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「みんな」に合わせるのが苦しいあなたへ。


こんにちは〜、はるティです。



今日は、「生きづらさ」に関する
テーマでお送りしたいと思います。



ただ、みんなに合わせて生きること。
私はこれが苦痛で仕方なかった。


「みんなやっているから」


・・・そもそも、「みんな」って誰なのか。
私は「みんな」ではないのか。
なんで、私自身は尊重されないのか。



そんな理不尽に20年以上
苦しみ続けた私のお話をします。



最後まで読めば、
いま生きづらさを感じている人も、
希望の光が見えるのではないかと。

それではどーぞ!


私はずっと、生きづらかった。


「私は周囲と違うのかもしれない」


子どもの頃から、
私はうすうす自覚し始めていました。


私が苦痛を避ければ、
人は私を「自己中だ」と言った。
「空気読めないヤツ」と言った。
「我慢できないヤツ」と言った。


私は、今も昔も、
非合理的なことが大嫌い。


努力は人一倍できると思う。
だから絶対。
私の尊厳にかけて、
ただの「面倒くさがり」ではない。


ただ、
自分が苦しいと思うこと。
「やる意味ない」と感じること。
心から自分が納得できないこと。


「みんなやってるから」


それだけの理由で、
自分の自由を奪われるのが
苦痛で仕方ないだけ。



「なんで、みんな平気なんやろう。」


みんなやるから。
そう言われて、
すんなり従う周りを見て、
いつもそう思ってた。

私は集団生活に根本的に
向いてない人間なのだと思う。



・・・小学校の頃。


学校のイベントで参加した
1泊2日のキャンプで、


皆んなが寝る時間に、寝る。
たかがそれだけのことが
私にはできなかった。




祖父母の家に
泊まりに行ったときは、
いとこの中で唯一、
私だけが寝られなかった。



「〇〇ちゃんは、
 ちゃんと寝られてエライね」



ばーばが従妹にかけた言葉。
うん、ほんまにそう思う。
なんで、私だけできひんのやろか。



チクリ、と
小さな自尊心が傷ついたことを
今でも鮮明に覚えてる。




そんな私にやってきた、
わずか11歳にして
人生最大の危機がありました。



それは、
5泊6日の「自然学校」という
宿泊行事。



あまりにも嫌すぎて、
ちょうど20年経つ今ですら、
具体的な日付を覚えてる。
2004年7月5日。



自然学校に向けて
事前学習がすすむたび、
私の心臓は張り裂けそうになっていた。




たかが1泊でも、
過去一度だって寝られたことが無い。



あんなに長い夜を、
ただじっと、眠れずに過ごす。



1日だけでも苦しいのに、
5日なんて考えただけでも
気が遠くなるほど憂鬱だった。



5年に進級したその日から、
毎日、毎日、泣いて
母親に訴えました。



「お母さん。
 私、自然学校が怖い。
 行きたくない。」と。



それでも許しは得られず、
いつだって答えは、

「みんな、行くんだから行きなさい」

だった。



前日は、泣きながら
リュックに荷物を詰め込んだ。



結局、出発日当日の朝。
その日の夜の時点で
すでに一睡もできていない私は、
母親に人生をかけて土下座して頼んだ。

「お願いです。
 自然学校行けません。
 どうか休ませてください。
 本当にお願いします。

 行かなくて済むなら、
 本当に何だってしますから。」



わずか11歳の私が、
せいいっぱいの敬語をつかい、


玄関前で、小さなおでこを
冷たい廊下にべったりつけて
泣き叫びました。




担任の先生が、当日どうしても
家を出られない私を、
家まで引っ張り出しにきて。



「はるー?先生迎えにきたで。
 連れていってもらい。」


母親が先生の手前、必死で私を探す中、
私は押入れで布団に挟まって
決死の覚悟で息を潜めた。



見つかって連れ出されるくらいなら、
息が止まって、
死んだ方がマシだと思いました。


その後、本気で家出までしようとしたため、
ようやく私は行かないことを
許されました。




私のことなんて一切見ず、
人の目ばかり気にする母親が
大嫌いでした。


皆んなが楽しみにしていることも、
私はとても楽しみとは思えなかった。



中学に入ると、
そんな「変わり者」の私に
周りの目はさらに厳しくなっていく。



簡単に言えば、
「空気よめないやつ」だった。



授業中にサッと宿題をしたり、
先生が前で話すときに帰る準備をしたり。


悪気は一切なかった。
けど、
「みんなやってないから、
やってはいけない」
とのことだった。



私はむしろ、
真面目な生徒だったけど、
怒られるのはいつだって私だけだった。



規則も何一つ守らず
サボってばかりのギャルたちは、
私に卑劣なイジメをしていても、
先生から何一つお咎めなしだった。




高校では、
朝、部活の自主練をしに行っただけで
怒られた。



それは、
「みんなやっていないから」
だった。




「他のやつ、やってへんやろ」
「お前だけ出し抜こうとしてんのか」



当時の顧問に言われたこと。
スポーツでライバル出し抜こうとして、
何が悪いのか。



・・・書けばもうキリがない。
頑張って生きているつもりでも、
気付けば怒られて、
我慢しろと言われてばかりだった。




そもそも、「みんな」って誰なのか。
私は「みんな」ではないのか。
私自身は尊重されないのか。



ただ、みんなに合わせて生きること。
私はこれが苦痛で仕方なかった。

完全に、社会不適合者ですね。


社会人だからといって、社会になんか属さなくていい。


ここまで、怒られてばかり、
「みんな」の存在に苦しめられ続けた
私でしたが、



いまは、「みんな」の気配から
すっかり解放され、
ストレスフリーな毎日を送っています。



その理由は、
関わる人間が圧倒的に減ったから。
というか、
減らしたから。だと思っています。



コロナで世の中が大きく変わり、
私はそのおかげで、
かなり生きやすい人生を
手に入れることができました。




私の本業は、
コロナ当時で在宅勤務を大きく
押し出した影響で、



いまだに在宅勤務がメインの
環境のままです。



そうなった結果、
自分の仕事さえ淡々とこなしていれば、
ほぼ数人としか関わらなくなり、
私から「社会」は無くなりました。



あとは、日々ありのままの私を
愛してくれる夫と娘という存在としか
生きていないので、



赤の他人の何気ない一言に傷ついたり、
変に傷つけたり、


「みんなやってるから」
という理由だけで、
私が何か行動しなくちゃいけない場面も
全くなくなりました。



ずいぶん、生きやすくなりました。
「社会人」なんて言いますが、
仕事してても社会から離れることはできるんです。


「生きづらさ」から抜け出す方法



私の会社は、今の段階では
在宅勤務メインなので、
私は快適に、人間関係を極力絞り、
「社会」に属さないことができていますが、



数年後どうなるかは分からないし、
いま、離れた社員を
「出社」という環境に引き戻そうとする
そんな力も感じるので、



私は今のうちから、
コンテンツビジネスを通じて
自分の力で稼げるように準備をしています。



コンテンツビジネスの良い点の1つ。
それは、嫌な人間関係を切れること。



あなたに共感した人だけに、
精一杯向き合っていくビジネスなので、
価値観の違う人と付き合う必要が
一切なくなります。



もちろん、
誰かに命令されることもないし、
「みんなやってるから」なんて
変に空気を読む必要もありません。




今、社会で生きるのが窮屈だ。
人間関係がつらい。
なんとなく、生きづらい。



そんな風に感じるあなたも、
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