鏡
唐突ですが・・・
こちらの投稿を読んでフト思い出したことがありました。
あれは確か私が25才くらいの時、経営にも参画していた部長との会話でしたので20年以上前のとある言葉。
その上司曰く、毎朝鏡を見て思うようにしている習慣があるそうです。
鏡の「が」を取り除くと神になる。
つまり、鏡に映っている自分。我を取り除くと神になる。という言葉。
とても印象に残る言葉でした。
当時の上司も、知り合いの方から聞いた言葉だそうです。
上機嫌にニコニコしながら色々説明してくれた気がしますが、残念ながら覚えているのは上の言葉だけです。
上司なりに思ったこと、感じたことを話していたと思います。
そして、今。
当時の部長の年より上になった、私なりの言葉で思ったことや感じたこと、私なりの解釈で少し語ってみたいと思います。
この言葉はどういうことかというと
鏡。ひらがなで「かがみ」
その「が」すなわち「我」を取り除くという事です。最後の神は言い過ぎだと思いますが、語呂合わせかもしれませんが言わんとする事は判ると思います。
我の強い人は多くいます。
我の強い人の多くは自分の意見を押し通そうとするので、それは良くないよ。というだけのお話。
いわゆるワンマン社長といえば伝わるでしょうか?
我の強い人は自分の意見を信じて突き進むので人の意見を取り入れない。
だから問題が発生した時や判断に迷った時、誰かに聞く事をしない。もしくは聞けない。あるいは間違っている事に気が付かない。
そして、気が付くと一人ぼっち。
裸の王様。
人の意見を聞かないということは、選択を誤るかもしれないということです。
人生は選択の連続です。いつも正しいとは限りません。
これは正しいのか?こっちの道であっているのか?間違っているかもしれない・・・
未来はだれにも判らない。1年先のことも、1か月先のことも、もっと言えば1分先のこともわかりません。未来が判らないから迷うのです。
迷いつつも正しい道を進んでいたなら良いですが、もし間違った道だったら?
気が付いていても、あるいは気が付いていなくても、我の強い人に意見してくれる人っているでしょうか?
だから我を通さない。人の意見を聞く。人の話を聞く。人の考えを聞く。
別にニコニコする必要はない。愛想を振りまく必要もない。必要なのは聞く耳を持つこと。いろいろな考え方があると知ること。
そうすれば問題が起きた時でも柔軟な対応ができると私は思います。
神のように、誰からも慕われる必要はないと思います。
でも我を捨て去ることは大切なことだと信じています。
この言葉をくれた上司は既にこの世に居ません。
この言葉を聞いた数年後に会社は倒産し、さらに2年ほど経った頃に自殺したと風の噂で聞きました。
その上司も私にとって決して好ましい存在ではありませんでした。
自分のミスを人のせいにする事がチラホラあるような人だったようです。
だけど、そんな人の言葉でも20年以上たった今でも覚えています。
私も我は強い方だと思います。
でないとこんな田舎の別荘地の築古物件に住むなんて考えないと思います。
別荘地で古い家を買って住んでいると話すとバカにしたような目でみて、面白がられているのを感じる事はよくあります。
私もそれなりにいろいろあった人生を歩んでいます。
若かったころは老後の事を心配して頑張っていましたが、今はそんな考えはゴミ箱にでも捨てました。それも色々経験してきて考え方が変わったこともあります。
何事も柔軟に。良いと思ったら取り入れる。悪いと思ったらスパッと辞める。行き詰っていると感じたらガラッと大きく考え方を変える。
誰かの意見や考えをまずは聞く。そのあとで自分なりに受け入れられる考えか、あるいは受け入れられない考えかを決めればいい。
良い未来を望むなら、今を大事に、やれることをやればより良い未来になると信じています。
じゃあ、それをできているの?
と問われると目を背けてしまうことも多くありますが、少なくとも後悔しない生き方をしていると胸を張って言えます。
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