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犬とのお別れ、輪廻転生

葬儀

あゆがなくなったとき、葬儀するつもりはありませんでした。
人の弔いの「儀式」が、あゆに伝わったり、あゆの安寧につながるとは思えなかったから。なので「火葬だけだけできる」施設を前提に探しました。

火葬に行って、渡されたパンフレット。

心を、掴まれた。だって、次の人生でも、あゆに逢いたい。

我が家の人間と宗派の違うお寺だったので、うちの宗派での葬儀を調べた。
けど、その送り方にはピンとくるものがなくて、ここのお寺にしました。
同じ仏様のもとに行き、また、巡りあうことを願って。

葬儀を終えてから、列席してくれた大切な友達とわんず(=あゆにとって大切な犬友)と思い出話を長々してて、ふと思ったことがある。

輪廻転生

あゆと私の絆は、強くて太くて深かった。
あゆは、ものすごく聞き分けが良かったし、いくつになっても学習したし、
あゆが楽しい→私も楽しい→あゆも楽しい・・・っていうポジティブループを生み出す関係だった。

これって、もしかしたら、前の人生も一緒だったかもしれない。
あゆと私は、二度目の人生を一緒に過ごしていたのかもしれない。

一度目じゃなく二度目だと意識できていたなら何が変わっていたのか、と問われると、わかりません。
でも二度目だったかもしれないと思った時から、なぜか涙が止まりません。
大好きで大切なあゆと最初から縁で結ばれていた、これが事実だったら、こんなに幸せなことはありません。
それなら、また三度目も巡り会えるように、この縁を大切にしたい。
こんな関係でまた一緒にいられるなら最高だし、この関係のさらに先があるかもしれないと思うだけで、希望が半端ない。
次のあゆに、もっと幸せを感じてほしい。

宗派宗旨は違うかもしれないけど、あゆを送るということにおいて、共感できる宗旨のお寺に巡り会えて本当によかったです。
何より、このご縁がきっかけで、生きることの意味をたくさん考えるようになりました。

「世田谷の小さなお寺」に、心から感謝です。



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