旅人をむかえる

友人が秋田から遊びに来た。

一泊二日だけれど、布団を干したり、掃除をしたり、行くところを調べたり、と準備をする。旅人をむかえるのは、なんだかまるで自分が旅人になったよう。べつの誰かの目で、自分の知る部屋と街をもういちど歩きなおした。

この夏、山奥の神社のお祭りに彼女と出かけた。境内で、沈む夕日を見ながらならんで食べた屋台のやきそばがふたりのあいだの<おいしい>のあたらしい基準になった。空は見たこともないくらい近くて、色がみるみる変わっていって、遠くからお囃子が聴こえていた。

だから、その延長線上に、この街を考えてみる。
人気のあるカフェ、というより居心地のいいご飯やさん。
まあたらしい場所、というより深呼吸のできる散歩道。
特別なおみやげ、というよりいつものあの味。

旅人をむかえるとき、今までは自分が行ってみたい場所を訪れていた。だけれど、今は自分が大事にしてる場所を案内しようとしている。それは、彼女が自分にとって大切な友人で、ふたりの時間を飾らず過ごしたかったからだ。
おたがいにマイペースで、野生児のくせにどこか繊細でなにせバランスが悪い。山を愛していて、それでいて寂しがりやの、20も年の離れた友達。彼女はアルプスをひとり縦走してしまうくらいの元気の持ち主で、話しているうちにわたしも引っ張られて、飲み込んでた言葉がどんどん出てくる。

今年の夏、彼女とつづけて旅をした。山を歩き、温泉をめぐる旅。行き先を相談する度に一方的にぶつかってみては、ぐっと待ったり、やりとりを繰り返して、今みたいな場所にいることができた。スマートに、なんて全然できない。きっとこれからも。

そんな旅人をむかえるのは愉しい。
彼女が来る前日、なぜか部屋の電気が二ヶ所、続けて壊れた。はじけるように、パンッと。しずかな街に嵐がやってくるのかもしれない。

次の日はおそろしく寒い雨の日になった。朝から降っていた雨は、結局弛まぬまま、次の日まで降りつづいた。
電気は壊れたままだったので、夜は暗い部屋でロウソクを灯した。あそこに食べに行こうか、ここもいいよ、なんて話していたけど、どこにも行きたくない、寒いし、疲れたし、ここがいい、とその旅人は言った。道中で買い込んだお酒やつまみをならべて、ワンルームの部屋でずっとおしゃべりをして過ごした。

旦那ともあと何年いられるのかなぁ。わたしもひとりでいるのに慣れなくっちゃ。東京でひとり暮らすわたしの部屋を見渡しながら、少女みたいな顔をして何度も彼女は言う。寂しがりやの旅はつづく。

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