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ツイステッド半年待ったエンディングを経て推しがサンドバッグになったので自問自答をするワンダーランド


解釈違いという言葉を使いたくない

しかしツイステ五章を読んでから丸一日飯も食わずに泣きながら過ごしたので、助からなくてもいいからせめて気持ちの解体をしたい。もう情緒めちゃくちゃオブザイヤーやでホンマまだ一月やぞ勘弁してくれ。

※この先メインストーリーに加え、パソストやホーム画面セリフのネタバレを含みます。

自分の気持ちが落ち着くまで思考を繰り返しているので内容が変わります(31/01/21:8000字ほど追記し現在17000字。はてなブログに移動しました) 。基本的にルーク・ハントの話。また、これを書いた目的は己の感情の解体なので「感情」が混入します。考察でもなんでもなく「己の感情を整理するため」に書いた文章です。

 

ルーク・ハントがネージュの古参ガチファンだったことが不満か?


NO. むしろ道理にかなっていると思う。ネージュは一貫して純粋で可憐で美しい魅力あふれる人間として描かれ、ルーク・ハント自身も彼について

ああ……彼の唇は赤い薔薇、髪はくろぐろと輝いて、可憐な笑顔は誰をも魅了する……。ライバルながら、実にボーテ!(メインストーリー5-25 愛嬌ライバル!)

と言及している。

私は、美しいものはなんでも好きだけれど……。(ルーク・ハント誕生日パソストEP2)
どんなに探究しても美のすべてを知ることはかなわない。だからこそ、私は美の虜なのだろう。(ルーク・ハント実験服ホーム画面)
たくさんのものを見てたくさんのことを感じるといい。感性を磨くことは美に繋がるよ。(ルーク・ハント制服ホーム画面)
人が持つ本来の美しさが静的美、人の成長がもたらす変化の美しさが動的美。キミの美はどちらだろうか?(ルーク・ハント実験服ホーム画面)

これまで提供されたメインストーリーやパーソナルストーリーの中で、ルーク・ハントは彼自身が「美」という概念そのものを愛好している人物であるように描かれている。そんな彼がネージュのファンであること自体はなにも不思議ではない。

個人的な感情の話をすれば、ルーク・ハントは「特別がたくさんある」または「すべてを同じように愛している(博愛主義かと言われるとまた少し違う)」と思っていたタイプなので、その点についてショックが大きかったのだろう。ヴィルやレオナに対するのと同じように、ネージュの「美」も愛しているのだと思っていたからだ。

ふふふ、キミたちにもいつかわかる日がくるはずだよ。目もくらむほどの美しさで人生を明るく照らしてくれる……そんな存在に出会った時にね。(メインストーリー5-27 特訓アナザー!)

てっきり今日までこれはヴィルのことを指しているのだと思っていたけど、

私は、あなたの美しさで人生を照らされ、希望を胸に生きられるようになったひとりです。(メインストーリー5-73 終曲ポムフィオーレ!)

投票後こう言っていることから5-27の時点でネージュのことを指していたのかもしれない。ネージュが原初の「救い」で「目覚め」だったのか……。一番最初に出会った「光」が強いのはわかる……わかるっていうのは「理解できる」という意味であり「消化できる」という意味ではありません。半年待ったシナリオで、推しが第三者モチーフのベッドで寝ていることを知らされるイベント、何!?!?!?(お気持ち感想文)

 

キャラクターの露悪的な描きかたが不満か?


NO. それにしてもネージュの表象は章を通してものすごく露悪的だったな。

国民的ヒット曲っていうのは、ただ格好いい、ただ美しいだけじゃ生まれない。若者だけでなく、子供からお年寄りまで愛される”親しみやすさ”がなくちゃダメなんだ。(メインストーリー5-60 旋律ピースフル!)

無邪気な笑顔を浮かべることができ、親しみやすさがあり、「学校の友達と思い出づくりをしたかったからVDCに出ようと思った」、「世界中の人と楽しみながら思い出を作りたかった」とインタビューで答えることができる愛らしい子。(メインストーリー5-60 旋律ピースフル!)

ヴィルがどんなに求めても手に入れられなかった「愛らしさ」という力を持って生まれ、「確かに僕らはこの大会で一番になったけど、ヴィーくんたちに投票した人たちにとっては、君らが”世界一”なんだ」(メインストーリー5-73 終曲ポムフィオーレ!) と心から言える、ずっと一番の子。ネージュは徹底的に「悩みのない、無垢な持てる者」に見えるように描かれている。

もちろんネージュも努力していて、苦労もあるのだろう。(VDCのリハーサル後、まず「スタッフのみなさん、リハお疲れさまでした!」と声をかけるあたり、業界で生きる人間としてきちんと気が回せるタイプっぽいし。)
しかしそれがプレイヤーに明かされることはない。だからヴィルが(恐らく)悪役っぽいイメージを緩和するため子供の頃にフェミニンな話し方に切り替えたり、幼心に「最後まで舞台に立ちたい」と願うような経験をするのを「観て」きたプレイヤーのヘイトは、自然とネージュに集まっていく。本来は知るはずのない「舞台裏」を「観て」きたから、「努力が可視化」されているヴィルのほうに心を傾けさせられる。この流れは二章のファレナ(およびチェカ)とレオナの関係性や、四章のカリムとジャミルの関係性でもやってたね。

しかしこの二組と五章の二人の関係性には違いがある。

レオナ:何故、俺は第二王子に生まれた?何故、俺は永遠に一番になれない?――人生は、不公平だ。(メインストーリー2-27 王弟ミゼラブル!)
ジャミル:カリム、お前がいるだけで、俺は……俺は、ずっとお前に譲って生きていかなくちゃならない!俺は、俺だって……一番になりたいのに。(メインストーリー4-36 渇望アプローバル!)

「カリムとジャミル」と「ファレナ(およびチェカ)とレオナ」は、生まれた時点で「権力」を軸にした「力関係」や「社会的立場」が発生し、それによって「承認されない」「一番になれない」ことが苦しみの元になっている。
対して「ネージュとヴィル」の間に権力的な力関係は(恐らく)存在しない。(事務所の力関係や二世俳優としての業界での立場などは描かれていないため、こう仮定する)

撮影スタッフB: やっぱりネージュはすごいな。あの愛嬌とピュアさは生まれ持っての才能だよ。
撮影スタッフA: ライバル役を務めたヴィルも、大したもんだ。まだ12歳とは思えない貫録を感じさせる演技だったよ。彼もいずれ主役を張るようになるだろうね。
撮影スタッフB: でも……ヴィルはなぁ。いろいろ整いすぎているというか……浮世離れして綺麗だろう。視聴者に親しみを感じさせる”普通のティーン”を演じるには、ヴィルは特別すぎる。リアリティーがない彼には一生、主役だけは難しいんじゃないか?(メインストーリー5-65 憧憬ステージ!)

それどころかヴィルは「世界一可愛い」「特別美しくて、素敵な」「本物みたいな演技のできる」男の子で、その役者としての能力は社会的にも認められ、評価されているように見える。(メインストーリー5-65 憧憬ステージ!) ではヴィルの根源的な欲求は一体何なのか?

アタシ美しくなるためならなんだってする。きついトレーニングも面倒なトリートメントも、美しくなるためならちっとも辛くない。なのに…………どうして?いつも選ばれるのは、アタシじゃない!アタシはただ……最後まで舞台に立っていたいだけなのに。(メインストーリー5-65 憧憬ステージ!)

それは「最後まで舞台に立っていること」で、「一番になりたい」というものではないのだ。(もちろんここでいう「最後まで舞台に立っていること」は「主役として選ばれる」ことを内包している。)ヴィルはメインストーリー5-45 青春ファイト!で「だからアタシは誰にも負けないように美しさを研ぐ。世界で一番になるためにね」と言っているが、ここにおける「一番」は「他者との比較」ではなく「全てを圧倒する力を手に入れるための己の研鑽の結果」という風に読みとった。つまり、ヴィルの「欲求」は、他者からの承認によって満たされるものではない。ヴィル自身が己のことを認められて、初めて成立するものなのだ。

レオナとジャミルの苦しみには、ファレナとカリムの存在が付随する。しかしヴィルの苦しみは、ネージュがいなくても発生しうるものである。そこにネージュという「愛嬌と無垢さ」を生まれ持った「視聴者に親しみを感じさせる」人間がいるから対立構造が発生しているだけで、別に彼だけが主役候補を争う相手ではない。(と言ってもVDCの三位以下の扱いや他の俳優の存在が”無”であることや、映画のオファーが届いた際の「また、ネージュ?」という言葉からネージュとヴィルが共演するときにはネージュが主演になることが多いらしいと推察できるので、ネージュ vs. ヴィルの構造になる) それにここでネージュとヴィルを分けているものがあるとすれば、それは「美しさ」ではなく「愛らしさ」であると言えるだろう。

アンタは”愛らしい”と”強い”が別物のように話すけど、その2つはどちらも等しく”パワー”よ。(メインストーリー5-36 反発アイデンティティー!)

そしてヴィルはそんな「愛らしさ」の持つ力を理解しているからこそ、天性の「愛らしさ」を持つエペルを鍛えようとする。ヴィルは「愛らしさ」強さを知っているが、己の「美しさ」という武器の強さも理解しているので自分を「愛らしく」しようとはしないのだ。

純粋無垢なものが一種の「傲慢さ」や「暴力的な強さ・正しさ」を持つことは否定しないが、ツイステ内では意図的に「愚か」だったり「何も考えていない」ように描かれがちだ。そしてツイステ世界の構造上、プレイヤーはヴィランモチーフの生徒たちの側からそれらの事象を観測することになるので、彼らに「不信感」や「嫌悪感」を抱くことになる。ヴィランモチーフのキャラクターがメインの世界の描きかたとしては妥当で上手い、”厭”なやり方だ~~~!逆張りなのか?それにしてはこう……扱う手付きが不安……。誰とは言わんが、「癖」かな?

「露悪的」といえば、これまで秘密主義的な描かれ方をし、ほとんど個人的な情報が開示されなかったルーク・ハントの個人的な情報がネージュによって開示される構造なのもその一種なんだろうか。しかしルーク・ハント自身、二年間隠していたにしてはアルバムも言われたら見せそうな態度だったり、毒林檎ジュースのときも「ネージュくん」と呼びかけてから「白雪の君」と口にしているんだよな……。

 

ルーク・ハントがRSAに投票したことが不満か?

NO. もちろん心情としてはヴィルに報われてほしい気持ちはあったが、世界の構造上ヴィランモチーフのキャラクターたちが集まるNRCがRSAに勝つことはない。それにルーク・ハントの「一票」も観客の投じた「一票」も一票の重さは同じであり、別にルーク・ハントの「一票」が勝敗を分けたわけではない(心情的には「そうである」と思わされるような流れになっている)。

信じたかったからさ。誰よりもひたむきに努力し、高みを目指していたキミを。(メインストーリー5-62 勃発エマージェンシー!)

とヴィルの前に立ちはだかり、同時に「狂おしいほど美への執着がこもった毒の果実の味」を味わってみたかったと言い切ったルーク・ハント。あのシーン、すごくよかった……興奮した……(このときも情緒がめちゃくちゃになった。これはいい意味で)。しかし「事件」は未然に防ぐことができても、この時点でヴィルの美は傷ついてしまった(そして本人もそれを自覚していて、オバブロの引き金になっている)。

世界中の誰が許しても、アタシは、アタシが許せない!(メインストーリー5-62 勃発エマージェンシー!)

このオバブロの過程はすごくよかったし、様々な「配慮」を感じた。そういうのできたんやね。ヴィルは自分自身の手で、これまでただひたすらに磨き上げてきた己の矜持と美しさを傷つけてしまった。そしてその事実に彼自身も傷ついた。

魔法で取り繕った美は、一瞬夢を見せてくれるでしょうけど……。アタシは、午前0時の鐘で溶ける魔法に興味はないの。偽りのない純粋な美しさを手に入れたい。(メインストーリー5-29 創造シルキー!)

ここで述べられている「魔法で取り繕った美」は「肌や髪を魔法でパパっと綺麗にする」ことを指しているので少し文脈がズレてしまうが、ネージュに勝つため「ユニーク魔法」を使った時点で「偽りの美」になってしまった。そのためヴィルの傷はオバブロ状態から戻っても、無事にパフォーマンスを終えても消えることがない。最高のパフォーマンスができた後も、ヴィルは心のどこかで自分を許すことができずにいる。そういうストイックさが、今のヴィルを作り上げてきたからだ。

いつも言っているけれど、私がキミを見ている時間はキミが鏡で自分を見ている時間より長い。(ヴィル実験着EP1)

もちろんルーク・ハントもそれをわかっていた。

私はルーク・ハント。美を求め、美を助くことを人生のテーマとする。『愛の狩人』さ。(メインストーリー5-12 全開エキセントリック!)

そしてルーク・ハントはヴィルの強さをよく理解している。

ヴィルは私が守る必要など全くない。私が守りたいのはヴィル自身ではなくヴィルの持つ「美」なのさ。(メインストーリー5-27 特訓アナザー!)

ルーク・ハントが「美を助く愛の狩人」である以上、「勝つこと」が目的になり、己を一度でも疑ってしまったヴィルに投票することはできない。そうやって手にした勝利はいずれヴィルを勝利という名の玉座に縛り付けることになり、結局「他者からの評価の上で成り立つ美」から逃れられなくなってしまうからだ。

インスパイア元のEvil Queenと違って、ヴィルはそもそも彼の思う「一番」になれたことがない。Miraに問う「今この時、最高に美しいのは誰?」の答えはいつもネージュで、合宿中にオファーが届いた超人気映画『レジェンダリー・ソード』の続編の主演もネージュ。

――努力すれば報われるだなんて、甘えないで!!!(メインストーリー5-37 摩擦リレーション!)

ヴィル自身がこう口にしているように、努力をすれば必ず報われるわけではないのだ。

…………努力すれば報われるのはおとぎ話の中だけよ。(メインストーリー5-37 摩擦リレーション!)

何故なら彼らは「おとぎ話」ではなく「現実世界」に生きているから。まず最初に「ネージュに勝たなくてはならない」という呪いを解かなければ、例え「一番」になっても心は満たされず、今度は「失う」「奪われる」ことを恐れるようになるだけ。それは「美」とは程遠く、ヴィルを苦しめ続けることになる。だからルーク・ハントはヴィルに投票することができない。私はそういう読みとりかたをした。

 

五章を通して、ルーク・ハントは何度も思案の表情を見せる。

5-8 決意リベンジ! :中庭の井戸の側で歌の練習をしていたエペルが、練習を中断して監督生たちと話しているところを見つけたヴィルに叱られ連れて行かれる。そんなエペルの様子を思い出しながらVDCか……と考え込むデュースを見た後のこと。まだ名前は表示されず、シルエットのみで「……ふぅむ、なるほど……」と呟いている。そしてオーディション後、「………………なるほど、なるほど」と何かを心得たように頷いたルーク・ハントは、ヴィルに「フフ……歪な原石に秘められたポテンシャル、私は最後に踊った1年生たちに感じたよ」と提案を行うのだ。(メインストーリー5-17 鑑定ブライト!))

5-23 渋面オファー!:映画の出演オファーに関するマネージャーからの電話を切り、心配するカリムに対して「大したことじゃなかったわ」と答えた後。電話の中で「キャストによっては考えなくもない」と言っていたヴィルは、主演がネージュであると知り出演を拒否する。そんなヴィルを見て、ルーク・ハントは無言で考え込む様子をみせる。耳のいいルーク・ハントには電話の内容が聞こえていたと仮定した場合、ここで彼は「ヴィルがネージュに拘り、己とネージュを比べていること」を再確認したようにも思える。

5-60 旋律ピースフル!:RSAのリハーサルを観たあと先に控室に戻ると言って去っていくヴィルを見て、険しい表情を浮かべて黙り込む。ヴィルの様子がおかしいことを案じているのもあるが、「……見る価値のないお遊戯だった」という言葉でヴィルの次の行動に見当をつけたのではないだろうか。何故ならヴィルは本来、どれだけ普段わだかまりがあったり思想が相容れなかったりしても良いものに対しては「良い」と評価を送ることのできる人間だからだ。(ガラでのレオナとのやりとりや、浜辺から戻ってきて「ネージュもアンタも超えてみせる」と啖呵を切ったエペルに対して「言うじゃない」と笑ってみせたことからこういう読みとり方をしている。) そしてネージュに林檎ジュースを手渡そうとしたヴィルの前に現れた。

5-71 投票ジャッジメント!:VDCの本番を終え、投票の時間を迎えたとき。「そうね。持てる力は全て出しきった。……今度こそ、世界一になってみせる」と呟くヴィルを見て、微笑みながらなにか思案するような素振りをみせる。かつて「実力のある人間ほど自分に投票できない場合もある」(メインストーリー5-24 新曲エキサイト!)と言っていたヴィルが自分自身に投票することができることを喜びながらも、自分はどちらに投票するか決意したのではないだろうか。

ルーク・ハントが思案するとき、彼はいつも「他者」、とくに「これはヴィルにとっていい影響を与えるだろうか」ということを考えているように見える(贔屓目です)。

それをわかっているので、ヴィルもルーク・ハントの提案はいつも素直に聞き入れているし、彼の判断基準を「信頼している」と口にする。五章の中で何度か思考の渦に呑まれて闇落ち(便宜上の表現)しそうになるヴィルを現実世界に引き戻すのも、ルーク・ハントの役目だ。(5-37 摩擦リレーション!でエペルがボールルームを飛び出していった後や、5-60 旋律ピースフル!でRSAのリハーサルを目にした後、ブロットが溜まったり精神的に限界を迎えている(オバブロ回想シーンのように画面がモノクロに近づいた状態)ような状態のヴィルの名前を呼んで意識を現実世界に引き戻している。)

不満があるとすれば「出場者も投票できる」クソシステムに対してかな~。ビジネスチャンスに繋がる若者たちの登竜門というのなら、出場者に投票をさせるな。

レオナの「利権が絡むVDC」発言や「投票システムが(イデアがインターンの案内を受けとっていた)オリンポス社」であること、そして「何故かデータだけふっとんだ(のでイグニハイドに解析を頼む)」ことが次章への繋ぎとして使われている以上、そこは仕方がないのかもしれない。でも監督生受け入れのときもハロウィンのときも言うたやろ。大人と社会、ちゃんとせえ。

 

あのタイミングでルーク・ハントがネージュのガチファンである情報が開示されたことが不満か?

YES. ルーク・ハントが「ネージュのファンであること」と「RSAに投票をしたこと」自体は、これまで提示されてきた彼の美学や在り方に即していると思う。問題なのは、「一票差で負けが決定した直後にルーク・ハントがネージュのファンであるという情報が開示された」ことだ。

ルーク・ハントはネージュのファンであることを隠していた。ネージュのファンクラブがここ数年で設立されたとも思えないし、二番という驚きのファンクラブ会員番号から想像するにルーク・ハントはかなりの古参ファンなのだろう。ヴィルと出会い、隣に並び立つようになってからもずっと、ルーク・ハントはその事実を隠し続けてきた。それを「副寮長として徹底的に公私を分けていた」と思うか「ヴィルの友人であり一番近くにいる存在として不誠実な行いだった」と思うかは人によるだろう。

我が寮の規則は厳しいほうかもしれないが、それがヴィルのこだわりというのなら従って当然さ。
寮長に恥をかかせるような真似だけはしない。それが副寮長としての私の矜持だよ。(ルーク・ハント式典服ホーム画面)

これまでヴィルをだしにネージュとお近づきになろうとしたような形跡も(悪魔の証明ではあるが)ない。それなのになんでよりにもよってその最悪のタイミングで情報の開示をするんだよ……。ついこのあいだ

それにね、秘密は秘密のままのほうが甘美なものだよ。(誕生日パソストEP2)

って言うてたやんか……。どうして……。せめてシナリオに説得力をくれ。オートで七時間のシナリオで最後っ屁みたいな情報開示をするんじゃない。でも別に全ての物事に意味があるわけじゃないんだよ。そうだね……。

……ハァ、酷い男。最後の最後に、とんだ裏切りだわ。
……ズッ、私がロイヤルソードアカデミーに投票したことと、私がネージュのファンだったこととは関係ない、私は……。
ストップ。アンタがそういうタイプじゃないことくらい言われなくてもわかってる。馬鹿にしないで。(メインストーリー5-72 終局ポムフィオーレ!)

ルーク・ハントとヴィルにはこの関係性が”ある”。ヴィルが「それまでの自分の人生と合宿での仲間たちとの努力」を「裏切って」も、ルーク・ハントが「ヴィルが人生をかけて向き合ってきた相手の率いるチームに投票する」ことで「裏切って」も崩れず、まだ肩を並べて涙を拭いあうことができる信頼関係が。

でもこのタイミングでルーク・ハントがネージュのガチファンであるという情報を開示したら、説得力が揺らぐやん。本当にルーク・ハントは100%ヴィルの「美」のためにRSAに投票したのか?そこに一切の私欲なしで「パフォーマンスとして完成度が高いNRC」より「お遊戯会」を選んだのか?

ここで私が「ルーク・ハントなら選べる」と迷いなく思うのは、私が彼の「ファン」だからではないか?別に「ファン」だからといって盲目的に全てを肯定するわけではない。でも多くの「ファン」は推しに夢をみているし、応援したいと思っているものだ。

いくら本編で否定されていても、そもそも彼らの物語を消費しているプレイヤーの多くが「推し」を抱えるオタクである以上「ネージュがネージュとしてそこに存在するだけで美しく・尊く見える贔屓目」が発生するのでは?と思ってしまうし、それによってこれまでわずかな情報をかき集めて構築されてきた「ルーク・ハントの美の価値観」とか「美に関して公平で真摯に向き合う像」が揺らいで「疑い」が生じる。

この長期間ずるずるとストーリーの配信を長引かせたのにほとんど情報が開示されてこなかった中で(勝手に)築き上げてきたルーク・ハント像の根幹が揺らいでしまうのだ。あの茶番で。

主観をどこに持っていくかで、物語の印象は百八十度変わる。Twistedと銘打つ以上運営も意図的にやっているのだろう。しかしプレイヤーがネージュに対して好意的になりにくい状況のまま「副寮長という立場があり、出場メンバーとしてともに切磋琢磨してきた人間」がネージュのガチファンだったと判明するの、”ご用意された嫌なもの”って感じで嫌だね~~~!あれがヴィルとネージュのタイマンならまだしも、今回ルーク・ハントは出演者でもあったわけだし。

裏切りはいい。みんな物語上の役割に縛られているし、ルーク・ハントのアイデンティティが狩人である以上最初からわかっていたこと。でも別に己の信念を曲げていないはずなのに、あそこでネージュのファンであることが開示されることで結果的にそれまでの全てが薄っぺらく見え、ヘイトを集めることになってしまった。

なんで秘密を秘密のままにしなかったんだろうね。「良くも悪くも思ったことをそのまま口に出す」(ヴィル実験服EP2)から?

素直なことと、デリカシーがないことは別問題。デリカシーって言葉を森に忘れてきたのかしら。(ヴィル実験服EP2)

確かにかつてヴィルにこんなことも言われているけど……。「オタク」的なキャラ造形をされているイデアを扱う六章に繋げるため?((ネージュはアイドルではないが、ルークが「がけも」を観測している可能性はある)) それにしたって互省前半の文化祭部分をもう少しテンポよくやって、もう少し五章のメインであるポムフィオーレの三人の掘り下げに回せなかった?せめて練習パートでエペルが(半ば無理やりとはいえ)己の気持ちを納得させた裏側で「私はキミに告白しなければならないことがある」「私は彼(ネージュ)と出会って光を知り、そしてキミという美に出会えたんだよ」みたいな会話を挟むことはできなかったのか?

確かにヴィルは寮長であり女王で、ルーク・ハントは副寮長であり狩人だ。

鏡に映らないなんて身だしなみチェックが大変よね。授業ごとにルークに確認してしまうかも。(ヴィルハロウィン衣装ホーム画面)
(ルーク・ハントに体重の増加を指摘され)……わかった、忠告は胸に留めておく。(ヴィル実験服EP1)

でも彼らの間にあるのは「主従関係」ではなく、「友情」であり「信頼」なんだ。

「ルーク・ハントの自分を見る目を信頼している」からこそ、投票後ルーク・ハントに「今この時、キミは最高に美しい」と言われたとき初めて、ヴィルは涙を流した。

ただ「言い出さなければバレなかったのに、あえて自分の裏切りを口にするのが真摯」というのは少し違う気がする。罪を告白して救いを得るのは当人だけだし、仮に「友達に嘘をつきたくなかった」という感情があったとしてもエゴでしかない。

そもそもVDCとは一体どういう戦いだったんだろう。ヴィルとネージュは「美しい」と「可愛い」で、最初からジャンルが違う。そんなジャンルの異なる二人が戦う場に設定されたルールが「歌唱力とダンス技術、そして自分たちに似合う曲を選べているか」という評価基準であるはずなのに、最終的に「一番輝いていたと思うチーム」であるRSAが勝利する。

TV曲スタッフA:最高のパフォーマンスだったよ!感動で痺れちゃったなあ!(中略)力強い歌声、キレのあるダンス……もはや高校生レベルを超えている!世界中探しても、ここまでのユニットはそうない。(メインストーリー5-58 殺到フェイバー!)

 これがNRCのリハーサル後のメディア関係者による評価。

エース:なーんだ。誰でもできる簡単な振り付けじゃん。しかも全然揃ってねーし。
ジャミル:正直、クオリティは大したことないな。
撮影スタッフD:踊りも不揃いで、ハモりもがたがた……なのに、目が離せない。全力で応援したくなる!(メインストーリー5-60 旋律ピースフル!)

対するRSAのリハーサルの評価がこれだ。NRCは歌唱力もダンス技術もRSAより勝っていて、ちゃんと「自分たちに似合う曲」を選択している。本番も、ヴィルは満身創痍の状態で「最高のパフォーマンス」をやりきった。しかし優勝することはできない。そして「君に投票した人にとっては君が世界一」とネージュの口から直接言わせることで、最後まで土俵の違う戦いだったことを再認識させられる。

このように「大会の評価基準の無意味さ」を提示された後にRSAに投票した「(ヴィルがその評価に信頼を置く)美を追い求める狩人」であるルーク・ハントが「ネージュの古参ファン」であったことが提示される。連続して「評価基準」に疑いを持たせられた結果、ルーク・ハントにヘイトが集まることになるのだ。

本当にヴィルの呪いは解けた?「誰かアタシを気絶させて」と冗談めかして言いながらも確かに傷ついていたうえ、最後にred-hot iron shoesならぬ強制大団円ダンスをさせられたのに?確かにあそこで笑顔のままやりきるヴィルのプロ根性はすごかったけど、だからといって「傷ついていない」わけではない。ハイホーの悪夢みて夜中に飛び起きたりしない?私はする。

だから舞台上で手と手をとりあうヴィルとネージュを見たルーク・ハントが「なんと美しい光景なんだ……ボーテ、100点……」(メインストーリー5-73 終曲ポムフィオーレ) って言ったの、「えっ……?」って思っちゃった。それはなんか違うくない??もしかしてルーク・ハント無自覚にそういう「消費」してる???嫌だ……。

誕生日パソストですらほとんど新規情報を得られなかった身からすると、急にルーク・ハントの「18歳の生身の人間」としての側面を見られたことに衝撃を受けた。これまでは「狩人としてのアイデンティティ」や「ヴィルを支え、ヴィルと他者を繋ぐ役割」が多くて、「ルーク・ハントという一人の人間」としての描写はあまりなかったから。これまで主に「喜」「楽」の状態が多かったから、感情を露わにしているのも新鮮だった~~~。推しを前に感極まって泣いてしまうのは可愛いし、毒を飲むことも厭わない狩人、すごくよかったよ。

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でもこんな検索結果は見たくなかったな(あえてこのサジェストが出そうな”ルクハン”で検索したことを懺悔します)。設定資料集内のインタビュー記事に「全員に好かれるようなキャラクターにはしない」「誰かが誰かを救う話ではない」と書かれていることは知っているし、別にふわふわ仲良し空間が見たいわけでもない。でも私は今回のルーク・ハントの描き方に納得できるほどの「物語としての説得力」を見いだせなかった。そこに至るまでの道筋と道理をシナリオ内で示してほしかったなと思ってしまった。

 

五章はポムフィオーレのための物語だったか?

わからん……。ヴィルの「美」は守られ、彼の長年の望み通り「最後まで舞台の上に立った」が救われず、ルーク・ハントは伏字でボロクソに言われるようになった(私怨です)。次世代であるエペルの「毒林檎」への成長にはイマイチ説得力が欠けている。何故なら彼の代わりにセンターを飾ったのはジャミルだったからだ(ここでジャミルを責めたいわけではない。念のため)。

ジャミルが唯一「ブレイクダンス」という見栄えのする大技を決められるからソロパートがあること自体は不思議ではない。でも「舞台上でヴィルサンが倒れる姿なんて見たくないから自分がセンターを張る」とまで言えるようになったエペルの成長の説得力が提示されない。あーでもメインが「精神論」だから別にいいのか……。

前章のキャラクターたちが次章でサポートに回るのはいいなと思う。五章でジャミルの有能さに関するフォローが結構あったし。でもこれ次章でイグニハイド寮に食い込んでまでポムフィオーレの補完が行われるのかと思うと正直キツイ。五章で「ポムフィオーレの物語」を求めていた人にとっても、六章に「イグニハイドの物語」を求めている人にとっても中途半端になりそうで。いやまあ「Rook」に「Queen」がいるんだからハデスインスパイアのイデア回にはそれなりに駒として活躍するんだろうな……。でも正直もう少し「ポムフィオーレメイン」である五章で掘り下げが来ると思っていたな~。

あと相変わらずルーク・ハントのユニーク魔法はわからないままデュースのユニーク魔法が判明したことに複雑な思いを抱いてたんやけど、あれって「ヴィルに与えられた攻撃」をそのまま返すことで「自分自身で目を覚めさせる」構造にしてあるのかな。「自分が許せない」からオバブロした自分を救えるのは、ヴィル自身の許ししかないわけだし。

 

消費の物語としてどうだった?

インスパイア元の「軸」からして、どう足掻いてもルッキズムが絡んでくる五章。これまでのシナリオの手付きを見ていて、正直少し不安だった。そしたらドワーフのkawaii消費とかいうすごいグロいのが出てきてびっくりした。よっぽど露悪が大好きなんだな……。

こりゃ、可愛い猫ちゃんの動画よりよっぽどバズりそうだ!(メインストーリー5-60 旋律ピースフル!)

グロいよ~~~!猫ちゃん動画と同じ文脈で消費されるドワーフたちの「生まれ持った身体的特性」。ドワーフの見た目も、彼らを率いるネージュの「愛らしさ」も。我々はみんな他者の「消費」をして生きている……。

逆になんでヴィルの周りのジェンダー関連の扱いはあんなに丁寧だったんだろう。「老けてるって言ったら張ったおしてたわ」の会話でちょっとドキドキしていたエイジズム絡みも主題にはならなかったし。「醜さ」を判断する基準を「生まれ持った容姿」や「老いること」ではなく「胸を張って己を信じることができるか」「自分を誇りに思えるか」といった方向に持って行ったのはよかったなと思う。「美しき女王の奮励の精神」に基づいている感じ。驚くほど最初から最後まで一貫して「精神の話」だった。

もしかしてルーク・ハントがネージュのファンでもあるという情報を開示することで「美」の概念が一辺倒ではないという方向に持って行きたかったのか?

それならエペルにも譲らないでほしかった感はある。人には人の「美」があるのなら、「愛らしさ」を生かすかどうかも個人の自由だし。まあヴィルに拳で勝てないうちはムリか……力こそパワーやもんな。

ガラの「エキゾチック」やハロウィンイベントの狼男の仮装もかなり胡乱だったが、「人間ではないファンタジー世界のいのち」にはあまり権利が認められていない世界なのだろうか。ハロウィンイベントのマジカメモンスターたちの反応を見る限り、あの世界には人間が多く、獣人や人魚、妖精族は珍しい(数が少ないもしくは生活域が限定されている)のかと思っていた。正直、五章のドワーフ猫ちゃん消費の露悪的な表象を見た後だと、余計にガラやハロウィンでの描写は「無自覚」だったのではないかと思ってしまった。(ガラの「エキゾチック」は「自身を商品として見ることのできるヴィルならではの言葉」、ハロウィンイベントはカリムの「無垢さ」を強調する露悪として見れなくもないが、どうも無自覚っぽい)

私はフィクションにおける露悪も非倫理も大好きだ。しかしそれは作品内で「その世界の倫理観や価値観の提示」がきちんと行われている(作り手に「倫理観がないものを作ろう」という意識があることがわかる)ときに限る。ソシャゲでは一度に出せる情報のボリュームに制限があるのはわかっているが、「作中の倫理観や道徳観の提示」がなければどうしても「現代社会」に生きる「プレイヤー」の物差しを当てて見ることになってしまう。

ツイステは誰もが知っている童話(を元に作られたアニメーション映画)からインスパイアされたファンタジーではあるが、その時代および小道具の設定は現代社会に寄せた作りになっている。

テクノロジーやマジカメや食堂で提供される料理などの文化的背景、インフラや国ごとの社会システム。まるで「これはあなたである」と言わんばかりに「ユウ」というデフォルト名を与えられた、監督生という「異世界から来訪した魔法の使えない人間」の存在。ハロウィンイベントなんて、パークに「手下」が出てきた際にSNSで散見された阿鼻叫喚がそのまま反映されていたという感想が多く見られた。

もちろんフィクションを「現実的リアリティ」の視点で鑑賞するのは野暮で、鑑賞態度として妥当ではない。しかしツイステのように意図的に物語と読み手の距離を近しく設定し、それによって「共感」を引きだす構造を用いる場合、物語の中で「虚構的リアリティ(およびそれを成立させる情報)」が提示されなければ、プレイヤーが持つ倫理観やその文脈に関する背景知識などが優先されてしまう。

作品の受容の仕方は読み手に一任されていて、読み手はフィクション作品と向きあうときに無意識にそれをフィクションだと認識したうえで消費する(だからフィクション作品とノンフィクション作品で鑑賞方法や物語の受容、消費方法が変わってくる)。

フィクション性の受容と認識が読み手の持つ背景知識や倫理観に依存する以上、複数の読み手にある程度共通した「説得力」を与えたければ、作品内で「虚構的リアリティ」を提示する必要がある(と個人的に思っている)。しかし、ツイステにはどうもそれが欠けているような気がするのだ。

まだ上手く言語化できないのだけれど、物語としての正義や倫理(虚構的リアリティ)が十分に提示されないままにどうしても物語の中で扱いたいこと(例えば各章を通して問題の根幹に置かれている「想像力の欠如」や「どうにもならない社会・権力構造の問題」など)を盛り込んだ結果掘り下げきれず、物語やキャラクターに矛盾が生じることになったみたいな。しかもそれをプレイヤーを引き込む形式(ゲーム外の現代社会に設定を寄せ、実際に起こった問題を風刺し、常に「あなた」へ訴えかけるストーリー構成)でやるから、読み手は困惑する。このフィクションはどういう土台の上に成り立ってるんだろう?と魔法が解けてしまう(最初はわざと視点をズラして物語を語るという意味でもTwistedなのかと思ってたけど、ぐだぐだの運営を見ていてその可能性は薄いなの気持ちになった)。

もちろんソシャゲというメディア独特の縛り(配信時期やシナリオの長さ制限など)があることはわかっている。しかしいつまで経っても配信されない本編を待つ間にせめて推しのことを知りたいとガチャを回し、ほぼ新規情報のないパソストを啜って生きてきたところでキャラクターの根幹に関わる情報開示する?課金の使いかた逆じゃない?もしかしてキャラゲーのつもりじゃなかったの!?!?そっか……。

 

配信時期の遅延は物語の受容に影響を与えたか?

YES. 「ポムフィオーレの物語」である五章の幕引きが行われるまで、ポムフィオーレのキャラクターについての情報はイベントストーリーとカードのパーソナルストーリーで補完するしかなかった。イベストやパソストの時間軸に明らかな齟齬があってもメインストーリーが進まなければ調べることすらできないし、そもそもパソストに関してはSSRのカードを引かなければ読むことすらできない。だからガチャを回したし、同じ話を何度も何度も読み返した。

もう一度言うが、私は公式が出してきたものに対して「解釈違い」という言葉を使いたくない。しかしこの半年の間ずっと数少ないイベントと数枚のカードだけで生きてきたのに、「これまでキャラクターのイメージを脳内で固めすぎていたんじゃない?」というような情報の開示(穿った見方です)をされたらそりゃ衝撃を受ける。ソシャゲだから仕方がない。ソシャゲは悪い文明!でも最初から「こういう配信時期を予定しています」と提示されているのと「ごめん!遅延します!」と言われて年を越すのとでは印象も変わってくるよね!それに加えて多重課金問題や未だに直らないクソデカUIバグがあるのに無数に新しいグッズだけが発売される世界。「娯楽」ではあるが、対価の発生する「商品」でもあるのだから、もうちょっと信頼できるように運営してほしい。

 

ルーク・ハントは狩人だったか?

狩人だったね!しつこいようだけどあの毒のシーンはマジでよかった。私はヴィルが「己の姿を(目に)映すもの」として信頼をしていることから、ルーク・ハントは「狩人」であり「鏡」だねという妄言を吐いているタイプのオタクだ(だからこそルーク・ハントの「判断基準」が揺らぐような情報開示方法にショックを受けたんだと思う)。

今回そこに「王子様」ロールも追加されていてびっくりした。ネージュに彼を想って詠んだ詩を送り、(願いの井戸で白雪姫と王子様が出会ったように)握手会に参加した過去を持ち、オバブロで気を失ったヴィルを目覚めさせる。王子様の虚像だ……てぇへんだ……。

 

Happily Ever After?

まじめに己の気持ちと向きあうつもりが全然気持ちの整理がつかないし、口を開けば呪詛がでそうになる。思っていたより悪口まみれのお気持ち感想文になってしまったし、これを打っている間に朝日が昇った。おはよう朝六時になにしてるんだい?

タイトルで「半年待った」と言ったけど、まだカードが実装されていないセベクとシルバー推しと比べればはるかに推しの情報は得られているし他のキャラクターとの絡みもあるほうだとは思う(のでそのあたり無神経に聞こえたらごめんなさい)。

公式で出てきた情報が「その世界の全て」であるし、そこに「解釈違い」とは言いたくないし言わない。でもショックは受けるしええ加減にせえよという感情は抱くよ。

五章を楽しみにしてたのに私みたいに落ち込んだり悲しくなっちゃった人たち、みんな美味しいもの食べてゆっくり休んでね……!悲しむのも怒るのもパワーを消費するからね……!

これを書くために何度か五章までの本編を読み返してもやっぱり私はルーク・ハントを愛しているし、幸せになってほしいと思っている。いや、幸せになろうな。本当のハッピーエンドまで、一緒に歩んでいこうな!



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