ファーストピアス
本日、ファーストピアスを誰の影響でもなく自発的に皮膚科で開けたのが悔しかったので、「ない話」を書きました。
『ファーストピアス』
その日、関東は稀に見る大雪で。インスタのストーリーにベランダからの様子を投稿して数時間後に、懐かしい名前からDMがあった。
「めっちゃ降ってるやん」
彼との関係をなんと表現したら良いのだろうか。一言で言うなら高校の同級生。大学進学で私は上京、彼は地元に残る道を選んでから社会人一年目の今に至るまで、会っていないし連絡もほぼ取っていなかった。その程度の関係。でも、と私は記憶を辿る。
同じ軽音部で、別々のバンドだった。彼は幼馴染三人でスリーピースバンドを組んでいたし、私もクラスの友人たち四人で楽しくやっていた。きっかけは何だっただろうか、音楽の趣味が似ていた私たちは、気づけばCDを貸しあったり二人でカラオケに行ったりする仲になっていた。側から見れば、普通に仲の良い友達。実際私たち自身もそのように接していた。
でも、時々。あの熱が私をじりじりと焦がすのだ。放課後。偶然ふたりきりの部室。ふと、会話が途切れる。絡み合う視線。明確な熱を持っているような瞳。ゆっくりと進む時の中で、上の階の吹奏楽部の練習がやけに大きく聞こえた。
「 」
彼が、私の名前を一音一音壊れないように呼ぶ。
「なに?」
私は何も気づかないふりをして、いつもの調子を装うことしかできなかった。そうしないと、心臓の音が声を震わせるに違いないから。
「帰ろか」
いつもそう。結局負けたように視線を逸らして、同じ言葉を君は紡ぐ。
「うん」
私も私で、内心胸を撫で下ろして代わり映えのしない返事をするのだ。
帰り道には、先ほどまでの空気が嘘だったかのように日常に戻る。バカみたいな、取り止めのない話でゲラゲラ笑っていつもの交差点で別れた。
私は彼のことが好きだった。どういう「好き」だったのかは、正直今でも分からない。ライクがカンストしたとして、果たしてそれはラブなのだろうか。そして彼が私のことをどう思っていたのかも、もう知る由はない。そう思っていたのに。
私は彼の名を表示したままのスマホを凝視する。
「そっちは雪降ってないん?」
久しぶり、とかつければ良かったかな。いや逆に不自然かも。あくまでも何気ない感じで。なんて思っている時点で自然ではない。
既読がすぐについて、怖くなって一度インスタを閉じた。また通知音が鳴る。
「降ってない!てか春から俺も上京するよ」
「え、ほんまに?!」
来週家探しでそっち行くから会おうや、と話はとんとん拍子で進んだ。会うのは高校の卒業式以来だ。
当日は気持ちのいい冬晴れで、買ったばかりのショートブーツを下ろした。午後三時。待ち合わせ場所はベタにハチ公前だ。そろそろ来るだろうかとあたりを見渡していると、懐かしい声が私の名を呼ぶ。
「久しぶり!」
あの頃と変わらず笑うと幼く見えるその顔は、それでも少し大人びたように思えた。
「いい部屋見つかった?」
「うん、駅からも近いしええ感じ」
一度会話を切り出せば、待っている間の緊張が嘘だったかのように話が弾んだ。まるであの頃に戻ったみたいで、懐かしくて嬉しくて、くすぐったかった。
二人で目指す先は当然、カラオケだ。私たちの放課後お決まりコース。私が優柔不断だから、一曲目はいつも彼からだった。
案内された部屋は少し狭くて、隣り合わせで座った。何も言わずに曲を選び始める彼を見て、変わっていなくて笑ってしまう。一緒にいてこんなに楽なのは彼くらいかもしれない。
「うわ、懐かし!」
流れ出したイントロに思わずそう零した。それは私たちが高校生の頃に流行った映画の主題歌で、彼が一番好きなバンドの曲だ。
「まあ声出しにはこれやろ」
「マジで久しぶりに聴くわ」
喋り声よりも少し優しくて、どこか色気のあるその歌声が好きだったことを思い出した。思い出して、ドキドキしたのは秘密だ。彼はバンドではベースをやっていて、歌はコーラスでやる程度だった。だからちゃんと歌っているところを知っているのは多分、一緒にカラオケに行っていた私だけで。その優越感に似た何かは当時の私の心を満たしてくれた。
歌っている横顔を盗み見たとき、彼の耳元で何かがきらめいているのが見えた。
「あ、」
「ん?」
無意識に漏れ出た声に、歌い終わった彼が首を傾げる。
「ピアス、開けたんや」
「うん、大学入ってすぐにな」
シンプルな黒い石のピアスは彼にとても似合っているけれど、空白の年月を象徴しているようで勝手に寂しくなった。
「……そんなに見られたら穴開くわ、ってもう開いてるやん!」
「しょーもな」
「すまんて。なに、ピアス開けたいん?」
「んー、憧れはあるけど……」
「開けたろか?」
「はあ?!」
「うるさ」
「ごめんて。いや、急すぎて大声も出るわ」
「俺得意やで、これも自分で開けたし」
「ええ……いや、でも、」
「まあ開けたくなったら呼んでや」
「わかった」
その話はそれで終わってしまったけれど、カラオケを終えて飲みに行こうと街を歩いている最中も、私の頭の中は彼とピアスのことでいっぱいになっていた。正直、ピアスに憧れはあっても開けたい願望が強くあるわけではない。ただ、彼に開けてもらえることに惹かれていた。そうすれば彼の特別になれるような錯覚を覚えて。
訪れたのはそれなりにいい感じの肉バルで、お酒も料理も美味しかった。楽しかった。それはそれは楽しかった。カルピスで放課後一時間以上話し込んでいた私たちは、サングリアやら名前の覚えられないカクテルやらで三時間は盛り上がっていた。
「はー、食った食った!」
「飲んだ飲んだ!」
顔を見合わせて笑う。ああ、心底幸せだ。この時間が一生続けばいいのに。
「終電何時?」
「あと30分くらい」
「俺も今日いとこの家泊まるけどそんなもんやわ」
終わってしまう。終わりたくない。また誘えばいいとわかっていても、私は今日という日を終えたくなかった。
「あのさ!」
そろそろ、という彼の言葉を遮って叫んだ。音量調節機能がバカになっているのは酒のせいにしたい。顔は怖くて見られない。
「ピアス、開けたい」
です……と尻すぼみに付け加える。
「いいよ」
その声が歌声みたいに優しくて、安心で泣きそうになった。
途中のドンキでピアッサーを買って、私の家へ向かった。
「お邪魔しまーす」
「どうぞ」
「綺麗にしてるやん」
「あんまり細かいとこ見んといてな」
「へいへい」
「お風呂先入っていいよ」
「ほんま?じゃあ遠慮なく」
バスタオルを渡して、風呂場へと彼をやんわり押し込んだ。程なくしてシャワーの音が微かに聞こえてくる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。解散したくない一心で連れてきてしまった。終電ももう間に合わない。ピアスを開ける心の準備もできていない。
「お風呂ありがとー」
私が悶々と悩んでいると、ガチャリとドアが開いた。
「わ、早くない?!」
「男の風呂なんてそんなもんよ」
髪が濡れている姿なんてプールの授業で散々見ただろうに、何故こうも心臓に悪いのか。直視できない。私も入ってくるね、と誤魔化して風呂場へと逃げる。
お風呂から上がり、彼には申し訳ないができるだけ時間をかけて髪を乾かした。心の準備は相変わらずどころか、心拍数が先ほどよりもすごいことになっている。
「大丈夫?やめるなら今やけど」
ピアッサーを片手に構えた彼が私の様子を見て、少し心配そうにそう告げた。いま私たちは、シングルベッドに二人腰掛けている。
「や、め、ない!」
「えーほんま?無理したらあかんで」
「ダイジョウブ」
「そうやなあ……」
明らかに大丈夫ではないダイジョウブに、考えを巡らしているようだ。
「わかった!」
名案を思いついたと言わんばかりにパンッと手を叩く彼。
「なに?」
「目瞑ってたら終わるから、大丈夫」
「ええ……」
半信半疑で私は言われるがまま目を瞑る。ピアッサーの冷たい針が耳たぶに触れた。
「俺さあ」
「なに?」
「あの頃、お前のことどう思ってたと思う?」
唐突に投げかけられた質問に、冷水を浴びせられたような心地がした。混乱で心臓がうるさい。
「え、そんなん、」
私が一番聞きたい。
バチン。
「はい、右おーわり」
目を開けると、いつも通りの彼がいた。狡い。
「次、左ね」
ほら、また目瞑って、と促されて渋々瞑る。
「じゃあまた質問。今はどう思ってると思う?」
「もう、さっきからなんなん」
「まあ、ええやん。考えてみてよ」
「だってさ、うちらは……」
友達やん。そう言えばいいのに、そう言うしかないのに、そこから先が紡げなくて。自分で考えておいて傷ついているのだから馬鹿みたいだ。
「そうかあ」
バチン。とくると身構えていたのに。
体温を感じたのは左耳じゃなくて唇で。触れてきたのは、手ではなくて。
「へ、?」
「あー、目開けたらあかんやん」
「いや、いやいやいや」
「まだ左開けてないよ、目瞑って」
「え、いや、今、」
「うん。キスした」
「うん、じゃないんよ」
「目瞑らないともっかいするかも」
そんなことを言うから、私はおずおずと彼を見つめる。彼の瞳に映る自分は見たことのない顔をしていた。
「……それ、ええ風に受け取るけど」
これまで上機嫌だった彼は余裕な笑みを崩して、少し照れたように眉を下げる。そんな顔するなんて知らなかった。
「好きに受け取れば?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言うと彼は私の頸に手を添えて引き寄せた。あ、まつ毛長いな。
鼻が触れ合うか触れ合わないかといった距離で、彼の動きが止まる。そこから続く、長い長い沈黙。二人とも薄々気づいていることがある。
「……これさ、」
「うん。目開けたままやと、ね」
「できひんな」
緊張の糸が切れたかのように、二人して笑い始めた。
「はあ、笑った。アホやん俺ら」
「ほらもう続き!左側ピアス開けて!」
「もう無理、今日は閉店です」
「ええ、なんで」
困惑した私の問いの答えを、彼はまるで内緒話をするかのように耳元で囁く。
「ドキドキして手元震えるから」
「……それは、閉店やなあ」
「せやろ」
私の方が絶対ドキドキしてるけどな、なんて思っていても恥ずかしいから言ってやらない。
ファーストピアスは右耳だけ。もう片方を開けるときには、ちゃんと好きと言えるだろうか。
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