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開運力で転職を成功に導けるのか!#57

転職を繰り返す事15回、16回目に起業する。当初の5年は右肩上がりだったものそれからは鳴かず飛ばずの状態であった。その後手を変え品を変えで続けた25年間が過ぎ解散。そして今は占い師となってアドバイザーを続けている。売上がままならない時期に占いを勉強し始め、自分の運気、運勢を調べて行いった。今になるとこれまで長く続けられた理由が分かった。それは運勢の良し悪しの時期に自分が行動を起こしていることが判った。

経営者は孤独である。しかし自分で運勢が読めれば失敗はしないと言うより不安は少なくなるものだ。そして進みゆく道が見えてくることが判断出来る。この第5章は自分の運勢と行動を当てはめ行くことにする。

第1章から第4章までは転職の話だが第5章から運勢を私が見ながら進んで行く。どうやって集客をしたら良いか?どうやって売って行ったのか?どうやって存続させる考え方を持ったのか、失敗と成功を書いたものである。第第1章 #1~#9 第2章 #10~24 第3章 #25~#40      第4章 #41~#51 マガジンに掲載

第5章 最後の転職

<守銭奴>

運勢を読むことが出来る占術で四柱推命がある。私は当時、占いの勉強をしていなかったのは、自分が運がある人間で占いなんて必要はないと思っていたからです。

運勢を見る上で年運・大運・空亡を調べます。私の場合、25年間で最初に大きくつまずいた時期がありました。前年と違って上手く歯車が回って行かない時期が突然現れ出したのは1998~2002の年運の偏印から劫財の時期でした。

その1998、1999の年は年運の空亡、大運20年空亡の始まりの年でした。
このような時期は経営者にとって大きく様変わりする時期です。既存のやり方を変え大きく舵を切る時期でもあります。私の場合この時期に悪いとされる運勢の3つが重なりました。


1993年から1997年まではやることなすこと最終的にはプラスになったのものだが1,998年からは気苦労が貯まる一方でした。変調は身体に襲い掛かってきました。アレルギー症状、尿管結石、腎臓病など今まではかかったことがない病気が出てきます。これは日々のお金に対してのストレスが原因なのは理解していました。

2002年の6月、イタリアのフィレンツエのホテルにいた時です。朝の4時頃でした。ホテルに店長から国際電話がかかってきました。国際電話が高くつくと思ったのでしょう「川畑商事」が倒産した。後はFAXを送るから」と言って短めに電話が切れた。何かすごく悪い知らせなような気がした。

川畑商事はビルのオーナーの会社です。私が8年前に保証金600万を3分割にして入れてもらった経緯がある。約束通りに3年で全額を収めた。それからオーナーとはわりと良い関係であったと思う。しかしオーナーは苦戦をしてたのだろうそんなことは気にも留めなかった。ビルは私が入店してからも相変わらず10フロアのうち3つか4つは店ナントが決まらずにいた。まさかそれが原因で倒産とは考え付かなかったがそのまさかだったのです。

待っていたFAXはそれから1時間後にホテルのフロントに届いた。読んでみると昨日2度目不渡りを出して事実上の倒産をしたらしい。
あまり詳しいことは書いてないので理解できてはいなかったのですが、私の条件を聞いてくれたのがビルのオーナーですからちょっと同情的な気持ちも出てきた。

しかし、そんな気持ちの裏腹にビルが倒産すると私の会社はどうなるか急に心配になったものだ。帰国してみると川畑社長は既にどこかに雲隠れしていて事務所には事務員が1人残って何かをしていた


この光景は私がテネシーから帰国して環境開発研究所に出向いた時に似ていたと思った。20人位のデスクが並んでいた部屋に一人だけ机に向かっている、残務整理をしている会計の人しかいなかった風景だ。

そんな昔のことを思い出して感傷的にちょっとはなったのだがその後、不快な事を聞くのです。オーナーは会社が倒産するのが判っていたのであろう、数か月前になんと自己破産の手続きを取っておりました。するとこれって計画倒産?って思うのです。

「汚い奴」と腹が立ってきた。それそうと、一番気になっていたのは保証金の件でした。倒産なら管財人が入ってきて保証金も全額ではないんかもしれないが返金はあるはずだが。自己破産でビルを手放したわけですからもうすでに一切ビルに対しては無関係になります。競売になると言うのが周りの意見であった。


ここで直ぐに新オーナーが決まったとして新オーナーと私が新賃貸契約を交わさないといけないのだ。では保証金はどうなるかというと新オーナーが返金してくれることはないのだ、そんな義務はないらしい。新たに保証金を払わなければならない、つまりこの場所に居たかったら二重に保証金を払うことになるのです。

そして不条理なことに、もし退去する場合はスケルトン、元の状態にして渡す義務は残ると言うのだ。要するに競売にかかれば保証金は戻らないし出費だけかさむと言うことだ。私は法律の事は詳しくはないが、ない頭で考えたのは翌年の9月が3年ごとの更新月だ。契約更新はしないことは直ぐ決めた。

だったら、新オーナになって保証金が戻ってこないならば立ち退きの要求があるまで賃料を払わずにいたら賃料と保証金が相殺になると思ったのです。このことはとても後ろめたい気持ちであったが実際そうやって払わずにいた。

その間に空き店舗を探しておりましたが私が決めていた金額に見合う物件はそうそう出てこなかった。月日が経ち翌年の夏になったころに渋谷2丁目に空き物件を見つけた。33坪で家賃70万保証金は500万でしたので坪単価は相場より安く、外観は良いのだが地の利が不便で集客は難しいそうに感が「やってしまえ!」的に決断をして8月に移転することにした。

この時、もう一つ不安な材料がありました。店長の2度目の妊娠を聞かされました。店長はヨーロッパ商事から一緒にやってきたスタッフです。独立時にも100万円を貸してくれた良き右腕となって働いてくれたので信頼もしていました。最初の妊娠は5年前で長男を出産しました。

「休職したい」と言われた時はショックでした。売上が右肩上がりの時期で店舗が4店舗あり買付と出張を繰り返して、新宿本店は彼女に任せていたようなものでした。つまり私が身動き取れなくなると言う意味でした。

会社は人で成り立ちます。会社の事を思ってくれている気持ちが強い人がいなければ売り上げは伸びないものです。1人の店長の代わりに複数のアルバイトを入れても売上が落ちたのです。

案の定、1997年 偏印の年は売上1億ほど落ちたのです。その落ちた時は自分の力不足なのに店長が産休していたからと店長のせいにしている自分がいたのです。人はお金によって性格もかわるんですね~守銭奴になっていたのかもしれません。

そのことがって悪いイメージがあっての上で今回の妊娠の件を言われたのです。妊娠はおめでたい事ですが本心から喜ぶことが出来なかった私がいましたし、なぜこの時期に!

一番大切な時期なのに!すごく腹が立ってきたのを覚えています。身勝手な心の小さい自分を棚に上げてそんなやな奴になっていました。「今回は復帰はしなくていい」とまで口に出かかったがそんな度胸も無く、復帰を待つことになるのです。

そして2001年この時期に父が癌でなくなり遺産が入って来るのです、父の死は5年前から宣告されていて覚悟を決めていましたので自分なりに消化していたと思います。その年は離婚もあり私生活もあたふたしていました。

遺産が入ってきたことによって余裕が多少あったのでしょう、保証金の件ではあたふたはしていましたが冷静に処理が出来てはずです。店舗は1店舗になり、その時期にまたいい話が来るのです。

運勢は比肩・劫財が廻ってきたために調子に乗ると足をすくわれる年になります。あくまでも慎重に対処する、病人に例えれば手術をしてほぼ直ってきた時にもういいだろうと思い運動してしまいまたぶり返す、または死んでしまうと言う1998.1999はかなり危なかったのです。

そこから徐々に巻き返しますのが傷官・食神の年の2000.2001で試練からちょっと抜け出せた感があってもまだまだ精神的なダメージが強いがホット息をつける時です。2002年に占いの学校に通うことになるのです。

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