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開運力で転職を成功に導けるのか!#60

転職を繰り返す事15回、16回目に起業する。当初の5年は右肩上がりだったものそれからは鳴かず飛ばずの状態であった。その後手を変え品を変えで続けた25年間が過ぎ解散。

そして今は占い師となってアドバイザーを続けている。売上がままならない時期に占いを勉強し始め、自分の運気、運勢を調べて行いった。今になるとこれまで長く続けられた理由が分かった。それは運勢の良し悪しの時期に自分が行動を起こしていることが判った。

経営者は孤独である。しかし自分で運勢が読めれば失敗はしないと言うより不安は少なくなるものだ。そして進みゆく道が見えてくることが判断出来る。この第5章は自分の運勢と行動を当てはめ行くことにする。

第1章から第4章までは転職の話だが第5章から運勢を私が見ながら進んで行く。どうやって集客をしたら良いか?どうやって売って行ったのか?どうやって存続させる考え方を持ったのか、失敗と成功を書いたものである。

マガジンに掲載中(まとめ)
第1章 #1~#9 第2章 #10~24 第3章 #25~#40 第4章 #41~#51

 

第5章 最後の転職

動くことでチャンスが広がる

一度何かしらで成功した人はビジネスを続けていると更に試練がやって来るものです。私の場合も度々試練が廻ってきました。                                       しかし、どうにかその波に呑まれながらも耐えたことでチャンスも巡ってくるものです。

ビジネスが上手く廻る時期は人によって違います。私が財星が廻っている2年間は札幌の出店で大赤字になり運営に大打撃を受けました。普通は財星が廻ると運は上向きなんですが私の場合はそうとも言えないのです。例えば水をすくって器に入れようとするも途中で水がこぼれてしまい全部は入れられないみたいな感じです。つまり儲かったり存したりトントンな時期なんです。

その後の年は官星で運も上がります。25年を振り返ってみると私は官星の年が売上が良かったですのです。なので官星に入ってから売上も少し落ち着いてきました。店舗経営失敗のマイナス分を取り返した2年になりました。札幌の失敗の件で店舗を出店を一時ストップして青山店のみで集中したのが良かったのです。

しかし官星2年が終わり翌年は印星が廻って来ます。まわって来ると気持ちフワフワしてきますので落ちついて仕事が出来ません、何か不安感が先に立って何か新しいことをしたくなるものです。丁度その頃に、それが札幌の田辺愛子からの連絡が来るのです。
突如、田辺愛子から路面店を出したと連絡が来ました。この2年間、札幌を引き継いだオーナーに紹介して上手くやっていたと思っていまいた。

理由は判りませんがオーナーが業務縮小でデパートから撤退し移転を決め彼女は辞めることになった。彼女はその後その場所で半年間、催事契約をして販売をしていたが、格安で路面物件を借りれる話が出てきたそうです。

しかし場所が繁華街から外れている場所でしたので集客は難しいことは判っていたらしいですが女の一大勝負にでたのです。連絡は店が広いので商品を貸してくれと言う相談でした。これは委託といってよくデパートがやっていることで売れ商品分を払う仕組みです。販売力が無い会社は委託して売ってもらうのですが、売れなければ返品になるので貸方はリスクが高いのです。

当店も委託するほど商品が余っていなかったので一度は断りました。それから何度か連絡が来ていて儲かっている話を聞いていました。エルメスのバーキン風のバッグ韓国でオーダーで作らせているとか、薄手のムートンコートがバカ売れしている話を聞かされていました。

その1年半後また連絡が来ました。「商品が不足しているので委託してほしい」ということでした。彼女の店舗の場所も知らなかったのでやはり委託はリスクがあると感じ、リスクが無い合同展示販売会を提案しました。

3日間の合同催事で商品を持って行くことにしたのです。私は彼女がそれまでどんなものを売っていたか全く知りませんでした。商品を彼女の店に前日に着くようにし私も彼女の店に伺いました。

店舗の地区はススキの裏にあたりで雰囲気が暗く感じで商売をやるような場所ではないなと感じました。しかし借りた店舗は20年続いていたブティックと聞いていましたのでそのオーナーの人柄で集客をしていたことが分かりますが内装も古く、高級店とはとても思えない店でした。

置いている商品を見るとブランド品のシャネル、エルメスのバックやバーバリーの服等飾ってありました。しかし、これは専門業者ならコピー品と判るものでしたのでこれは問題になると私は思いました。彼女に問いただすと、白々しくたぶん本物だと言い張りますし、どこで仕入れたのか聞くとある業者から買っていて間違いないと言う。私がコピー品を扱って世間に知られたら大変になると口酸っぱく言っても彼女に話しても判ってくれませんでした。

「これでは合同では出来ないよ、こちらも迷惑だ」

「チラシも出したのでお客さんが来るから困る・・・今回だけは当店の商品を出さないで社長の商品だけで販売するから」と言うので催事をすることになったのです。やり方は、値引きをしなければ売れないのは判っていたので手数料は値引きしたプライスの現金の場合は25%。カード払いは20%を手数料と支払う約束で行った。

3日間でかなりのお客さんが来店されたので総売上が250万円位になりました。彼女にとっても私にとっても悪い売上ではなかったので数か月おきにこの形で販売会をすることが決まった。一抹の不安を覚えながらも売上に繋がり、欲も出てきたので後先を考えず決めてしまったのです。

ですから普段扱っているコピーの件は目を瞑りました。それから1年に2度の割合で販売会をした。たぶん私の商品を東京にも出した後はコピー品を売っていたに違いないのです。

3度目の展示会の時に青天の霹靂が起こります。本当に予想だにしない出来事が突然起こってしまうのです。

朝9時でした。私は早めについて自分の品をBOXから出し商品を棚にセッティングしていました。その時に1人の女性が入ってきました。店のオーナーの彼女が応対をして「10時からお願いします」などと言って帰って頂いた直後に7人のスーツを着た男達がドカドカと入って来ました。

「なに?」と男たちの行動を目が追っていた。
入り口に2人、あとはバラバラに立ちはじめた。何かを逃がさないって感じでした。レディスの店には男性はあまり来ないし見た目がちょっと強面です。場所が場所です。一瞬ヤクザかなと思ったのです。

低い声で「あなたがここのオーナー?」と私に1人の男が聞いてきたので。「違いますけど」と言った。

すると先程の入店してきた女性が田辺オーナーを奥の事務所から連れてきて「ここのオーナー」ですと男に言った。

「私は何が始まるの?」ちょっと茫然とみていた。

「今から商標法違反容疑で商品を調べる」と彼女に言った。

彼らは警察官で一斉捜査でした。ドラマで良くあるシーンです。私はやっぱり来たか?と思った。常々とこの件については不安があったからです。

同時にその場を仕切っている刑事が私にも質問してきた。私の素性とここに来た理由を述べると、納得したような感じも見えた。そして名刺を私に渡し、それ以上は聞かれなかった。彼女を3人の刑事が取り囲み奥の事務所へと連れて行ったので私もその後を追った。

女性警官が外からまた1人スーツを着た男を事務所に連れてきて、その他の刑事が無造作に置いてある段ボールBOXからバッグを1点、1点とりだし鑑定し始めた。

「これ、どうかな?」と後から入って来た男に聞く。

「コピー品ですね」と彼はバックを触り中を見たり縫い目をチェックして答えていた。そして違う段ボールBOXも開け同じように調べていた。

「これで全部だな」とオーナーに言うと他の警察官が外に持ちだした。そしてオーナーを逮捕すると言って店の外に連れ出した。

「これは、貴女のバッグですね」と田辺に念を押していたが、聞いていると田辺は借りているだけと言っていた。

そして、店頭にきてバックを探し始めた。丁度私が持ってきたプラダのバッグが店頭に10点ほど飾っていた。それも持って行き出したので慌てました。

「それ、私の物です、もっていかないでください!」と抗議すると

「これもコピー品かしれないので摘発する、本物の証拠はあるのか」

「あります、ちゃんとエビデンスがあるので問題ありません」

「じゃあ、見せて見ろ!」

「ここにはないが東京にある」

「その書類が来たら、戻すことにする」と言われた。

私は店長に連絡をして書類をFAXさせ、名刺の刑事に渡した。そうやっているうちに帳簿、服や小物、あらゆる物を持ち出してしたのです。その都度店頭に並べている当店の物を指摘して持って行かれないように説明をしたのです。

既に意気消沈して顔面蒼白になった田辺も一緒に連れていかれた。帰り際に名刺の刑事が15時頃警察に来てくれと私に言った。私も取り調べるのか?私も嫌な気分になったものです。

そこにいた彼女のスタッフと私は何も言葉もかけられず連れて行かれるのを見ていた。あっという間の出来事でした。


当然、販売会は中止となった。私は飾った自分の商品をBOXに再び入れて東京に戻す準備をして札幌警察所に向かった。何を聞かれるのかなあ?と心配したが内容は私と田辺オーナーの今までの関わりを初めて会った時から話せと言われた。話は2、3時間だったか、あまり記憶に残っていないのだが警察所を出ると周りは暗くなっていた。

その後、彼女のご主人に連絡をして今までのいきさつを話、東京に戻った。私の商品は1週間位で東京の店に戻って来たのを覚えている。

その時の警察での話によると2年前から目をつけられていたことが分かった。2年前、デパートで催事契約で店をやっていた時にシャネルバッグを売ったそうだ。その時にそのお客様がシャネルに持って行き本物か聞いたところ「当店の品ではない」と言われ、そのお客が警察に被害届を出したことから始まったようだ。

実際、そのバックはシャネルの並行輸入品であったのだが、ブランド専門店はそう答えるのが一般的です。そこから目をつけられたのです。二年間と言う歳月を経て捜査に入ったわけです。彼女が逮捕される前にコピーを扱う業者の摘発捜査がはいりそこで田辺の店の領収書が見つかりここを割り出したようです。


普通、警察に逮捕された被疑者は、逮捕の翌日か翌々日に検察庁に連れて行かれ、釈放の有無が検討されます。検察官と裁判官によって釈放が「なし」と判断された場合、逮捕された被疑者は、勾留を請求された日から10日間から20日間、留置場での生活を強いられることになります。
しかし、彼女の場合は「なし」になり2,3日で帰ってくると思っていたら頑なに仕入れ先の情報を言わないことで「反省がない」ということで拘留期間が30日位あったかと思います。

そして、バッグは委託品であり、本人のコピー品はシャネルのロゴが入った靴下が7足を売っていたことが罪になった。たぶん、最後は話したと思うが委託元を言わないで頑張ったために拘留期間が長くなったらしい。

彼女は販売力があるのにコピー商品に手を出し結果的には逮捕され、店も続けることも出来なくなった。ご主人が重度糖尿病で働けず収入がなく、その為にやってしまったのだと後から聞いた。

その後、出所したことがスタッフから連絡が来た。これからの生活はどうするのかとその時に居合わせた経緯もあって心配になったもんです。何か出来ないかなと考えもう一度店舗を札幌に出すことを決意しました。周りの反対もあったのだが彼女と販売代行の契約をすることにしたのです。

占い的には自分にとってあまり良くない印星が廻ってきていました。占い強く信じているなら「販売代行」で札幌の店を出すなんてことはしないのだが、彼女の心配もあったろうが、もっと心配だったのは今後の青山店。売上と在庫処分する場所も必要と考えて決断したのです。

店舗も好条件ですすきのに近い場所が直ぐ見つかり3か月たたないうちにオープンとなった。商品が良く、販売力がある田辺店長です。順調に売り上げも伸びていました。しかし、良いことは続きません。半年が過ぎていくと事件の事はもう頭になく怠け癖をだしてきます。

定時に店を空けないとか、日々の販売に力を入れないようになってきました。それは私にも原因があったようです。

それは月に一度セールイベントで私が販売員として札幌に手伝いに行きました。そのセール3日間で一月分を稼ぎ出すようになっていたために、普段の日は手を抜き初めていたのです。

私が値引きの決済が出来るのでセール日にそれを目当てに来るお客様が増えたのです。店長もここぞとばかりにと集めていたのです。

私が甘かったせいで自分で自分の首を絞めていたことになります。2年前の札幌進出した失敗を再び繰り返していたのです。嫌われたくない気持ちが強く甘くしていたのです。

そのくせ、売り上げが落ちると店長に対して不満がふつふつとわきあがる自分もいました。印星の年は気が変わりやすい所があります。

富山に店舗を出す話が出ました。富山市内でインポートブティックに20年勤めているスタッフが独立をしたいらしいので手を貸してほしいと相談があったのです。

会ってみると53才と思えない若々しく美人な女性でした。かなりやり手の雰囲気がにじみ出ていて自信家の様に思えた。

資金はないがお客様を多く持っているので販売代行でやらせてもらいたいと言うので、紹介者も自分の妻ですごく売れる人と聞いていたので、簡単に大丈夫だろうと言う気になってしまった。

今回は売り上げの30%の契約をした。札幌は私が販売を手伝ったが彼女はそれを断り、なおかつ自分が社長としてお客様に伝えるので店に出ないでほしいと初めから言われたので「頼もしい」と思い、了解したのです。オープンは11月と決めて動いていた。オープンまで半年前のことでした。

その頃になると田辺店長がさらに不真面目になってきたました。店の休むようになったのです。いつか切らないと思っていた矢先、リーマンショックが起こります。

先の事を考えると気分は店を閉める気持に極度に傾き始めました。その頃、富山店もオープンし2店は必要がないと思ったからです。

そんな時、「他人の芝生は青く」写ったのでしょう。以前から知っている同業者の社長が羽振りがよさそうに見えた私に新ビルにテナントして入らないかと連絡がきたのです。札幌のマルヤマ地区に新ショッピングセンターが出来るのでどうかということでした。マルヤマクラスと名前の新ビルは札幌の中でも富裕層が住んでいる場所から来ているらしいのです。

しかし、私は富山に店を出すこととなったので断りました。かなりいいビルなので知人が入りたかったのだがビル側が高級路線で行きたいらしく知人の店はアメリカンカジュアルで合わないと言われていた。

そこで私はノウハウを教えるので知人がやればいいと薦めた。ノウハウは知らないし、それを扱うスタッフもいないから無理だというので「うちの店長を使ったらどうか?」と話の流れで言ってみたら、がぜん目が輝きだしていたのは判った。

数日後、社長から連絡が来て、詳しく話をしたいと言うことで、今度は田辺店長にもいきさつを話た。彼女は札幌の住んでいてマルヤマ地区は憧れだと言うそれに新ショッピングセンターですから心が動いているのが分かりました。

後日、社長と会い、もし、そうなったら私は撤退をするので私と同じ様に販売代行で彼女を使ってくれないかと頼んだ。彼は一石二丁と思ったのか先日よりさらに目をらんらんと輝かせたものです。

私は田辺に一通りの話をした。条件も同じならかえって「マルヤマクラス」の方がやりがいがあると言い出しました。彼女にしてもフレコミは札幌で一番のショッピングセンターだと言われているマルヤマクラスで販売代行でやれるのは夢みたいな話だといい、話を進めることになったのです。

私を含め三者三様の考えがあったもので利害が一致してのです。話が決まったのは10月でそのマルヤマクラスは翌年の6月のオープンでしたので早々に店を閉店と決めて動き出した。

田辺店長はマルヤマクラスの店舗の内装の件、イタリア買付の件も任され有頂天なっていたので彼女の頭の中には現在の店舗の売上など気にも留めなくていたので当店の札幌店は1月いっぱいで退店することになった。

私として店をやめても今度は買付手数料が入って来るので逆に気持ちが楽になっていたのです。しかし運命のいたずらがまたこの後起こるのです。

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