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【ボクの細道】#24「すばらしいおやすみ」

これから国際線で帰る君に送る言葉は昼前だって「さよなら」より「おやすみ」

クラコフ

これから国際線で帰る君に送る言葉は昼前だって「さよなら」より「おやすみ」

とりあえず2週間の旅が終わり、バス停で友人に別れを告げた。また会うとしたら半年後だろう。遥々日本から来てくれたことに感謝して別れを告げた。最近は人との別れ際が下手になっている。中学生や高校生へ。卒業式でちゃんと泣かないと、ロクな大人にならないので泣いておきなさい。

永遠の別れということでもないし、その気になって連絡すれば会えるのだろうけど、関係性たちは、小学生の頃のように夕焼け小焼けの放送で帰って、明日にはまた教室で会えるというものではなくなってしまった。年賀状を出すのも馬鹿馬鹿しいほどに近い友達との接点が、いつしか年賀状だけになっていく。

そういえば、いつだか喪中だった年から年賀状も出さなくなっていたっけ。いや喪中じゃなくて、受験だったからかな。

ボクは国際線がキライだ。年賀状の宛名書きぐらいキライだ。

国際線ではいつも座席の前の画面のフライトインフォメーションを見てる。映画も見る気にならなくて、フライトインフォメーションが決まった間隔で地図から外気温高度の情報、そして残りフライト時間と現地時刻の画面へと移り変わるのを見る。

ボクはその度にあまり減らない現地までの所要時間を見て、うんざりしながら眠れないままに目だけを閉じる。

機内食が運ばれてくる。ボクは機内食がキライだ。機内食を食べるぐらいなら、空港でサブウェイを買って持ち込むぐらいには機内食がキライだ。

それに食べることを強制されるあの文化がキライだ。それにビーフかチキンかを選ばなくてはいけないのもキライだ。食べたくないものを選ばなくてはいけないのだ。

そう言う意味でいうとサブウェイも慣れてない人間にとってはやはり選ばなくてはいけないので過酷なのだが、国際線の機内食を食べるよりかはマシと考えてしまう。

おまけに10時間のフライトで3回とか機内食が出るときには、運動もしていないのに食事のペースが多すぎて泣きたくなる。到着時の時刻に合わせるためのペース配分みたいな雰囲気を出して配るのに、時差ボケは酷くなるばかりだ。

まぁ供されたものは武士の礼儀として食べるとして、ただでさえ狭い座席の窓側でも通路側でもない位置で折り畳みのテーブルを開くと、顎の周りの一番贅肉が付きやすいあの空間以外パーソナルスペースが無くなる。

そうあの猫が撫でられると喜ぶような喜ばないようなあの位置だけが自由空間のはずだが、安物のヘッドセットがそこに収まって遂にパーソナルスペースが、フロントモニターでプレイしているテトリスよりも完全な形で埋まる。

客室添乗員がトレーを回収しに来るまで身動きが取れなくなり、どうしようもないので非常時のことでも考える。そう、急患が出たときのことを考えるのだ。これはかなりの思考力を要するのでいい時間潰しになる。

機内アナウンスが流れる。体調を悪くした人の症状は、「座右の銘欠乏症候群」だ。新鮮な座右の銘が高高度故に不足しており、過呼吸の症状を起こして全身が痙攣しているようだ。

こういう場合には、すぐにグッと唸らせられるような座右の銘を補給することで症状は緩和される。女性のCAの丁寧な声で放送が繰り返される。「お客様の中に座右の銘をお持ちの方はいませんか」

機内は一瞬のうちに静まり、誰かがゴクリと音を立てて唾を飲みあげるとともに、今までにない騒めきが支配していく。誰かが立ち上がらないなら立ちあがろうとしている誰かの存在が確実に感じられる。自分自身の座右の銘に自信を持てないまま立ち上がれずにいる。

臆病なボクは人助けをしなくてはいけないとわかっていても、座席から立ち上がれずにいる。まぁ、急に立ち上がったら機内食がひっくり返ってしまうし、隣の客の映画は今しがた剣闘士が戦い始めてクライマックスに入ったところだ。

するとどこからともなくひとりの男が歩み出て、キャビンアテンダントに自分の座右の銘で救えないだろうかと告げた。再び機内は静寂に包まれた。機内全体に緊張が走る。この男は何を言うのだろうか、視線は一気に機内前方のスペースに集まる。関心をむけられなくなったテトリスたちは、どこもかしこも真ん中にだけ塔が積みあがっている。

「おもしろきこともなき世をおもしろく」

しまった、そういう顔で客室乗務員同士が、見知らぬはずの乗客同士が、そしてコクピットでは機長と副操縦士が、目を合わせる。よりによって、労働状況のブラックさが未だに改善される気配のないワンマン社長のベンチャーの社是みたいな、そんなベタなものを選ばなくても...高杉晋作の辞世の句、下の句抜きバージョンが響き渡った後の機内は沈黙に包まれた。

ダメだ、傷病者は以前にもこの座右の銘を摂取したことがある、アナフィラキシー症状の発作が始まる。口から泡を吹き出し始めたかと思うと、次の瞬間、旅客機は爆発して灰燼に帰した。それも初期のスピルバーグ作品のような大爆発で、木っ端微塵になって黒く焦げた機体の破片がバラバラと落ちていくシーンからゆっくりとフェードアウトしていく。

ボクの「人生オープンリーチ」という座右の銘の方が訳が分からな過ぎて、やはり人を救うことはできなかっただろうな、と考えたところで、機内サービスで聞いていた「Norwegian Wood」が何周目かで再びかかってきた。目を開いてフロントモニターを見ても、残りのフライト時間は一向に減っていない。かといって、ボクは小説の主人公のようにひどく動揺することもなく緩やかな絶望の中に座っている。

遥か極東の地から友人が来てくれたことに感謝して見送るならば、「さよなら」より「おやすみ」の方がいいと思う。飛行機事故は近代科学のおかげで多分起きることなく空港に着くし、座右の銘が足りなくて発作を起こす人が出ることもないだろう。

ジェットコースターに乗る人に安全を祈る人なんていない、だから国際線に乗る友人を見送るときに、安全を祈るのが何だか違う気がして、あの自主的な牢獄の中で首が痛くなることなく寝てくれたなら、と思う。

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