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開運力で転職を成功に導けるのか!#6

「この物語は「失敗を繰り返した後に成功を価値とる」と言ったいわゆる成功物語ではありません。いろいろな人間関係に出会って翻弄された結果、自己が成長していく過程を書いたノンフィクションです。

母の死を経て16回の転職後に起業し25年間、経営者として生きて還暦を迎え開運アドバイサーとして生きて行く道を選んだ物語となっています。   苦しい時、何かの判断に役立つことを願っております。興味のある方は是非最後までお付き合いをお願いしたいと思っております。」  <み~さん>

第一章 独りで生きて行く

<モノクロのお弁当>

20歳まで行動を見ると私は数秘3の行動をとっていたようです。3の意味は、自分の中の独特の世界観がある, 子供であっても大人であっても追求している. 自分の流儀で 入り口が狭い, 実際の困難やトラブルからつい逃げ出したくなる。特にこの時期は家から逃げたかったのです。

継母との生活は苦痛でした。
例えば洗濯です。母親に下着を洗ってもらうのが嫌でした。特にパンツは嫌だったので裏山の竹藪があったのですがそこに捨てに行きました。


思春期の男の子の微妙な心理と思って下さい、汚れた下着を平気で見せられるのは、この世にたった一人かしかいなかったのです。         枯葉の季節になると下着が何枚も小枝に引っかかっているのが見えて妙な感じでした。

「なんでこんなところにパンツを被せてあるんだ」なんて、近所の人達がたわいな話をしているのを耳にしたことがあり、その時は顔をが赤くなったことを思えています。今思うと笑ってしまう思いですが・・


その頃、毎月、ちょっとですがおこずかいをもらっていましたが足りなくなっても素直にねだることは出来ませんでした。それでもパンツが減っていくのは死活問題でしたのでアルバイトを始めることにしたのです。


当時、中学生が出来るバイトは新聞配達ぐらいしかなく朝刊配達だけやりました。はっきりは覚えてはいませんがひと月5000円位もらっていたような気がします。それで小遣いにはそれほど不自由はしていませんでした。

新聞配達は自転車で配達をしていたのですが、慣れない内は荷が重く自転車を転倒させたり、雨の日に転んだりしていましたが3か月も過ぎると苦にもとめなく働きました。
当然、朝から働いているわですから授業中は眠くなり成績が落ちると思われますが、なんと成績がすご事になったのです。


中学に上がる前から塾に通い始めました。なぜ?急に行き出したかわかりません。バカな私が許せなかったのだろうか心境の変化がありました。
その塾のお蔭で中一の一学期の通信簿は今まで見たことが無い数字しかありませんでした。

4と5だけですので晴天の霹靂とでもいうのでしょうか有頂天になりました。成績が上がると不思議にあれだけ嫌だった勉強もすることになりました。


しかし、辛かったことはもう一つありました。
それは、継母が作ってくれる毎日の弁当の事でした。
作ってくれるのは有難いのですが、なんせおかずが貧弱だったんですね~。

多くて二種類、たいていは一種類で彩もへちまもない、見栄えがすごく悪い弁当だったのです。別に悪意を抱いて作っていたとは思いませんが、自分としては、まあ子供を産んだことが無い人と聞いていましたから、子供のきもちなんて分からないのでしょうと思っていました。


中学一年ぐらいですとまだまだ小学生気分で、おかずの見せっこをして、玉子焼きとウインナーを交換したりするわけです。            でも私の弁当はたいていマルシンハンバークが一個、でんとあり後は海苔が引いてあるだけなので交換なんてできないし、

「またマルシンかよ~なんて」茶々を入れらていても

「継母だからさ~」なんて弁解も出来ず、昼食の時間が苦痛の時間になってしまいました。


今考えるとたわいな事に思いますが、私にとっては出来事だったんです。朝、継母がキッチンにいない時を見計らって、出来上がって新聞紙に包まっている弁当を取り出し、蓋を開けてみる。

真っ黒!「あーまたか!」ちょっとは違うものかと期待するもののマルシンハンバーグ が主張していました。

もしかしたら黄色い卵焼きかウインナーの赤、かまぼこの白、焼鮭のピンクとかそういった彩りの賑わいが蓋を開けた瞬間に目に飛び込んでくる何て・・・ でもそんな期待はいつも裏切られていました。いつも黒い・・!


まあ、本当の母親なら文句を言って作ってもらうのでしょうが、どうもその頃は「おかずを増やしてくれ」何て言い出せなかったのは、他人への遠慮だったのでしょう。

継母は良かれと思って作っているし私がそこまで悩んでいるなんていうことはまるで想像できなかったのでしょう。

そこで私は一計を案じました。自分でおかずを作れば良いと思いましたが、それは無理だと思いましたので、母親が何かの用でキッチンから消える数分の隙に自分でおかずを詰め込む事にしました。

スリル!ドキドキ感!はたまりません、悪ことをしていると感じていて、見られたら何て答えればいいのか不安でしたが、とりあえず余り物のおかずなど、嫌いなものでも何でも構わないから弁当に詰め込みました。

それで多少は見栄えの良い弁当が出来上がったわけです。        慣れたもんです3日目ぐらいからは手際よく数秒で出来るようになりました。

つづく


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