【ボクの細道】#27#28「」

ブダペストに再び着いた。二度目の街並みを見たり、丘の上に登って街を見下ろして見たりして、市場でグラーシュをいただいた。それから、ホステルに荷物を置いて、「恐怖の時代」博物館へ行った。ナチス支配下のハンガリーとソビエトの影響下にあったハンガリーについての展示で、いわば第一次世界大戦終結後分離独立したはずのハンガリーが、大国に翻弄された暗黒時代を綴るものだ。ハンガリーの中でも支配に協力した人々、地下組織で抵抗運動を続けた人々のふたつの側面にスポットライトを当てていた。

パルチザンで抵抗運動に加わっている人は、見つかれば最悪の場合死刑になるし、そうでもなくてもタダで済むことはないだろう。だから、パルチザン同士では、多分お互いにしかわからない言葉で喋ったり、手紙を書いたりしたのだろう。だが、仮にパルチザンが同志を集めようとするとき、共通の言葉を持たない人々をどう勧誘したりしたのだろうか。もし反体制的な行動をしていることが露見してしまえば、自分や組織をリスクにさらすことになる。あるいは、体制側から摘発のために送られてくるスパイがいるかもしれない、などと思う。

ボクが展示を見た限りでは、それについての詳細な説明はなかったのだが、実際問題として、オーウェルの描いたような相互監視社会だったのだろうかと想像を巡らせる。
昔何かで聞いた話な気がするので、嘘か真か定かでないのだけれど、南方戦線にいた日本兵が家族に手紙を書くときに、どこぞの島にいます等と書くと防諜のための検閲を通らないので、余白に南十字星を描いたという。南十字星は南方でないと見ることができないから、恐らく南方にいるのだなと伝わるのではないか、そう信じて書いたのだろう。別に、家族に南方に出征したら、南十字星を描くなどとかと取り決めたわけでもないのだろうけど、なんとか意図を汲み取ってくれないだろうかと思いを託して書いたのだろう。

きっとパルチザンの人間たちも、もちろん秘密の暗号なんかもあったのだろうけど、受け手が隠されたメッセージに気づくことに期待を込めて、話したり手紙を書いたりしたんだろうかと考えたりした。

博物館を出てシャワーを浴びにホステルに戻ると、ルームメイトは昼日中だというのにカーテンを閉めて暗くした部屋で携帯をいじりながら寝っ転がっている。ホステルに到着したときも、やはり寝っ転がって、携帯をいじっていて、ブダペストまで来てこの人たちは何をしてるんだろうとか、せっかちなボクは訝しんでしまう。

ボクが泊ったホステルの部屋は、ブダペストの割と中心地にある廃墟バーの2階にある。廃墟バーというのは、ブダペストでよくある飲み屋のスタイルで、昔人が住んでいた住宅を改造してできたものだ。日本でも最近よくある、廃校を改造した宿泊施設とか、庄屋の蔵をリノベーションしたカフェとか、まぁその類のものだと思って大丈夫だろう。

元々ドイツ等に比べれば物価が安いハンガリーの中でも、廃墟バーだと割とリーズナブルな値段でお酒が飲めるので、前回来たときも行ったのだが、今回はそもそも宿自体が廃墟バーだった。宿に着くまで宿が廃墟バーの2階にあるなんて知らなくて、宿に着いたときにはホステルが廃業してしまったのかと思った。なのでまぁ半分廃墟みたいな宿ではあったのだが、値段もそこそこなので許すことにした。

廃墟、といってもなにもガレキの山だとか幽霊屋敷のようなわけでもなく、むしろ廃墟の内側には、LEDじゃなくてネオンでけたたましいぐらいに電飾がしてあったりして、素人目に雰囲気のいい飲み屋だ。「廃墟」という壊れているものに、「バー」と1文字と伸ばし棒を足すだけで、全く別のものに生まれ変わる。アルファベットなら3文字足す必要があるけど、まぁ一音節と数えれば、1文字みたいなものだろう。

なんだか今日は戦中ネタが多いけど、「ぜいたくは敵だ!」というポスターに「素」という1文字を足した落書きがあった、みたいな話がボクは好きで、そのたった1文字を足しただけなのに、息苦しさを洒脱に笑に変えて世間までを笑う。そんなセンスがボクにもあればと思いながら、本来誰にも見向き去れなかったはずの廃墟に、「バー」の一言を添えるだけで、賑やかでいてなおどこかメランコリックな空間が出来上がるのだ。

そんな廃墟バーの少し硬めの黒いソファーに座って、シュペーアの「廃墟価値の理論」を思い出していた。シュペーアはナチ時代の軍需相を務めた人物で、ニュルンベルク裁判では死刑を免れた、奇特な運命をたどった人物で、彼のお墓はボクの寮のすぐ近くのベルグフリートホッフにある。彼のその理論に出会って以来興味があって、ベルリンに行ったときにはシュペーアに関する企画展もわざわざ見に行ったぐらいだ。

そんなものだから、廃墟価値の理論については一度記事に書いていることもある位なのだが、振り切って大雑把に説明すると、建築物は廃墟になったときにも美しなければならない、というのがシュペーアの主張だった。それにヒトラーも賛同したといういわくつきの思想なので、全面的に肯定するわけにもいかないのだが、やはり、壊れてもなお価値があるものとは何か、ボクの中では答えが出ずにいた。

そして、ボクが2度目のブダペストで出した答えは、壊れてもなお美しいものがあるとすれば、それは元から壊れているものだろう。美しいものが壊れてもなお美しさを保つのではなく、壊れているが故に美しいものであるからそこに廃墟価値が存在するのだろう。そんなどこか歪んだものに、もしたった一文字あるいはたったひとつまみの何かを足すセンスがあれば、壊れているものが壊れたままで美しく動き出すんじゃないか、そんな気がしている。そして、多分そこには読み取って欲しいメッセージが隠れてたりするんじゃないか、そんな気が今はしている。


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