを申し出ると、しぶしぶですが列系の鰻天ぷら専門店にはい違いなりました。わがままの極みですね、本当に情けない話です。でもなぜ辞めさせないで言い分を聞いてくれたのは私は全く知らなかったのですが、姉の店で良く遊んでいたある企業の有力な人からだったのです。店長はその人に恩義を感じていたことが辞めてからわかります。

移った先の天ぷら専門店は当然朝から夜まで天ぷらを揚げっぱなしでした。 確かに流れ作業が嫌だからといって異動になったわけですが、来る日も、来る日も油の前に立って天ぷらを揚げる。ピチピチとはじける油を眺めながら、自問自答をしたんですね。

「自分は一体何をしたいのか・・・・」まだまだ若いし、そう簡単に答えを出る問題ではありません。しかし、少なくとも1日中天ぷら油の前に立ってることではないと思ったのです 。でもこれは今にしてみれば言い訳でした。

たぶん 天ぷらがうまく揚がらなかった事に腹がたったのです。自分の腕に腹がたったのです。これまでは天ぷらは自信があったのですがデパートの中のランチ時、食堂は超忙しいのです。それに手が追い付いて行かなかったのではないかと今になると思います。堪え性のない自尊心だけの人間になっていたのかもしれません。


そこで、「俺は本当は何がしたいのか?」かを考えます。人の紹介はダメだと勝手に思い込み、自分で自分にあった職場を探せばいいと調理師会に入会して店を選ぶことにしました。板場は直ぐに見つかりましたが3か月という短い期間の契約でした。

板長が京都出身の関西で修行をしたアクの強い人でした。板長の命令でポン酢を作っていて、味見をしてもらうと京都弁で「どないしはったん」「まあ、よろしいなあ~」と言われ、承諾したものと思ってビンに移し替えるとその場で瓶のポン酢を捨て流しました、そして自分で作り始めりしました。

ある時は「堪忍して」と言って作りなおされました。「どないしはったん」は「どうしたの」のつもりでしたが実は「あなた気は確かですか?」って意味で「よろしいなあ~」は「どうでもいい」という意味だったと後から気が付くのです。つまり遠廻しに皮肉を言われていました。

なんとか皮肉を言われつつも頑張って3か月の契約を済ませました。契約が終る前に調理師会から次の板場を紹介を何度も受けたのですが、良い返事はしませんでした。私には板前は向いていないのではないか?と思うようになったのです。

いつまでたっても同じ事の繰り返しではダメだと痛感し、板前を辞めるべきだと考えていたからです。思うに「浜名」で好き勝手にやっていたイメージが強く印象に残っていて、どの店に行っても「浜名」と比較するようになっていたのです。居心地の良さ、仕事のやりやすさ、そればかりを追求していたのですから、ものになるはずがありません。

そして以前、諏訪を去る時にまっさんに言われた「お前には向いていない」のはまっさん達の特別な世界に向いていないと私はその時は解釈したのですが実は板前の職人の世界が向いていないという意味だったのかと気が付いたのでした。
 

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?