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【ボクの細道】#22「片耳ずつのイヤホン」

恋人たちの片耳ずつのイヤホンがBluetoothになっても心は繋がっているでしょう
ワルシャワ


ワルシャワから拠点にしていたクラコフまで帰る電車で、隣のボックスシートの女性がAirPodsが無くなったと騒ぎ出した。何故そんな失くなる前提のものを失くして騒ぐのだとも思うのだが、それなりにいいお値段もするし、気持ちはわからないでもない。

どうせ足下か座席の隙間だろうと思っていたが、案の定座席の隙間からしばらく後に見つかって、ボクを含む周辺ボックス席からは拍手が起きた。折角だから、論語にも書き足しておいて欲しい。ワイヤレスイヤホン有りてポケットより見つかる、また嬉からんや。とか。

性善説の孟子がそういうことを書くべきだろうみたいな批判はさておき、Bluetoothについて少し書き散らしておこうと思う。

以前にも一回記事にしたけど、小学生のときにはよく授業を抜け出して屋上へ続く階段でウォークマンで音楽を聴いていた。

お小遣いを叩いて、アルバムを2枚買ったんだけどやっぱそれじゃ物足りなくて、YouTubeから録音ケーブルを繋いで一曲まるまるウォークマンに落とした。

そんな風に入れた曲は当然音質はガラガラで、弦楽器の音色がメランコリックな前奏も、「ヴァージニアウルフのメノウのボタン」という中原中也を意識してるんだろうなって今ではわかる歌い出しも、酷く音は荒れていたけど片耳ずつのイヤホンで聴いた。

イヤホンが有線だった時代は、電車で片耳ずつのイヤホンをしているカップルを見ると、赤いコードのものを買えば良かったのにと思ってた。そしたらなんだか運命を手繰れるようでいい気がしていた。耳で運命が繋がっているというのもなんだかロマンチックさに欠けるとは思うけど。

Bluetoothで片耳ずつのイヤホンは昔よりずっとしやすくなった。カップルたちにふたり分の席が空いてなくても、向かい合いで座って好きな歌詞のところで目配せすればよい。もし聞いているのがオールナイトニッポンとかなら、ずっと目配せをすればいい。

映像芸術的には、ふたりを繋ぐ線が無くなってしまったら、片耳ずつのイヤホンもあまり画としては映えないのだろう。だけれど、同じ音を同じタイミングにふたりだけが聴いているというのが大事なのだろう。

そういえば、ボクはというとBluetoothにしたことにはしたのだけれど、無くす自信がこの上なくあるのでイヤホンではなくヘッドホン買いました。デカくて座席の隙間に落とす心配も無いね。もし彼女ができたら、真っ二つに折って片耳ずつのヘッドホンをしたいですね。

多分外から見ると完全に保険会社のオペレーターで、車内がコールセンターみたいになるだろうけど。

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