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開運力で転職を成功に導けるのか!#61

転職を繰り返す事15回、16回目に起業する。当初の5年は右肩上がりだったものそれからは鳴かず飛ばずの状態であった。その後手を変え品を変えで続けた25年間が過ぎ解散。

そして今は占い師となってアドバイザーを続けている。売上がままならない時期に占いを勉強し始め、自分の運気、運勢を調べて行いった。今になるとこれまで長く続けられた理由が分かった。それは運勢の良し悪しの時期に自分が行動を起こしていることが判った。

経営者は孤独である。しかし自分で運勢が読めれば失敗はしないと言うより不安は少なくなるものだ。そして進みゆく道が見えてくることが判断出来る。この第5章は自分の運勢と行動を当てはめ行くことにする。

第1章から第4章までは転職の話だが第5章から運勢を私が見ながら進んで行く。どうやって集客をしたら良いか?どうやって売って行ったのか?どうやって存続させる考え方を持ったのか、失敗と成功を書いたものである。

マガジンに掲載中(まとめ)
第1章 #1 ~#9 第2章 #10 ~24 第3章 #25 ~#40 第4章 #41 ~#51


第五章 最後の転職

神からの伝言

経営者ともなれば心身ともに充実し、「病なんて俺には無縁だ」と考える社長さんも多いかもしれない。それは経営が上手くいっている時だ。

しかしどんなに体力と健康に自信のある人でも売り上げが思うように伸びない時が続くとじわじわと病魔が近づいてくるものです。それは気が付かないうちにストレスが蔓延して身体の弱い部分を攻撃してくるのです。    漢方では未病というのです。


未病とは病気ではないがどうもスッキリしない感じが続くことです。私は経営を初めてから直ぐに身体に痒みが出てきました。当初、痒みは入浴後に出始め増した、そのうちに食後とかに出てその場所を掻くと蚯蚓腫れになりました。それは15年位その状態が続きましたので3年目くらいから抗ヒスタミン錠を毎日呑み続けていました。その間に尿管結石を2度ほど経験をして腎臓が弱っていると病院の診断を受けました。ある病院では手術をしなければと言われそんなに悪いのかなんて思いはじめていました。

そんな折、知人が灸をして治すことが出来るからと言ってある先生を紹介してくれました。その男性はインドネシアで岸壁から落ち、首の骨を折り急死に一生を得た人でした。

目だけ異様にギラギラしていましたが雰囲気は「仙人」と言う感じでした。私は診察をしてくれるかと思って伺ったのに、1時間半以上「神の話,龍の話を」延々と話していたので「とんでもない所に来た、洗脳でもするのか」と思いながら半信半疑で時折、相槌を打ちながら聞いていました。

ほとんど目には見えない話ですし、体験もしたこともない話ばかりで、そう言われればそういう感じかなと思ってしまう事を聞いていました。灸は最後にしていただきそんな診察を3回位受けたとき、なんか信じてみようかななんて思いだしました。

見えないものが見える人になりたくなったのです。彼から惟神の本を読むように言われ知識を入れて行きました。
ある時、札幌の閉店と新たに富山の出店の相談をしに行きました。その時は富山店が絶対に上手く行くと信じていたこともありノリノリで相談をしていたと思います。なので彼は反対もしなかったのですが、今思うとあまりいい返事ではなかったことが思い出されました。

私は彼に会ってから話の途中で彼が「この神社に行ってくると良い」と言われた神社に行くことにしていました。それが九州だろうが滋賀だろうが千葉だろうが疑問を持たずに祈祷しに行きました。そのかいがあって仕事が上向きになって来たように思われたのです。

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その彼が「お店を出す前に、店長と白山に登ってきなさい」というのです。白山は3000m級の山です。私は登山の経験もなく、膝も悪いので登りきれないと不安がよぎりました。
それをすればお店は上手く行くと最後に言われたので私は私より3歳上の富山の店長となる女性に連絡を取り聞いてみた。

すると気軽にOKを出した。彼女はやはりスピリチュアル的な感が良い人で「何かが見える人だと」と私に話していたので、何か彼と通ずるものがあり承諾したのかと勝手に思っていました。結構は1か月後にしました。

私は登山道具一式を買い、膝の具合を加味した工程を作り室堂で一泊して頂上に向かう計画をしました。登山が来週に迫った時に彼女から連絡がありました。なんと昨日、白山を登ってきたというのです。5時間で、それもスニーカーだと言う。それを疑いもなく聞いて後は私がちゃんと登山すれば富山店は上手く行くと信じたものです。

当日、白山登山を決行しました。天気予報だと曇りと出ていたので安堵はしていました。登山道を一人でひたすら登って行きましたがこんなにも登山が辛いと1時間位登り始めて思い知りました。膝の調子も余り良くありません、痛みも少し出ていましたが、何とか成功したい一心から登り始め何とか5時間位かかりましたが室堂の山小屋につきました。

着いたとたんに雨がふりだし、風が吹き夏の嵐になりました。3時ごろでしたがあたりは真っ暗になり夜中の感じになりました。17時ぐらいに嵐が去って、白山の頂上が見えましたので行く気になれば頂上に行けたのですが疲れもあり明日朝にしようと怖気づいたのです。

その選択が間違いと後から気が付きます。午後20時ごろからまた嵐のような気候になり土砂降りでした。翌朝にも土砂降りで、危険なので頂上に行かず下山するか室堂でやむのを待つ選択を自分でしなければならないのでした。

私が選んだのは「とにかく行かなくてはならない」と言う気持ちしかなく頂上に向かいました。登山道に突風が吹き荒れていていました。雨も降っているので道も滑る状態でしたがしっかりと登って行きました。しかし頂上があと少しの時に突風が私を巻きつけ吹き飛ばされました。あっという間に20メートル位、滑り転げ落ちましたが崖ではなく登山道でしたから突き指位で済みました。

何とか気力で頂上へいき写真をとり室堂まで下山しました。
そこから来た道を戻るのにまた5時間かかると思うとちょっと泣きたくなる気分でした。しかし、室堂の山小屋に居ても無駄と感じた私は休まず下山を決行しました。ほとんど人は危険なので雨が止むのを待っての下山を計画をしていたようです。

来るときも1人、下山も1人と初めから覚悟をしていましたし下る方が楽と思って心細さはありましたが麓に向かって下山し始めました。山は荒れ狂っていました。雨は容赦なく目に入ってきます、身体も冷えて行くのが分かりました。周りを見渡しても誰一人と人影はなく、ここで足を滑らして落ちたら死ぬななんて・・・・思ったりしました。必死さもあり緊張していたのでしょう、途中何度か足をふみ外して転ぶことはありましたがストックでどうにか大事になりませんでした。

本来なら膝は持たなかったのでしょうが必死だったこともあって登山口まで無事につきました。しかし、ホッとしのか登山口についてからもう一歩も歩けない状態でした。全身ビショビショでしたが着替える力も残っていない状態で何とか金沢行のバスに乗り込んだ次第でした。

東京に帰るときにこれで富山店は問題なく始められると思ったのです。そして12月のオープンとなりました。店長の実力を信じ楽しみでした。

しかし1か月もたたないうちにこれはまずいことになるなと感じました。 その半年後にはやらない方が良かったと後悔するのです。

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