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開運力で転職を成功に導けるのか!#20

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。               <み~さん>

第二章 16回の転職


<急転直下>
日馬から突然の連絡が何の前触れもなく来ました。茅野の店を辞めて横浜に帰りたいと言っていました。理由はやはり人間関係でした。       彼もまた私が諏訪で体験した辛い日々を送ってきたのでしたのでしょう。

彼の取り巻く人達は根っからの悪人ではないと思いますが、やはり一般人と違う世界の人達ですから付き合うのは大変だとおもいます。私と違ってみんなから可愛がられた彼でしたので自然と付き合いが多くなったと思いますが違和感が炭酸水の泡のようにぶくぶくと湧き上がってきたようです。

それと私が紹介した3歳上の女性と遠距離恋愛をして、彼女が身籠り結婚すると決めたことも話してくれました。私は日馬に結婚をする理由で横浜に戻りたいと言えば帰してくれると思うと話ました。

筋が通る話ならわかってくれる人達でもありますが、「はい、そうですか」なんて簡単には言わない人達でもあります。しかし意外にもすんなり喜んでくれて戻っても良いことになりました。6月の挙式を決めたのですが彼らに挙式に出て欲しいと日馬がお世辞のつもりで言ったことが決めてになった感があります。日馬にしても引っこみが付かなくなりスピーチも頼むことになったのです。

2人で「挙式の想像」をしました。まっさん、田岡、谷部、山田の四人が出席した結婚式です。お酒が入ると抑えが利かなくなりますので披露宴は荒れるのではないかと心配したものです。

当日、彼と彼女の両親、親戚、私は別としてその他の友人達はその4人のごっつい男達がテーブルをちらちら見るのですがあまりの違和感があり過ぎて引いていました。「ダレ?」「何者?」とたぶん思っていたのでしょう。

まっさんから4人が祝辞をのべるのですが、強面の割にはおしゃべりが上手で笑を取ることもできた4人でした。当初はその他の参加者は顔が引きつった感じでしたがいつの間に笑顔になっていました。私は久々に逢った彼らに儀礼的に挨拶に行きました、それ以降会うことも連絡もすることはありませんでした。縁が切れたのです。

そして、働き口を探していた日馬をマスターに紹介し「浜名寿司」で働く事になりました。マスタはーさらにアルバイトを探しており私が地元でもあることで私の中学・高校の同級生が大学生だったので4人ほど紹介しました。彼は交互にバイトすることになったのです。

この時が仕事をしていて一番楽しかった気がします。気心が知れた友人がそばにいることはストレスも減るのです。とくに仕事の後のみんなで食べるまかない食は話が弾みお酒は飲みませんでしたが賑やかでいつも楽しく笑があふれていました。


でも、そんな楽しいことは長く続かないものでした。半年たっても寿司店が売り上げが伸びないのです、次第に女将さんとマスターが喧嘩をちょくちょくするようになったのを見かけました。

「まずいな~この環境」と思いつつ何もできない私がいました。小料理屋もたぶんマスターでなく私がやっているわけで料理の味は落ちているに違いないのです。救いは女将さんでした。人気があって料理の分を補っていたのでしょう、それでどうにか経営は成り立っていたのかもしれません。

しかしある事件が起こります。マスターが入れ込んだ寿司店は売上は上がらないのに食材にお金をかけ過ぎることが発端となり夫婦仲が悪くなります。その当時、マスターと女将さんと私と日馬は店が終わると皆で昼は喫茶店、夜はスナック「青柳」に月に1度行くことがありました。

青柳は伊勢佐木町にありました。姉が個々の経営者と結婚したのです。10歳ほど年上で物腰も柔らかく色白でしたがとんでもない食わせ物の男くっ付いてしまいうちの家族が大変なことになるとはこの時はまだ想像もつかなかったものです。

この日も仕事終わりに行ったのです。私は河岸に行く予定があり女将さんがさんざん誘ってくれてたのにその日に限って断った自分がいました。朝四時ごろだったか、日馬から電話が入ります。
「大変なことになった」
「なに?どうした?」                        寝ぼけていましたが緊迫した日馬の声で目が覚めたのです。
「マスターと女将が喧嘩をしだしてさ~、言い合いだけだ出なく取っ組み合いないなったんだ、そしてマスターは女将の長い髪をもって店中を引きづり廻すししだいで、それで俺がマスターを止めて、青木が女将さんを連れて外に出したんだ。」
「それから、どうした?」
「マスターは何処かいっちゃたし、女将さんは青木と一緒だから心配ないと思うけど、どうする?」
私はいづれは大きな喧嘩にはなると思っていましたのですごく驚くことはなかったのですが、マスターが飲み過ぎると酒乱気味になるのを知っていたから「ついに」と思っていました。

でも子供2人いますし、きっとどうにか落ち着くだろうと甘い考えを持っていましたが、実際はそうならず、その日の3時間後、とんでもないことが起こるのです。

たぶんマスターは何処かでさらに飲んだのでしょう、たぶん酒乱気味だと想像します。自宅にいた女将さんと再びバトルがあった模様です。女将さんが新車のローレルに乗ってマスターから逃げていったあとをキャラバンで追いかけ家から200m離れた路地にいたローレルの横に体当たりしてローレルがのドア凹むことになりました。

当然、恐怖を感じた女将さんは離婚を言い出し、2人の子供つれて実家に戻ってしまい、あまり日にも立たないうちに離婚となりました。婿養子的だったマスターは私たちにと会わずに千葉の実家にもどってしまい、当然寿司店と小料理店は次の日から閉店となり廃業に追い込まれました。

小料理店の壁におしながきの料理の書いた板がありました。右端からそれを1枚、1枚裏に返していたら急に目に涙があふれてきました。あまりに突然で悔いがのこるのです。あの日、一緒にいったならこんなことにはならなかったのではないかと嫌悪感が渦巻いていました。

最後の一枚を裏返すとその時、何かがぷつんと切れました、母親が死んだ時は子供だったのか凄く泣く事はなかったのですが、今回は声を出して大泣きをしてしまいました。あんなに泣いたことは後にも先にもありませんでした。きっとその時は世界が終る位のショックだったのでしょうね。

お世話になったマスターと女将さんもそれ以降会うことはありませんでした。この時に私は板前を辞めようと強く思ったのです。

続く


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