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【一冊千字】「花に埋もれる」(2023.07.22)

彩瀬まる,2023,花に埋もれる,新潮社

女性のための官能小説、というジャンルがあるらしいと聞いたのは、出版社の一次面接に行ったときだった。面接官は二人いて、ひとりはコミック担当の編集者、もうひとりが書籍の編集者だった。ふたりとも女性の方で、今までボクが買い集めたプチブラのおしゃれがどんなに束になっても敵わないような、小綺麗な女性向けファッション誌のその月の特集から見開きまるまる取り出したオフィスカジュアルを着ていた。他人の容姿にさして興味のないボクが、その日はなんだか印象に残るぐらい綺麗な人だった。その方が編集した本、ということで教えってもらったこの本も、買って積んだままその会社の選考は落ちてしまったのだが、今まで見聞きしたことないそのコンセプトに惹かれて読み始めた。

読みやすい短編集で、全ての話で主人公は女性で、彼女たちの目と思考を通して話が進んでいく。あまり女性作家の小説を読んでこなかったのだが、ボクが今まで好きだった山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』とかこだまの『夫のちんぽが入らない』(ちなみにこの2作は、昔にも書いたかもしれないけど、三大タイトル損私小説、とボクは呼んでいる。どうしても3作目が見つからないので、誰か教えて欲しい)とは全く違う毛並み、というより動物と植物ぐらいに手触りから匂いまでが違う。タイトル損私小説たちが、セックスの問題を退屈な授業に手のひらでまわる鉛筆のように眺め回して国語のノートの背表紙の方にページに書いたのに対して、彩瀬まるはまるでセックスなんてどうでもいいと言いたげな態度で、崩れてこぼれ落ちそうな一瞬一瞬の表情を押し花にするように書き集めている。

昔読んだ、紗倉まなの『春、死なん』が、自慰行為に耽る高齢男性や高齢になってから逢瀬をした男女を描くのが現実から出発して写実を追い求めて、どこかアダルト・ビデオのような虚構をその芯に残していたのとは対照的に、『花に埋もれる』には体温さえ伝わってきそうな幻想が広がっている。それでいて、肉体の話ではなく、そこに刹那に駆け巡る思惟の機微だけがある。

ある短編では、身体に植物が茂るということが平凡な世界が、ある短編では彼氏よりも本当はソファーの方が好きな女性の話が綴られ、現実と地続きでないがゆえに、感じうる生々しさがあるという今までにない経験をした。その生々しさは、夏場の汗が太腿の裏をつたい、雫となってこぼれ落ちるかのような、五感よりも少し繊細な人間の感覚器官を震わす文章がただ四季のように続いていく。先述したように、お祈りメールをくれた会社の就職試験で行った市ヶ谷の駅で、ネクタイを緩めたときの指先の感覚すら思い出せるような、肌触りのある短編集でした。



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